わたしがわたしになるためのワンピース

 中学生の頃、赤い靴が欲しくて仕方がなかった。絵本に出てくるみたいな、どこまでも歩けそうな、シンプルな赤い靴。別にこれ!といった明確なイメージはなかったけれど、何故だかあの時の私は赤い靴が欲しくて欲しくて、でも確か、見つからなかった。
探した記憶はあるけれど、中学生の私には限界があって、探しても探しても、私の心にぴたりとはまる靴はなくって、結局春色のスニーカーだとか、黒のブーツだとか、シンプルなパンプスだとか、どんな服にも合う、便利だけれどひどく実用じみた、そんなものを買って帰路についたのを覚えている。

どうしてあんなにも赤い靴が欲しかったんだろう。今もあの頃も、別に赤色が特段好きなわけではない。淡い色が好きだった。でも多分きっと、それは本当に御伽噺みたいに、それを履けたらどこにでもいける気がしたのかもしれない。特別になれたら。物語の女の子みたいに、冴えない私の冴えない毎日がもしも変われたら。そんな、魔法を求めていたような気がする。赤は私にとってそんな色だった。どれだけ走っても疲れないスニーカーでもなくて、軽やかなジーンズでも白いワンピースでもなくて、私にとっては何故かそれが、赤い靴だったのだ。

そんな、忘れていたことをふと思い出したのは、一着のワンピースに出会ってからだった。ずっとずっと、忘れていた。あの頃のなんでもない私。

レベッカブティック。
なんて可愛い名前なんだろう。呟くだけで心が躍るこの名前が大好きだ。クローゼットの中をそっとのぞくようなときめき、砂糖菓子みたいな甘さ。私がそのブランドを知ったのは、本当にたまたま、友だちの呟きか何かを見た時だった気がする。赤のチェックがたまらなくレトロで可愛い、小さなショウのワンピース。
そう、本当に最近の話である。
きっととっくに有名で知る人は知っていたそのブランドを、私はその時初めて見つけて、単純にデザインの可愛さと、そして名前に心をくすぐられた。私はずっと好きなアイドルがいて、祈るような好きを抱えてその星を見つめていたので、そんな気持ちにこの名前が刺さったのだ。これを着て大好きな舞台を見に行きたい。そんな軽い気持ちと同時に「でも赤いワンピースって憧れるけど着られないな」と思った。自他ともに認める、淡い色が似合う私。
赤いワンピースって、私にとってずっと憧れで、でもいつも勇気が出ない色だった。
なんて言ってる間にあっという間に売り切れて、でも売り切れると人ってさらに気になってくるもので、名残惜しむようにブランドサイトを見るようになって、一着一着に物語がこめられていることを知る。
私は前述したようにアイドルや音楽が大好きで、その写真を撮った時の思いだとか、一曲一曲の作成秘話だとか、そういうものを噛みしめて見るのが殊更に好きだった。好きなものを理解できるような、近付けるような、そうしてもっと好きになって、大切になるような気がしたから。でも、服の物語を考えたことなんてなかった。別にファッションに全然興味がなかったわけじゃないのに。その裏側に作る人、売る人の思いがある、そんなこときっと当たり前だったのに。デザインに胸をときめかせて嬉しい気持ちで服を着ることはあっても、私にとっては多分「かわいい服」でしかなくて、だから私はその時初めて、服には込められた物語があることを知ったのだ。
名前だけでもときめくのに、さらに魔法がかかったみたいな気持ちになった。その服を着れば、何かが変わる気がした。何かってなんだよって話だけれど。

ちょうどその時運良くセールも始まって、ふらりとお店を訪れて、そこで初めてやっと、レベッカブティックのワンピースを買った。
淡いピンクの色もちょうど私に合っていて、名前もときめいた「観終わった後のワンピース」。手にとったその瞬間(買い物にありがちな)アドレナリンがもうどんどん出てきて、店員さんが着ていて可愛かったベージュのワンピースと、もう一つ青いワンピースを衝動買いした。服もコスメも大好きで、でも割と試着をばっちりとして、悩んでから買うタイプだ。それなのに、こんなのは初めてだった。こんな勢いで買って全然似合わなかったらどうしよう、なんて思いながらも家に帰って、買ったワンピースに袖を通した瞬間。その瞬間が忘れられない。

世界が変わった気がした。なんて大げさだと思うだろう。私だってこんなの初めてだったので驚いてしまった。別に顔は冴えない私のままだし、骨格的にワンピースの造形がたまたま抜群にあって、とかそういう話じゃないし、モデルのように似合っているわけでも多分ない。それなのに、そのワンピースは凄く可愛かった。すごく、すごく可愛かった。結局根本はこれにつきるのかもしれない。すごく可愛い。私の心の中で、赤い靴がぴたりとはまった。あの時夢見ていた気持ち、見つけたかった気持ち。やっと見つけたそれはすんなりと馴染んで、待ち望んでいたように前を向かせてくれる。

世間的には若い方だと言えるけれど、私は今たぶん「可愛い」だけじゃいられない、そんな年齢になってきたのだとひしひしと感じていた。ずっと女の子らしいものが好きで、かわいいものが大好きで、でも、可愛いを貫く人が素敵だと心から思っても、年齢を気にするのなんてナンセンスだと思っても、なんだか歳をとるにつれて、かわいいものへの後ろめたさがほんのり顔を出していた。いつまでも女の子でいたいよねって話をしたら、友だちに「いやもうさすがに女の子って歳は終わったでしょ!」と笑われた。おとぎ話の女の子が遠のいていく。私だってシンプルなTシャツとジーパンが似合う、そんな女にだってなってみたい。でもそんなのって美人の特権で、私がやったら芋満載だし、花柄の服でなんとなく可愛さをごまかしていたのに、「もう花柄着れないよねー」になる歳になって、怖くて、やるせなくて、というかそんな考えに囚われちゃうこと自体が古くてださくて、情けなくて、でも仕方なくて。

だけどそんなこと、この服の前ではもうどうでもよかった。どうでも良いくらい可愛くて、無敵の気持ちが溢れてきた。くるりと回る。裾がふわりと膨らむ。可愛い。可愛い。可愛い!まるで大好きな子の舞台を観る時の気持ちと同じだった。特別なときめき、特別なキラキラ、心が満たされていく幸せ。
私はその時、確かにワンピースに守られていた。服に守られた気がしたのなんて初めてだった。別に「運命の一着をずっと探していたの!」なーんてわけじゃなかったのに、その瞬間「やっと出会えた」と何故だか思った。やっと出会えた。やっと、やっと。ずっと探していたものに。私はやっと出会えた。

青いワンピース、実は赤いデザインと迷って、勇気が出なくて青を選んでいた(青もとってもかわいかったしね)。
でも着た瞬間、かわいくて、嬉しくて嬉しくて、ああ次は赤いワンピースを買おうと瞬時に思った。赤いワンピースが着たい。きっとレベッカブティックのワンピースなら大丈夫。なんの根拠もなく、でも、強くそう思った。勇気が沸いてきて、世界が明るくなった気さえした。大丈夫だ、大丈夫、魔法のように思った。

その日から、私にとって特別なワンピースになった。大好きなアイドルに会いに行くとき、大切な人とごはんに行くとき、初めてのデート、頑張りたい仕事の日、勇気をくれる魔法の服に私は出会った。この服があればどこにでもいける気がする。多分私はそうしてやっと、赤い靴を手に入れたのだと思う。

そうして初めて買った赤いワンピースも、それを好きな人に褒めてもらった喜びも、お気に入りのブランドができたことへの宝物が増えたようなくすぐったい喜びも、どんどん積み重なっていった。レベッカブティック。かわいくて、なつかしくてあったかくて、でも私にとっては初めてがたくさんの、特別な存在。ここのブランドの服かわいいよねー好きーくらいの感情はあったものの、こんなにもこういった気持ちで大切なブランドは初めて。もう何十着も持ってますだとか逐一チェックして全て予約してますなんて言えないけれど、レベッカの服は私にとって魔法の服で、だから赤澤えるさんは私にとって魔法使いのような存在だった。

好きにやっと出会えて、気になっていた赤組というコミュニティにも遅ればせながら入ってみた。そこでますますその物語を覗かせてもらったように思えて、ひとつひとつの言葉が、言葉にできずにいた私の心のいろんなところにすとんとはまって、まるで包んでくれるような気さえして。

小さなことでもやりとげる人が凄い人。あなたは凄い、信じて。

そんな言葉に救われて、真夜中に心が締め付けられた。私ってもう何にもなれないような、そんな気がしていた。ずっと。でも、ワンピースが力をくれた。そしてそれを作り出したえるさんの言葉は強くて、真っすぐで、でも完璧な魔法使いじゃない確かに喜怒哀楽のある人間で、だからこそ優しくて、信じられて、私の心にかかった靄を洗い流してくれた。えるさんの言葉を読み終わった後は、画面から見上げた街並みは、本当にいつもと違って見えた。

そうしてブランドだけじゃなく立派にデザイナーさんのファンにもなった私はもちろん、お祝いのパーティーに参加しようと意気込んでいた。一人でイベントや現場に行ったことなんて何度もある。むしろ一人でどこまでも楽しめるタイプだ。けれどなんだか私にとってその日は物凄く特別で、手帳に書いた瞬間ぴかぴかと輝いている気がして。まるで私自身も一緒に準備をしているような気持ちでドキドキと完成を見守っていた。

でも、仕方がないことにその日は延期が決まった。私の好きなアイドルやアーティストのイベントもことごとく延期になっていて、その度になんだか鬱蒼としながらあーあ残念だなあオタクの生きがいがーなんて思っていたけれど、その4周年イベントの延期の記事を、えるさんの言葉を読んだ瞬間、何故だか涙が溢れた。
悲しかったとか残念だったとか(もちろん思うけれど)そういう気持ちだけじゃなくて、何だろう、自分でもびっくりするくらいぽろぽろと涙がこぼれてきて、ああ多分わたし、この日をきっかけに変わりたかったのだと思った。

多分私はその日、救われたブランドのワンピースを着て、一人で歩いて向かって、魔法使いの憧れに初めて会えば、その特別な愛の空間に行けば、何かが変わるような気がしたのだ。そんなわけないのに、ガラスの靴を得たシンデレラみたいに。古臭くてじめじめして変わり映えのしない私の心が、生まれ変われるような気がしていた。いやまじでなんの依存だよっていうね。自分でもびっくりしちゃった。

で、その時、泣きながら違う、その日を待つんじゃだめだって思った。自分でも気付かなかったくらい無意識に変わりたがっていた私にやっと気付いて、それなら変わろうと思った。もう何にもなれないような気がしていた私。世界を変えてもらうくらいの出会いを得たのに、気付けばそれに頼りきろうとしていた私。変わりたい。変えてもらうんじゃなくて、私が変わるんだ。その勇気を私は貰ったはずだから。

今が全然だめだとか、全部を変えたいとかじゃないし、大層な発見をして賞をとりたいだとか夢をかなえるために起業したいなんて大きなことじゃなくて。本当にささいなことだけれど、私が無意識にその、初めて好きになったブランドの魔法に勝手に期待して頼ろうとしていたものを、自分で抱えようと向き合い始めた。
涙をほろほろ流しながら静かに、静かに、でも強く自分の胸の内でそれを決めた。この日のことをいつかまた思い出すのだとなんだか思った。

そして、まずは伸ばす勇気のなかった前髪を伸ばし始めた。無理に付き合っていた彼氏と別れることにした。友だちにずっと言えなかったことを伝えることにした。気になっていた勉強を始めた。行ってみたい場所に行ってみることにした。本当に、小さなこと。でも私にとっては「きっかけ」を無理にでも作らないと動けなかった、いろんなこと。大事なこと。ひとつひとつと向き合うようになった。そうして今は、ブログを書いている。忘れたくないと思ったから。私が少しずつ、私らしくなっていく。そんな気がする。

これは結局ただの日記だ。ファンレターのようでなんでもない私の話。でも、たったひとつのワンピースに救われることがある。まだ知らなかったこの事実が、私の世界を180度変えたとまではいかなくても確かに彩って力をくれたことが、私の勇気になる。きっと私はまだ、こういう好きに出会える。何度でも何度でも、これからも変われる。

とりあえず私たちのワンピースを予約して、念願かなって初めて着たい。その時私はきっと、もっと魔法にかかったような気持ちで私のことを好きになれる気がする。そして来週はカレーを食べに行く予定だ。知らなかった世界が広がっていく、今とても、とっても楽しい。

羽が生えたようなこの気持ちだって、重苦しくなることがあるだろう。また、もう無理だって思うだろう。きっかけを探して逃げてしまう日もあるだろう。服は私のすべてを変えることはできない。頭を良くするわけでも、目を二重にするわけでも、夢を叶えてくれるわけでも、お金や食べ物になるわけでもない。でも、それでも、私に魔法をくれる。私でいたいって、前に進ませてくれる。大丈夫だって、守ってくれる。泣きたい夜も、明けた朝も、社内も夜道も、私のそばにいてくれる。そう思える服に私は出会った。私にとってはそれがレベッカブティックのワンピースだったんだ。

ああ、やっと会えたね。知らないうちに探してたの。会えてうれしい、うれしいね。そんなことを思いながら明日も生きていく。大好き。大好きよりもずっと好き。

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