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【水星の魔女24話】総評:さようなら全てのガンドアーム


まずは最終話こと、第24話「目一杯の祝福を君に」の感想から述べたいと思う。

先週は「最終回」という身も蓋も無いサブタイトルに少なからず苦笑していたけれども、1期OPである“祝福”からの真のサブタイトルという粋な演出に思わず唸った。

一緒に最終回を迎えようといって友人の家で視聴していたのだが、2人して「うおぉ!」と声を上げた。アレはアツい。アツすぎる。


水星の魔女、いい作品だった。


全てが収まるところに収まり、ああこれで終わりなんだという薄ぼんやりとした実感と共に、エンディング曲に乗せて静かに物語が閉じていく。

「終わっちゃったね」なんて友人と言いながら話したその後の雑談はいつもよりさらに楽しかったように思うし、晩御飯で食べたスーパーのピザもすごく美味しかったし、帰路で見上げたまんまるの月はなんだかとても尊く美しいものに思えた。

物寂しいような、あったかいような、そんな充足感がある。こんな最期の瞬間を楽しみに自分はアニメを観るのかもしれないし、最後の数ページを噛み締めるために日頃から本を読んでいるのかもしれない。

正直、最終話の途中までは「ガンダムシリーズの悪いところ出たな」と思いながら見ていた。

大事なところほどフワッとしている、いつものやつだと。これだけ丁寧にキャラクターの関係性や世界観を描いてきて、ここにきて不思議パワーと善良な精神で全て有耶無耶にして解決してしまうのかと。別noteにも書いたが23話時点での懸念が当たってしまったと思っていた。

落胆した、と言ってもいい。
ああまたそんな感じね?って

引っ張りに引っ張った新商品Bキャリバーンは結局ほとんど何もしなかったし(それがいいという向きもあるが)サイコフィールドの如き不思議空間で死人込みで色々出てきてみんな悔悛し、許し合って、色々あったけどまあいいか!というご都合主義の強制ハッピーエンド。

デウス・エクス・マキナ

パーメットスコアが上がってモビルスーツが消滅なんて笑いぐさだ。ファーストでもそんな荒唐無稽なことはしていない。月光蝶か?エヴァじゃないんだから。

自ら全ての罪を被ったシャディク。
犯した≒被った罪の重さ、そしてミオリネへの別れの言葉から察するに、公判での極刑判決は免れないのだろう。
プロスペラやエリクトがなんとなく許されて一緒にいる中、これはあまりに対照的で切ない。

未成年であることや生まれ育ちの境遇、本当はクワイエットゼロに関与しておらずミオリネやサリウスの嘆願があるだろうことも思えば減刑恩赦は出るかもしれないし、劇場版があるならしれっと普通に出てくる気もするが、それはそれとして1人に全てをおっ被せて終わらせるのが方々都合が良いのも事実であり、やはりシャディクは死ぬしかないのかもしれない。

そしてベネリットグループの資産は売っぱらわれコロニーレーザーもどきに消し飛ばされるという難を逃れたわけだけど、結局色々買い戻され学園も存続していた。地球もまた宇宙に吸い上げられると言う話からとわかる通り、「色々あったけど結局あんま変わらなかった」と言うことになる。

これもガンダムシリーズではよくあることだ。
自分が宇宙世紀の総決算にしてシリーズ最高傑作と信じてやまないユニコーンですら、言ってしまえば世界は変わらなかった。
明確に世界が良くなったのはWくらいかな?OOもある意味そうかも。


正直モヤっとする部分は残った。
話の規模が大きすぎて全てを描く尺は残ってないにしても、なんかこう、上手くいえないが輪郭をパキっとさせてほしかったなという思いが無いといえば嘘になる。

せっかく作り上げたスレッタとグエルの関係性はもうちょっと活かせたのではと思うし、3人いるから仕方ないがエラン4号もわりと雑に使われた印象はある。

あとはせっかくの新機体もそうだけど、各々もうちょっと見せ場があっても良かったのではみたいな。
完全体キャリバーンはGUNDおよびスレッタ達の理念の体現として非戦ともいえるし、結晶ユニコーンやダブルオークアンタの例もあるのでまだわかるが、デミバーディングとかシュヴァルゼッテとかファラクトとかはもう少し動いてるとこ見たかった。コロニーレーザーももう一回受け止めるくらいはしてほしかった。


けど、けれども。
色々不満はあげたけども。



学園に戻ってきたニカを迎える地球寮の面々。

ノレアのスケッチの場所を探して旅する5号。

なんやかんや絡みあうエラン本物とグエル、セセリア。

おそらくGUND義足をつけラウダと並ぶペトラ。

そして薬指に指輪を輝かせ、“家族”と共に笑うスレッタとミオリネ。



正直最終話の23〜24話の内容に思うところはたくさんあるけど、けどなんかもう、これだけで細かいこと全部忘れられた。観てきて良かったなと思えた。


思えば自分も最初から言っていたのだ。
何があっても最後はスレミオがくっついてりんごーんすればいい感じに終わると。

そんなちゃっちい話では無いのはもちろん承知しているが、これは最初からスレッタとミオリネの話だった。

さながらパンドラの箱だ。

多くの人が死んだ割に、結局世界はあまり変わらなかったけれど、この2人がわかり合って、結ばれて、そうして見て出会って過ごしてきた中に、淡く小さいけれど確かな希望は残った。

案外そういうもので、それでいいのだと思う。

シャディクも言っていた。
アーレア・ヤクタ・エスト。
賽は投げられた。

物語はここで終わり、そしてここから始まるのだろう。なんてこともないわだかまりと赦しの物語はきっと視聴者は想像するより他になく、描かれる必要も、敢えて見る必要もないものなのだから。


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息もつかせぬ怒涛の展開と、それを支えるに足る構成の上手さで視聴者を魅了してきた「水星の魔女」は今日終わった。
最後は自分で逃げずに進んで、姉も母も恋人も仲間も、2つどころか全部守ろうとしたわがままな魔女の話は、平凡に、凡庸に終わった。


きっと観ている誰もが望んだ通りに。
人生にはわかりやすい道理なんてなくて、案外幸せなんてそんなものでそれでいいのだと言うように。

最終話のエンディングを飾った“祝福”はとても良くできた曲で、結局のところその歌詞が全部表していた。

この星に生まれたこと
この世界で生き続けること
その全てを愛せるように

YOASOBI 祝福


なので僕も、毎週書いてきた水星の魔女の感想noteを、この言葉で締めたいと思うのだ。


水星の魔女を作ってくれた制作の人達。
ガンダムシリーズをこれまで繋いできた人達。
一緒に応援していたファンの人達。
毎週感想を語り合った友人達。
ついでに水星を見ようと決めた自分にも。


目一杯の祝福を君に。


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