コロナウイルスと社会の軍事化

新型コロナウイルスの感染拡大は現在進行形の政治・社会・経済の変化を加速させているだろう。

たとえば、この事態を「戦争」にたとえる言葉が目につくようになった。ウイルスは海外から、国境を越えてやってくるテロリストと変わらない。日本社会は純粋で除菌された美しい空間で、それを犯す「奴ら」が外側から入り込んできた、と。国民国家とは一つの身体として想像される。

そして、いま、国内での感染拡大が急速に進むなか、恐怖や不安が広がり、感染者を糾弾したり、批判する言葉が広がっている。「感染者」という言葉はかつての「非国民」や「テロリスト」という意味をもつ。緊急事態宣言以降は、外を出歩いているもの、酒を飲んでいるもの、マスクをしていないもの、PCR検査を受けて陰性であったものですら、恐怖の対象である。感染しているか否かは関係がない。

この映像のように、警察権力行使の対象となるようだ。警察の振る舞いは野蛮な犯罪者予備軍を威圧するような、あるいは、占領地で占領側の軍隊が被占領民衆を見下すような、そういったしぐさに似ていないだろうか。これは「外出自粛要請」のもとでの出来事である。軍事は強制だけでなく、要請とともにある。いま、軍事的な力はすでにこうしてたちあらわれているのではないだろうか。