履かなくても崩壊から逃れられないスニーカーを集めるアメカジ野郎

今回は、アメカジ野郎の中でも特に「スニーカー」に執着する人々の持つ根本的な問題について語りたいと思います。時々スニーカーマニア以外知る必要のない用語や知識が登場するかもしれませんが、その都度できるだけ必要な事柄のみ説明を加えたいと思います。平和に生活している方々には全くもって不要な知識ですので、大まかな文脈がとらえられる程度に理解していただければ結構です。

皆さんは、スニーカーを含むスポーツシューズがどれくらい長持ちするかご存じでしょうか。私はランニングが趣味で二十年近く各メーカーのランニングシューズを使っていますが、私の体感で、およそランニングシューズの寿命は長くて1000km走行ほどといったところです。それくらい使うと、一足の靴を本当に十分使い切ったことや、怪我無く走れたことに感謝して廃棄します。また、普段履きにしているスニーカーなどは靴紐も結ばず踵を踏みつけて履くこともあるので、長持ちしないことを反省することも多いです。

とにかく、そうやってスニーカーは一足一足私に合わせて走ったり生活をともにしたりしながら便利に使えています。メーカーには常に感謝しています。

上記のような、私のスニーカーの使い方はダサいでしょうか?もしダサければ仰ってください。スニーカーをラップやジップロックでくるんだり、つま先にプラスチックの板を入れたり、履くたびに防水スプレーをかければ良いのでしょうか。私には難しすぎることばかりです。楽しく走ったり、家族のために生活をしたりすることで精一杯です。

スニーカーに異常に拘るアメカジ野郎は、冗談ではなくスニーカーをラップやジップロックでくるみ、つま先にプラスチックの板を入れ、履くたびに防水スプレーをかけています。アメカジに興味のない方には全く意味が分からない行動だと思います。これから、アメカジ野郎が何故このような意味不明な行動を繰り返すのか一応の説明をしますが、きっと説明の意味が分かっても行動の意味はわからないでしょう。アメカジ野郎の狂った価値観に憐みの気持ちを持っていただければ幸いです。

「加水分解」という言葉をご存じでしょうか。もし知らなくても一向に構いません。あなたが今までスニーカーを履き続けていて、「加水分解」に出会わなかったことこそが、あなたがアメカジ野郎のように狂った価値観でスニーカーを履かずに健全に過ごしてきた証拠なのですから。

Wikipediaによると、
https://ja.wikipedia.org › wiki › 加水分解
加水分解(かすいぶんかい、英: Hydrolysis)とは、反応物に水が反応し、分解生成物が得られる反応のことである。水解とも呼ばれる。

とあります。簡単に言うと、スニーカーを履かずに放っておくと空気中の水分に触れたソールや合皮部分、接着剤部分が数年でボロボロに劣化し、修復不能になる現象です。せっかく買ったスニーカーを「履かずに放っておく」という意味不明な行動をしない賢明な方々、つまりアメカジ野郎以外には全く関係のない現象ですね。

アメカジ野郎は、90年代のスニーカーブームの文脈をいまだに聖典化し、当時買えなかったスニーカーなどを様々な言い訳をしながら次々とメーカーの言いなりになって買っています。その言い訳とは、全く根拠のない「高性能だから」「高品質だから」「オシャレだから」「価値が上がるから」という決して自分は騙されていないという防衛機制でもあり、それが通用しない相手が現れれば「結局は自己満足だから」という逃避行動を起こしたり、むしろ大量に靴を買うことで変人アピールをして悪目立ちすることで議論の土俵から逃れたりしようとし、決して自らの行動を振り返ることはありません。

以前から、私はライフスタイルスニーカーにはスポーツに耐えられる性能はなく、価格相応の品質が伴っていないことや、その価値はメーカーに植え付けられたものであることを指摘してきました。(例えば、ナイキエアマックスは初代からスポーツには不向きであり、「トレーニング」などという煙に巻いたジャンル分けをされていました。そして、エアマックス95のころからは一貫してライフスタイルシューズとして販売しており、エアマックスシリーズが実際にスポーツの場面で存在感があったことはただの一度もありません。)アメカジ野郎がなぜスニーカーを買っても買っても満足感を得られず、むしろ欠乏感に苛まれているかの原因はそこにあり、彼らは金や時間をつぎ込んだスニーカーから何も得られていないにも関わらず、何足も何足もスニーカーを買いながらも「おかしいな、これを買ったら満足するはずなのに、おかしいな、もう一足買おうかな」と常に不安なのです。

ここで自分の頭を使って考えられる人なら、同時に履ける靴は一足なのに大量の靴を買うことの無意味さに気づいて行動を修正しますが、哀れなアメカジ野郎は自分の意思よりメーカーの提案を優先しますので、自分の心の虚しさの原因は「スニーカーに詳しくない自分」「たくさんスニーカーを買える財力がない自分」「センスがない自分」だと思い込んでいるので、必死に出来ることを探してスニーカーを買い続けているのです。

そうして、哀れすぎるスニーカーマニアは自宅が靴だらけになります。その靴たちはどうなるのでしょうか。もうお気づきの方も多いと思いますが、アメカジ野郎たちが集めたスニーカーは、彼らが信じる性能の高さや品質の高さ、リセール価値に関わらず無情にも加水分解による崩壊を続け、数年で履けなくなるのです。例を挙げれば、ニューバランスの高級ラインなどは数万円の価格帯のスニーカーですが、ミッドソールのポリウレタンが必ず加水分解を起こします。その対策としてメーカーが純正ソールの貼替えを有償で行っていますが、部分的に使われた合成皮革のパーツの劣化や接着剤の剥離は避けられません。革靴のように手入れしながら長く履くことはスニーカーにはそもそも不可能なのです。

そのことに怒っているアメカジ野郎もいますが、スニーカーの寿命として与えられた「数年間」は本当に短すぎるものでしょうか。本当に気に入っている靴ならその数年間でたくさん履いてたくさん出掛け、思い出を作ることができるのではないでしょうか。

スニーカーを買うことが目的化し、履くこと=行動することが疎かになっているアメカジ野郎は、恐ろしいことにタンスのスニーカーの劣化をなんとか遅らせようとラップでくるんで真空パックしたり、型崩れを防止するためにつま先にプラスチックの板を入れたまま着用し不快な履き心地と型崩れ防止をトレードしたり、せっかく履いて出かける日でも上からシリコンの防水スプレーを毎回かけて汚れることを恐れているのです。それでも、結局はいつか必ずスニーカーが崩壊する日はやってきます。スニーカーマニアは、「買いたい」「履きたい」「崩壊させたくない」「履きたくない」「ラップしたい」という混乱を極めた思考のループに陥っています。そこから逃れる方法はたった一つ、自分の人生をちゃんと見つめ直し、なりたい自分になるために何ができるか具体的な行動を明らかにし、そのために必要な靴を購入することです。

「たくさん靴を買うことが自分のやりたいことなんだけど」という、洗脳から逃れるフェーズにまだいないアメカジ野郎もいるかも知れませんが、一度落ち着いて、どうしても欲しいスニーカーを見つけた時にあなたはどんな自分の姿を想像したのか思い出してほしいです。きっと、笑顔でその靴を履いて楽しくお出掛けを楽しんでいる自分を想像したのではないですか?間違っても、真顔でそのスニーカーをラップしている自分ではないはずです。素敵なスニーカーを見て「早くラップしてえ」と思った奇特な方以外は。

さて、スニーカーマニアは自宅で冷暗所にラップして仕舞い込んだスニーカーをどのようにして愛しているのでしょうか。そのスニーカーはアメカジ野郎をどこに連れて行ってくれるのでしょうか。ちなみに、10足(スニーカーマニアにしては少なすぎる数ですが)のスニーカーを完璧にローテーションして、しかも毎回健康的に理想とされる7000歩(約5km)を年中休み無く歩いたとしてもその10足が1000kmを踏破するまで約2000日(5年半)かかります。アメカジ野郎ならその5年半の間スニーカーを買わないなんてことは不可能でしょうから、アメカジ野郎がちゃんとスニーカーを履き潰すことはほぼ不可能だと思われます。

しかし、アメカジ野郎は必ずこう言います「スニーカーなんて履いてナンボ」と。この言葉を吐いたことのないアメカジ野郎はいないはずです。とうてい履きこなせない大量のスニーカーを買わされ、その保管に頭を悩ませ、それでもスニーカーが何も与えてくれないのでちっとも満足できないため常にスマホの通知に怯えながら新しいスニーカーをチェックし続けるという理解しがたいスニーカーの下僕であるにも関わらず、決して自分はスニーカーに操られてなどいない、自分はアウト・オブ・コントロールな状態になんかいない、こんなにたくさんのスニーカーを従えて、しかもどんなレアなスニーカーでも履いちゃう自分は「凄い」んだよと聞かれてもいないのに独白しているのです。

しかし、「スニーカーを履く」ことがなんの自慢になりますか。二歳児なら一人でお靴が履けたらみんなに笑顔で拍手をしてもらえるでしょう。スニーカーは履けますよ、誰でも、大人なら。誰一人、アメカジ野郎のようにスニーカーを履くためのハードルを持つ人間などいないのです。

アメカジ野郎は何足も何足買わされた合わせにくいスニーカー(しかも他人の評価で買っているので自分の足にちっとも合っていない)からなんとか今日履くスニーカーを選び、ラップを解いて防水スプレーをかけ、プラスチックの板を突っ込んでやっと足を通したスニーカーが崩壊することが恐ろしくて仕方ないのですから、そんな困難を乗りこえて「履いてナンボ」と決めポーズをしている自分を褒めてほしいのかもしれませんが、靴を履いただけで他者を称賛するのはハッキリ言って無理があります。

「スニーカーなんて履いてナンボですよ」というスニーカーマニアのアメカジ野郎に、「私もスニーカーくらい履けますけど」と言ったところで、アメカジ野郎はどう反撃できるのでしょうか?彼らが、なぜ好きなはずのスニーカーを履くだけで、所有するだけで一苦労しなければならないのか理解できるとは思えません。彼らは自分がスニーカーの知識を人一倍持っていると信じていますが、実際には買えば買うほどスニーカーを履きにくくなっているのですから虚しいものです。一度読めば十分用をなし、保管に気を使わない「積読」とも違い、大金を払って持ち主をなんの成長もさせず、履いている瞬間以外はただ邪魔で不潔なだけのスニーカーが部屋の中で常に劣化し続けていてるというのに、なぜアメカジ野郎はスニーカーを買い続けるのでしょうか。

結局のところ、それは心のアンバランスさなのでしょう。アメカジ野郎は、スニーカーを買ってワクワクした少年時代の思い出を大切にして懐かしめばよいというのに、いつの間にか「スニーカーを買うことは楽しい」から「スニーカーを買わないことはつまらない」という錯誤に陥り、「スニーカーを買い続けなければいけない」という呪いを自らにかけているのです。とても手に負えないほどのスニーカーを崩壊させながら、何を履いて良いのかもわからず、ほんの数回しか履かないスニーカーを次々と買ってはまた途方に暮れる暮らしです。どんなレアスニーカーを持っていても、それを履いたとしても、家にラップをしなきゃいけないスニーカーがあるだけで人生がとっちらかっていることが明白です。ちゃんと自分の人生に向き合って、自分を大切にしている人はスニーカーにラップなんかする未来を望んでいますか?大切な自分にラップを巻かせるスニーカーは何様ですか?

世の中には、優しい人ばかりです。あなたがどんなスニーカーを履いていようと受け入れてくれる人は大勢います。そういう人を見つけて、心を通じあわせて生きる未来を選ぶことは、本当は誰にでもできるのです。レアスニーカーを競い合い、皺や黄ばみを目ざとく見つけて指摘してくる人から尊敬を集めてなんの意味があるのでしょうか。案外、アメカジ野郎もその虚しさはわかっているからこそ、少しでも分が悪くなると「こんなの自己満足だけどね」と言い訳をしてドロンしようとするのですが、そうは問屋が卸しません。本当は「僕のことを尊敬してくれ」と言いたいんではないか?ということは誰もが気づいてあげられています。

私だったら、アメカジ野郎のスニーカーうんちくをずっとずっと聞いてあげることだってできます。そんなに物知りな君はすごいね、もう何も覚えなくたって良いくらい凄い、これ以上スニーカーを買わなくたって凄い、それより、サイズのピッタリ合った靴をはいて出かけようよ、君と行きたいところがあるんだと言いたいです。

彼らがまだ見たことのない世界へ、部屋中を埋め尽くすスニーカーは連れて行ってくれません。人を連れ出してくれるのはやはり人なのです。決して抽選でも古着屋でも買えない、人なのです。彼らがもう自分の履物なんかどうでも良かったんだと思えるまで、部屋中を埋め尽くすスニーカーが全部加水分解してしまってもそれでもキャンセルできないやりたいことを見つけるまで、私はアメカジを糾弾しつづけます。

また、アメカジ野郎の好む履物であるブーツについても近いうちに批判を行いたいと思います。その時はよろしくお願いします。

今回もお読み頂きありがとうございます。

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