あなたになれない わたしと、わたしになれない あなたのこと #14


#14  体の具合のよくない生徒のこと


このエッセイを書きはじめて半年になろうとしている。
「書く」こと自体はなにかしらずっとしてきたものの、特定のテーマで定期的にまとまった文章を発表し続けたのははじめてだ。意外と書きつづけられるものだなあ、と思っていたら、ここ二、三回で急速に書けなくなった。わたしは大概ぐうたらなので、怠惰によって「書けなさ」を味わうことはこれまでいくらでもあったのだが、今回はまた違いそうだ。

原因はなんとなくわかっている。
二月、このエッセイの第九回が、「バズった」。ツイッターで数万リツイートされ、アクセス数が六桁を超えた。ニュースで知った見知らぬ男性を取り上げた回だった。三十九歳の誕生日にファーストクラスに乗ったのに祝われなかったことに落胆し、レビューサイトに最低評価を書き込む男性。たしかにそれは失敗だったと思うけれど、彼に対するSNS上でのバッシングがあまりに多く、たまらず「わたしもそういう失敗するとき、ある! でも、みなさんもそうなんじゃないですか?」という旨の記事を書いた。
記事が「バズって」多くの人に読まれると、そのぶんいろいろなリアクションが来る。擁護、というつもりでもなかったけれど、怒られている人のことをある程度好意的に書いたことで、わたしまで一緒になって怒られもした。でもまあ、そういう反応は予想の範囲内だった。

問題は、それと同じくらい、「わたしはそういうときがあってもなんとか失敗しないようにがんばっているのに、どうしてこの人がこんなふうに擁護されるんだ」という反応が見受けられたことだった。
これは予想外だった。予想外でありながら、みょうに納得もした。
いわれてみれば、そうだ。誰もその男性の気持ちを知らないのかもしれないと思って書いた記事だったけれど、同じような気持ちを知っていて、なお人に迷惑をかけずに済んでいる人も十分いるらしい。そしてそこにはそれだけ当人の努力がある。急にそれが自明のことに感じられた。
そういう人たちのコメントにはしばしば、わたしに怒る、というより、やり場のないかなしみをぶつけてくるような勢いがあった。やみくもな無理解で以て男性を批判している人たちの語調とはまったく異なる。男性の気持ちを共有している人ほど、その気持ちを律してきたこと、律さなければならなかったことへのかなしみが、男性への、もしくはわたしの記事への反発へ変わるらしかった。すごく納得がいく。それが、速度を持ってわたしへ迫ってきた。

世の中には、がんばっている人向けのコンテンツがあふれている。
キャッチコピーにしても、娯楽にしても、ウェブ上の記事にしてもそうだ。がんばっている人を労わり、励ますことには意義があるし、おそらく需要もある。なにより、がんばっている人のためになにかをするのは、あえていいかげんな言い方をすれば、正しい感じがする。実際、努力に対する報酬を生産し続けることで、努力が正しく報われる世の中に近づいていくだろうし、そうなればいいとわたしも思う。思う一方で、これまでわたしの人生に訪れた大量の「がんばれなかった日」の記憶が、そのじゃまをする。このまま報酬性が強いコンテンツだけが増えていったとしたら、「がんばれない日」のことを、誰が助けてくれるんだろうか、ということを、考える。そんなふうに書いた記事だったと思う。
でも、記事への反応を見て、率直にいえば、「わたしもがんばっている人のために書きたかった」と思ってしまった。突如目の前にすがたを持って現れた「がんばっている人たち」の存在感があまりに強烈で、自分がこれまであまりに多く見過ごし続けてきたことを、思い知らされたような気がした。そこから、書くための視座、みたいなものがゆるやかにくずれ、いまに至る。では、わたしはなんのために書いてきたというのか。
こまった。

いまだに塾講師のアルバイトをしている。
このところ、受け持っている小学生の女の子が塾に来られなくなってしまった。国語はあまり得意ではないが、苦手なことでも唇をぐっとむすんで立ち向かう子だった。おかげで最近の漢字テストはほとんど満点、嫌いな読解問題に対しても積極的になりはじめた、その矢先の出来事だ。
原因は体の不調と聞いている。行きたいと思っているのに、家を出ようとすると吐き気が来て、どうしても行けなくなってしまうのだという。だから、毎週授業が始まる数十分前にお母さんから欠席の連絡が来る。病院でも具体的な原因はわからずじまい。わたしの教えている塾だけではなく、学校も、他の習い事も行けていないらしい。

その状態が丸ひと月くらい続いたころ、心配してお母さんに連絡を入れた。すると、「本人は本当に行きたいと言っているんです、でも、家を出られなくて、だからピアノの家庭教師だけは授業を受けられているんですが、他はまだ何も……」という。
じゃあ、おうちとご本人さえよければ、わたしも家庭教師として伺っていいか、確認してみましょうか?
すぐにそう答えてしまってから、あ、これは早計だったな、と焦った。いちおう雇われている身なのだから、先に塾側に確かめてからお母さんに伝えればよかった。でも、まあ、うちの塾には家庭教師コースもあるし、わたしも他の家には家庭教師で行っているし、なによりこんな事情があるのだから、大丈夫だろう。
お母さんは、申し訳なさそうに、なんどもお礼を言った。

「そういうわけなので、一回おうちで授業したいんですけど、いいですよね?」
わたしがそう言ったとき、塾の事務方の先生があまりに当惑した顔をしたので、つられて同様に当惑した。予想していたリアクションとちがう。
「そうすると、家庭教師コースのお月謝をいただいていないので、向坂先生にボランティアで行ってもらうことになってしまうので……」
「あ! わたしは全然それでもいいですよ!」
「えっ? いや、ちがいます、だめです」
みごとに返答を間違える。話が噛み合わない。
確かに、家庭教師コースと通塾コースとでは月謝が違う。コース変更なしで家に行ってしまっては、正規で家庭教師コースを受講している家庭からすれば不公平になってしまう。
もっともだ、とうなずきながらも、わたしはこのとき、ほとんど逆上していたと思う。

わたしも、かつて登校拒否児であったことがある。高校二年生のときだ。いまふりかえってみるときっかけはささいなことだったけれど、当時は命をかけて登校拒否をしていた。こっちが命をかけているにもかかわらず、まわりのほとんど誰も真剣にわたしの立場に立ってくれようとはしなかった。みんな常識や規則を言いわけにして、わたしを都合のいいように動かそうとしているとしか思えなかった。
事務方の先生の怪訝そうな目つきにさらされた瞬間、そのころの感覚が身体の底からよみがえった。そしてごく短い間に、わたしもまたこのように見捨てられてきたのだ、という確信に近い思いにとりつかれた。
入塾規定がなんだ。不公平がなんだ。授業を受けたいと言っている子どもが安心して授業を受けられる、それ以外のことの、なにがいまそんなに大事だというんだ。
当然ながら家に行く許可は下りず、わたしはへんに意識を冴え渡らせたまま塾を出た。身体中があつい。ずっと具合を崩した子のことを考えているつもりだった。すごい勢いで駅まで歩き、電車に乗り、座ったくらいで、はたとかなしくなった。

とつぜん気づいたのだ。けっきょく、わたしが庇おうとしているのは、他の誰でもない、かつての自分自身に過ぎない。さも生徒のことを思うような顔をしていたけれど、事情も人柄もわたしとは違う生徒に、かつて庇ってもらえなかった自分を自分勝手に投影していただけだ。

たいへんなことに気づいてしまった。目をとじる。

たとえばの話である。
怒るときにその度合いを間違える人というのが往々存在する。ファーストクラスの男性だってそうだろう。そういうとき、たちまち怒った側の人が疎外されていくのを、見たことはないだろうか。
怒られた側の周囲の人が、しだいに仲間を庇うように結託しはじめるのだ。「いくらなんでもあの怒り方は理不尽だ」というのが言い分である。そのうち、それが「あんなに怒るなんて、理解できないよね」とうなずきあう調子に変わってくる。そして、怒られた側の人の仲間内では、怒った側の人はすっかり理解しえない敵のような位置づけにされてしまう。

もちろん、度を超えて怒るのはよくない。正されて然るべきだと思う。しかし、この、「理解できない」ということを理由に徒党を組まれ、疎外されることの恐ろしさもまた、わたしの身体がよく記憶しているもののひとつだ。
自分がごく簡単にはじきだされ、しかもそのことがあっさりと正当化されてしまう。それも、理解されなかったほう、ひとりぼっちのほうに一方的に原因を押しつけるかたちで。「理解できない」と誰かをジャッジすることは、たちまちそのあと本来できるはずだった理解までも拒んでしまう。それが怖い。
だから、なにかを「理解できない」ことで共感しあい、仲間を作ってはいけない。「理解できない」ものに立ち向かうときには、こちらもまたひとりぼっちにならない限り、それは暴力になってしまう。

周囲でそういうもめごとが起こるたび、わたしは突然もめごとに首を突っ込み、疎外されようとしている人を庇っては怒った。もともと自分とはほとんど関係のないことも多いのに、すぐ冷静さを欠いてしまう。
怒っている、というよりは、やり場のないかなしみを、ぶつけているような感覚だ。

そこでまたはたと思い立つ、これも、大切にしようとしている相手はあくまで、かつて同様に疎外されてきた自分自身のみなのではないか。わたしはまるでこれが義憤かのように振る舞っているが、けっきょく浅ましく自分をかわいがっているだけなのではないか。
さらに、けっきょく自分と同じ立場にいる他人のためにしかわたしが怒れないのだとしたら、それは同じ考えの者同士で寄りあい、理解できない相手をはじく人たちと変わらないのではないか……とまで考え出すときりがない。きりがないからといって、どこかで見切りをつけて考えるのをやめてしまう自分のこともまた、いやになる。

体調を崩していた生徒は、休み休みではあるけれど、授業に出てこられるようになってきた。学校や他の習い事はまだ行けないけれど、わたしの授業にだけはがんばって来てくれているとお母さんに聞いて、いじらしくてそわそわした。久しぶりに顔を合わせたとき、その子はちょっときまりが悪そうにはにかんでいた。
「具合どう? 学校もお休みしてるんでしょう?」
個別授業の途中、何の気なしにそう聞くと、その子は急に「そうなの!」と大声を出した。
「もう、ほんとにさみしい! 早く学校行きたい!」
一瞬、なんと返していいのか見失った。そうか、そうなんだった。彼女はべつに、行きたくなくて学校や塾を休んでいるわけではないんだった。当たり前のことで、はじめから分かっていたことだが、かつてのわたしとはまったくケースが異なる。
いかに学校に行きたいかをとうとうと語る彼女を眺めているうちに、それまでなんとなく張りつめていた気がやすらいでいくのを感じた。頭のなかにある程度準備されていた、自分が彼女のためにできることのリストをいちど洗い流し、一から作り直さないといけないと思った。そして、それはまったくめんどうなことではなかった。

ファーストクラスの男性について書いた記事が話題になったとき、親しい身内はわたしのことを、「おまえはまだ発達段階にあるので自他の区別がついていない」と評した。子どもはおおよそ一歳六ヶ月で自他の区別がつくらしく、いわばおまえの怒り方はその程度であるという罵倒である。
そんなことないやいと思ったものだったが、そうなのかもしれない。記事が読まれるのに伴って、「優しい」という評価もたくさん受けたけれど、そのたびに違和感があった。そう、べつに優しいわけではない。わたしは自他の区別がついていないだけ。それも、ときに、誰かに一方的に自分を押しつけるかたちで。ほんとうに褒められたことではない。

がんばっている人たちのことを考える。がんばれない人よりはるかに多く、がんばっているけれど報われない人がいるかもしれないことを考える。思い起こせば、誰かが怒られているときだって、「怒られてたいへんだったね!」と言ってしまうこともできたはずなのだった。実際、たいへんだったんだろうから。申し訳ないなあと思いながら、わたしはまた、何かあるたびにできるだけ味方の少ないほうを庇いたくなるだろうし、それは、誰も味方がいなかったころのわたしのためでもある。
だからなんだ、と胸を張れるほど強気でもないし、書けないからといって書くのをやめるほどは弱気でもない。煮え切らない態度のまま、わたしはこれからも怒るだろう、ほんとうは誰もわたしではないのに。でも、かつてわたしは、わたしではない誰かがわたしのために怒ってくれるのを、ずっと待っていたような気もする。

その一方で、小学生の生徒が、予想に反してわたしとはまったく異なったことが、わたしにはうれしかった。それでもなお、九十分の授業をし、漢字テストの点数が良ければ褒め、また来週、待ってるね! と、来られるかわからない来週の授業の約束ができることが。
やっと、自他の区別がついたのかもしれない。だとすれば、仮にわたしが、優しかったり、あるいは優しくなかったりするとして、いまようやくそれが問われはじめるのではないか。

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