無防備大学生の三日間

 無防備なことは悪いことだろうか。知らない世界に対して開いた心を持っていた方が人生楽しいのではないか。これが私の基本スタンスであった。しかし現実は違うそうだ。この世界には羊の皮を被った狼がいて、無防備な人間を取って食おうとしている。前から常々言われてきたことであったが、私は先週になってようやくそのことに気が付いたのであった。これは私が狼と邂逅した際の話であるとともに、自戒のメモである。



1.出会い、一般論、ミス発覚

 二月十四日、私は学食へと向かった。休みに入るとしなければならないことが消滅し、急に目標を見失ってしまうため、私は毎日学食に行き昼までに布団を出ることを徹底していた。しかし人間にはしばしば理想と現実の間にずれが生じる。学食の閉店ぎりぎりを攻めてその時間まで眠るというのが私のそれである。今回のずれは比較的軽いものであったが、理想との乖離は私の中に焦りを生み、心の底からの休みを受けられないままにその日の目標達成のため大学へ行った。いつも通りカレーを食べ、その足で購買へと向かった。いつもならばそこで野菜ジュースを買うのが決まりであったが、46時間の断食を行った私には食欲というものが体育会系の徒ばりに備わっていた。
結局ミールカードの余った金額でメロンパンを買い、購買の前のベンチで食べることにした。

 ここで私の順風満帆な満腹への道に横やりが入った。私がベンチに座ろうとしたのを宗教勧誘に見られたのだった。パンの袋を開けようとしたとき、彼は私に話しかけてきた。「お兄さんちょっといいですか?」 私は空腹を満たしたいのだ。パンを食べるべきなのだ。しかし話を拒否するのは不義理である。これは乗るべきだろう。私は淀みなく質問に答えられる時間でこのように考え、オーケーの返事を出した。聞くところによると彼は早稲田大学教育学部卒で現在サッカーに関わる企業を立ち上げたいという人間であった。私はその話を聞いた瞬間こう感じた。

   縁ができた。

 ここで私はすべての人間を置き去りにするほど強い関係を手に入れることができたと考え、その男と長く強い関係を構築することを決定した。彼は「君の自己分析をお手伝いしたい」という名目の中で次会うことを提案してきたが、私には名目などどうでもよくなっていた。ただ彼といろいろな考えを交わしたい。そう考え、二つ返事で了承した。連絡を取れないのは不便だから、LINEも交換した。ここで、私の未来が開け始めたのだ。

 最初のコンタクトが終了したあと、私は大喜びでTwitterに今日の出会いについてツイートを行った。私は誰も知らない世界に行ける。そう思った。

 しかし現実は私が思っていたのと全く違う様相を呈していた。私のツイート内容から相手側の怪しさに感付いた先輩が引用リツイートを行った。これはマルチではないか。そういう声が出始めた。私は不安になりつつも、彼の善性をまだ信じていた。彼はどうせ他の大学生とも話をするのだろうが、私と話したいと言ってくれた。ならば話はしてくるべきだろう。そう考えていた。しかし、「お前はすぐに騙される」「こいつと一緒に居ると情報抜かれるんじゃないの?」といったツイートを見て、事態の深刻さに気づき始めた。こういう話し方をしてくる人間を一般的にマルチということを知った。その瞬間、ひどい後悔が私の中に訪れた。

 私はTwitterにいられない。

 一般的に、あるコミュニティの成員となるためには暗黙のうちに一定条件を満たしていなければならない。日本人が日本語を流暢に使いこなす人間を日本人だと感じるように、インターネットではネットリテラシーや情報の真贋を見極める力があって初めてそのコミュニティに成員として認められる。しかし今の私は宗教勧誘に乗せられた。私は誰も知らない世界に行ってしまうところであった。これではネットにいられない。その後悔が私の中に深く押し入ってきた。

 しかし、私はこの世界にマルチ商法なるものが本当に存在するのかを知らなかった。陰謀論者の如き危険な実証主義の下、私は彼にもう一度会って世界への納得を深める。そういう思いで、常識の欠片もない行動に出ることにしたのだった。

2  準備、再会、終了

 私は彼との約束を守り再び会うことにした。しかしその時点で私は言葉に重みを付与させることができなくなっていた。理性の欠乏である。この状態で会っても丸めこまれる可能性の方が高く、周りもそう言っていた。そのため、逃げるための入念な準備を施した状況下で話すことにした。

 まず、指定された場所は大学の学食であった。私は運良くホームで話し合うことを許可されたのだ。そのため、複数の友人に当日の尾行を頼んだ。そして万が一連れ去りが発生した時のために、位置情報共有も行った。有事の際に逃げる友人宅、住所が割れた時の個人情報保護、実家への連絡も頼んだ。ここで私は絶対安全ではないが時間は稼げる形を構築することができた。

 そして言論での逃げ道を探した。その時、友人間では私の話し相手がマルチ商法の人間であるという論が支配的であったため、インターネットの法令検索システムで特定商取引法を調べた。相手に会話の主導権を握られた時に法律を使って穏便に退席を狙う予定であった。無防備な人間に対して狼は何枚も上手である。一般的にこの手の話題は勝つか負けるかで語られがちであるが、弱い人間が感傷を外面に出せば状況の良し悪しに関係なく相手のペースに乗せられてしまう。予定を間近に控えた私ができる最大の手は、相手の顔が見えなくなるまで一切気を抜かず、身の危機を感じた時に適切なカードを切ることであった。

 最初の邂逅から2日後、遂に彼と再会することになった。最悪の事態に備えた音声記録の作成を忘れずに行い、彼と再び対面した。この時点で私の誤算がいくつかあった。まず、彼が先に座ることで位置を指定していたのであった。先手を打たれ、私は非常に焦った。あの場所では尾行もなにもない。練ったことが意味を為さない。そう感じた。そして、彼がカレーを持ってきた時に話し合いが始まった。

 まず出身地と住んでいる場所を聞かれた。私は最初の邂逅で既に本当の出身地を言ってしまっていたが、市町村を聞かれた時に嘘を答えることで大まかな特定を乗り切った。そして現在住んでいる場所を尋ねられたが、これも嘘を答えた。本当のことを言って家に来られては意味がない。そう思ってのことだった。幸い、深い質問はされなかったため嘘をつき通すことができたのだったが、ここで彼らの恐ろしい点に一つ気がついた。

 やつら共感力が高い。

 偶然かもしれないが、出身地を言ったら「仕事で何度か行ってそこの祭りを見てきた」と言い、住んでいる場所を言ったら「今そこに僕も住んでいる」と答えてきた。共感を得ることによって相手の警戒心を解こうとしてくるのだ。私は恐怖を感じ、途端に目が泳ぎ始めた。これは不可避のことであった。もし彼より上手の人間であれば私の目の動きを見逃さず、攻勢をかけてきただろう。私は運に救われていたのだった。

 しかしまだ特定商取引法は頭の内にあった。これがある限りはマルチ商法であれば逃げられる。そして話を進めていくと次の誤算に気づいた。彼らは宗教の話に寄せてきていたのだ。もしも宗教勧誘であれば前に練った方法は意味がない。どうするべきか言葉に詰まらず返答を行うだけの時間で思いついたことは、自分の殻に籠ることであった。

 私は少し前から読んでいた、村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の上巻について考えを巡らせることにした。あの本を読んで感じたことは、自分は自分のために生きるべきだというものであった。仮に宗教勧誘ならば、思想の当世的な善悪に関わらず、教祖の思想を他人のために使っているはずである。そこから逃げ切るためには私が自分の思考を全て自分のためだけに使っていることを意思表明することであると考えた。もうその時は話し相手の怪しさに気付きはじめていたため、話を早く終わらせることに移り始めた。途中で場所を変えて話さないかと言われたが予定があると言って断った。宗教書を一度勧められたが、自分の未熟さのために断った。あとは何を言われて何と返したかよく覚えていない。そして1時間ほど話し、会談は終了した。

 彼の背中が見えなくなった時、私は心の底から安堵した。私はまだインターネットの空間に居られると考えた。そこで、会話が終わった旨をツイートしたが、もう一つここに間違いが含まれていた。

 私は「アイツ思想弱くね?」とツイートした。明らかに私と宗教勧誘を比較する旨であった。私は中学校の時、部活動の試合で勝利した際コーチの先生に「勝てたから必ずしもいい試合ではない」と言われたのを思い出した。今回は危険な場所に飛び込んで自分ではどうにもできないことを偶然乗り越えてなんとか普通の生活を送れそうになったわけであり、全く良い試合ではなかった。起こさなくてよい試合であった。それに気付かずに勝敗で出来事を語ってしまった自分は未熟である。私はもっと現実に軸足を置きながら世界を見るべきだったのだ。

 そして周囲の勧めで教務課に行き、一部始終を話して彼らを追い出してもらった。彼らの姿は1週間見ていないので今のところ脅威は去っている。後から同じ宗教勧誘に話しかけられた人と情報共有のため連絡を取り合ったが、彼のSNSにはバックグラウンドと思われる教団へのリンクが貼り付けてあったそうだ。非常に危ないところであった。

3 省察

 まず、勧誘人は世界に本当に存在するため話しかけられても乗るべきではない。乗ってしまった場合の対処法を書こうと思ったが私と他人ではそれぞれ考え方が異なるため一般的な論を私が今ここで示すことはできない。乗らないことが最善である。

 そして相手に借りを作らないことである。私がカレーを持って宗教勧誘の前に現れた時、彼は「別に奢るのに」と言っていた。私は学食に入る=カレーを食べることであったため無意識で行ったことであったが、もし彼に借りを作っていたなら話が断りにくくなる可能性が上がっていたと予想される。信頼できない初見の相手に借りを作らないことも勧誘を乗り切る一つの手であるだろう。

 これから春が来て多様な勧誘を見ることになる。中には悪意や深くて見えない悪意を持った人間が混ざっている可能性がある。一度騙されかけた者として、注意を怠らないことを強く勧める。

  おわりです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?