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「神様」という概念との付き合い方《読むスピ系解毒剤》

今回は、「神様は宇宙人?それとも中学生?」の続き(補足)です。
こちらの記事をお読みになってからどうぞ。

ヘッダー画像は、かつてどこかの庭園で撮った、バラだと思われる花です。バラ…だと思う。脈絡はありませんが、うわあああああとなった時に見て、落ち着いていただければと思います。

今回はどう纏めるか悩みました。個人的な神様の捉え方の変遷を書いていたのですが、それも止めてすべて消し、またイチから書いています。

・神様がいないって? じゃあ、どうすればいいんだ?

というシンプルな疑問に対して、出来るだけ危険性のない「対処法」を置いておこうと思います。(対処法は最後です)

まずは対処法というよりは…解説、でしょうか。今本当に一から書いているので何が出てくるかわかりませんが、私自身が最適解を知っているということを信頼してとりあえず進めますね。

◆急務は「脱・神様依存」◆
まず、今、スピ系で「神社にいる神様はことごとく外道・人からエネルギーを吸い上げる存在」のようなことを言っている方が(おそらく)意図しているところについて。(いい神様もいるんじゃないの???という方向け)
これは、人間があまりにも「神様」というものに頼りすぎていて、依存的になっているから、クギを刺すために厳しく言っている、ということだと思います。(特に、そういったスピ系に足を突っ込んで軽々しく数多の「神様」というものとフランクに関わり、お願いしてすごいパワーで人生を変えてもらおう、とする、カモネギ状態の人々の足を止め、注意喚起するため)

そもそも、「人」と「神」に分けて考える、捉えている時点で、既に上下感覚の意識が生まれてしまうのが問題です。誰かを、何かを頼るということは「悪」ではありませんが、特定の神様を信仰し、すがり、祈りを捧げ続けるということは、厳しく言えば、「下僕になる」ということです。(そして、「お願いをして叶えてもらう」という行為は、そのままでは「自分(人間)には力がない」と考えていることにもなりかねません。それも問題です)

どうするのも自由ですが、本来、どの在り方のどの姿かたちの存在も、元をたどれば同じものですから、「対等」のはずなのです(平等・同質ではないけれど対等・同一)。超存在も、人間も、その辺の石ころも…。その感覚を持っていれば、どんなものに対しても、慈しむ心・尊ぶ感覚が自然と生まれてくる…と思います。

自分自身の「外」に神を持つというのは、「あらゆるものが対等」という物事の根本を崩しかねない意識・行為であり、「優れたもの」と「劣ったもの」、「支配するもの」と「支配されるもの」などの認識を生み出すことで、割と危ういものです。

(え?そんなのあって当然じゃん?どうあがいても、優劣はあるし、支配者は必要じゃん???という意識になると思いますが……。本当でしょうか?そう思い込まされてきたからでは?)

まぁ、だからこそ、(バランスなんぞクソくらえと考えている系の)宇宙人はじめ世の統治者たちがこぞって宗教を使い、それぞれの「神様」を生み出し、それを権威・建前にして、人々を洗脳&支配し、刑罰や侵略・略奪行為の正当化などにも利用してきたわけです。
(統治者…ではなかった、神サマにとって都合の悪い…神と違うことを言う人間は異端者として殺しても無罪とか、異教徒は人間以下のクズで悪魔だからボコボコにしても大丈夫だしむしろ天国に行けるし、家畜扱いもOKだよ!とか、狂ったことを平気で言えるようになるわけですね。)

こういう事を成し遂げるのに加担してきた「神様」を、それらがどういう存在かわかったうえで、なお「神様」として崇め奉ることは、理に適っていると思いますか?まだ、信仰を捧げたいですか?

◆「八百万の神様」の捉え方を変える◆
それら、と言いましたが、もちろん、一神教の「神様」だけが、要注意なわけではありません。

日本の、八百万の神様も、割と、ルーツを見ると「どうなんだ?」という場合が多くあります。メジャーな神様は元ネタが宇宙人だと思っていますが、他にも、悪霊や怨霊を鎮めるために神格化された存在もいますし、ある一族の子孫に祈りのエネルギーが行くよう、人間の先祖を神として祀っている神社もあります。(一番わかりやすい例が、ドンの天皇家ですね)

物理的にも「お賽銭」としてお金を奉納しますが、つまりそういうことです。神社はお金やエネルギーを献上するところ、悪く言えば、巻き上げるところ、と言えなくもありません。その代わり、その土地を守っていただく…とか、願掛けをしたら叶えてくれる、ということになっていますが、その保証はありません。また、お礼をしないと罰が当たるとか…そういう話のある神社もあります。(縁切りや呪いをするための場に使われることもありますし)とても不謹慎な言い方をするのであれば、「神聖なヤクザ」あるいは「霊的なヤクザ」のいる場所…と言い表せなくもありません。
(本当にその付近の住民やお参りした人を守ってくれる場合もなくもないと思うのですが、その場合は「義理堅い霊的なヤクザ」と言えるでしょう。「みかじめ料」を払わなくなったらどうなるかはわかりません)

ただ私は、個人的には、100%有害な存在が神社に神様として居る、とは言いません。誰も(何も)いない神社もあると思いますし、何かがいたとしても、有害かどうかは、関わる人次第です。
「宇宙人だから」「異次元の存在だから」といって、全ての存在が、人間をだまくらかして上げて落として楽しもうとしているわけではない、と思います。ただし「『神様』だとは思わない方がいい」とは言えます。何らかの「隣人」程度の認識でいた方がよいと思います。

神社にお参りしたとしても、挨拶や感謝程度に留めておいて、むやみに願掛けしない方が良い、と言う人がいるのは、そこにいるのが「神様」ではなく「隣人」だからこそ、でしょう。

あれこれと現世利益的なことを願ったとき人間に構ってくれる・呼応してくれる存在は、「人っぽい」「人寄り」の存在なのです。

スピ系の人間が出くわす存在(ちょっと見える人に「我は神なり~」といって話しかけたり「お主は選ばれた存在だから光の柱を立てるために神社巡りをすべし」と言ってきたりするモノや)に関してなら、99.9%ヤバい(別の思惑がある)と言ってしまって構わないだろう、と思います。

また、霊的なものが見えなくても、御利益目的で御朱印をスタンプのように集めたり、お守りをジャラジャラ買うような人が「繋がる」存在も、その意識に相応しい隣人であると考えられるので、何らかの不思議なことがあっても、異次元の存在、新しいオトモダチと繋がったということではあれ、「神様」だとは思わない方がいいでしょう。

(自然に近いエネルギー体/自然霊というのでしょうか?は、基本的に人間のあれこれには興味がなく、どこかの神社(があるパワースポット付近)にいたとしても、そこで些細なお願いをする人間に対しても、うるさいな、シラネ、と思っているか、そもそも聞いてすらいない、のではと思います)

「八百万の神様」という考え方は、あらゆるものを神ととらえ、感謝するという視点を持つのに有効なので、捨てるには勿体ないです。異次元の存在も、宇宙人も、神様と言えば神様、ですが…私たちも神様、なのです。そこら辺の塵芥も含めて。ちょっと見方を変えて、基本を押さえておけば、「神様」(の概念)とうまく付き合っていけるのではないでしょうか。

こういう知識を仕入れると、寺社仏閣に行くことになったとして、どうすればいいのかわからなくなるかと思います。
ここにいるのはいい存在なのか?悪い存在なのか?一応祈った方が良い?でも祈りのエネルギーを捧げていいのか?祈らない方がいい?罰が当たる???など…。

結論から言うと、
相手が何であれ、あなたの意識がよい状態であれば、
どうしようと「何の問題もありません」。

この現実は、あなただけのものです。
あなた専用の、あなただけが見ている幻です。
高きから低きまで、ありとあらゆる層のあなたが同時に存在する中で、
今の、そこに意識の焦点を合わせたあなただけが、
その現実を選んで、好き勝手に認識しています。

あなたが、そうである、と認識すれば、そうなります。
あなたが、〇〇に繋がろう、と思えば、それに繋がりますし、
〇〇とは繋がりたくない、と思えば、繋がりません。

……ってことをまず、念頭に置いておいてください。

陳腐な言い方になりますが、意識のレベルが変われば、いる場所・見えるもの・繋がる存在のレベルもまた、変わります。
同じ(見た目/行動)であっても、それは違う(層/レベルの/意味の)ものになります。


だから、たとえば「すべては一つ」の意識になった状態で、「神に祈る」のは、現実を変える本当の鍵(祈り/意志の表明)になります。
そういった透明な祈りのエネルギーは、特定の宗教のナントカ神の懐には入らず、すっ飛ばして、すべてに浸透するでしょう。
それが、届く、ということです。
誰もが、自身が本当の自分であるとき、自分自身で、願いを叶えています。

逆に、超絶利己的な自分の意識で、どこぞの神様に保身を祈っているときは、その姿勢に相応しいレベルの呼応してきたナニモノかに、エネルギーを渡し、また、現実を動かす決定権を譲渡している、と言えます。
繋がった「神様」の機嫌がよければ幸運なことがあるかもしれませんが、支払い(熱心な信仰)を怠れば、(絶望の感情もエネルギーなので、再度信仰させるための脅しか、見限る前に搾り取るため)落とされることもありえます。ご利用は計画的に…という。
こんなに願ってるのになんで!? ということがあるのは、自分ではない自分に、それも、自分を玩具にしようとしてくるような存在に、願いを託してしまっているからですし、より高い(より根本の)自分視点からは、叶わない方がいい内容だから、という理由のときもあります。)

(再度になりますが、個人的には、自称神様ズには上げて落とす存在しかいない…とは、思いません。人間にもこんだけいろいろいるのですから、隣人も色々です。ただ、お人よしな存在はものすごくレアで、人間は基本カモなのだ、と思っておいた方が無難である、ということです)

神社に行きたくなくなったのなら、行かなくてもいいです。
行きたければ、行けばいいです。
そこの神様に祈りたければ、祈ればいいですし、
祈りたくなければ、祈らなくても大丈夫です。

また、どうせ祈るのなら、
そこの神様の、「どの層」に向けて、「何を」祈るのかは選べる、
ということを思い出して、好きなようにしてください。

目の前にいるのは(まぁ見えないですが)、祈る相手は、
究極的にはあなた自身です。
より高く、より大本のところでは、自分と同じ出自を持つ、何か。
互いに分け御霊。

それに対して、いいとか悪いとか、ジャッジする必要があるでしょうか?

ここにいる奴は〇〇だから、本当は怖い、とか、実は人類の敵とかレベルがどうとか、そういうことをあれこれ考える必要は、本来は、ありません。
……ということは、覚えておいてください。

オマケ
◆神社ってパワースポットじゃねーの?ということに関して◆
神社のある場所は、(第一には神の社を守るためでしょうが)、災害時の避難場所にもなるように安全な場所だったり、気感のある人々によってエネルギースポット的な場所が選ばれたはずなので、本当に「パワースポット」である場合が多いのだと思います。神様がいるからパワースポット、なのではなく、昔から立地の良い・パワーのある場所に、神社が建てられたということだと思います。

とりあえず、以上です。

まとまっているかは別として、必要な要素は書けた気がします。
どうだろう…。また説明不足感が。

「自分自神」とかいって自分を大事にしようという流れも、自分がご神体・自分の想いが一番とか、いう話も、完全に間違っているわけではありません。だからこそ心に「響く」人が出てくるのですね。

が……その大事にする「自分」が問題で。本質と繋がっていない上っ面の願いを、「本当の願いだ」と思って突き進んだら苦しいばかりですし、外から植え付けられた評価基準によって「良い」と感じるものばかり欲しても、本当に満たされることがなく、延々ともがき続けることになってしまいます。(あるいは、満たされた気になって成長が止まる)

頭の声ではなくて魂の声を聴く、感情は根を辿り、なぜその感情が浮かんでいるのか探ることがまず必要です。と……言うは易し、ですが。
心がけてないと振り回されます。

今は神様云々より、人間を(自己責任論を押し付けて個人至上主義に育て)孤立させておいて、一人でどんなに頑張っても(これが)幸せ(だよと示されているもの)を満足に得られにくい社会構造、の方が問題だなと思います。…めっちゃ頑張っても報われなかったら神頼みしたくもなります。

……どうせ何らかの上位存在の力を借りるのであれば、
自分専用の「ガイド」を召喚(?)して味方につけましょう。

魔法使い入門 ~ホントの魔法を覚えちゃおう!~ 第四巻: あなたに寄り添う頼れる存在 師匠で親友? 高次存在『ガイド』を呼び出してみよう!/まほー工房 https://dlsite.jp/howot/RJ137508/?utm_content=RJ137508

純然たるダイマです。こちらは4巻なので、安全のために1巻から順に取り組まれるのをオススメします。

魔法使い入門 ~ホントの魔法を覚えちゃおう!~第1巻:防御の基本、マジックバリヤーを学んでみよう/まほー工房 
https://dlsite.jp/howot/RJ134415/?utm_content=RJ134415

1巻ずつ感想書いたら長くなりすぎるので省略しますが、こちらのまほー工房様の音声作品は、スピ系(と言っていいのか…)で唯一他人にオススメできる教材です。カジュアルなタイトルですが中身はしっかりしてます。

そこら辺のスピ系セミナーに数万円落とすくらいなら、騙されたと思って
大魔法使いちゃん(など)の弟子になってみてください。
とても可愛いですよ←語彙力

一巻ずつオススメする記事を書いたらさすがにアレかなと思って控えましたが、他の作品も使えますので適宜ダイマせざるを得ない気が……。

それではまた。

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