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鉛の棺の数奇な運命

「福者Idesbald」という修道士が,今回紹介する研究*1の主役です.彼は,12世紀ベルギーのとある町の大修道院長で,1167年に亡くなり,シトー修道会のしきたりからすると稀なことに,鉛でつくられた棺に葬られました.

古文書の記録によると,福者Idesbaldの葬られた鉛の棺は,埋葬から70年経った1237年に開かれ,中身が確認されました.鉛の棺はその後再埋葬されましたが,そこからさらに400年ほど経った1623年にふたたび掘り出され,開かれて,中身が確認されました.棺はその後も開かれ,ふたたび閉じられ,そうしたことがたびたび繰り返され,現代に至ります.

このたび,Van Strydonck博士らの研究グループが,この鉛の棺を新たに開き,最新の考古科学の手法で中身 (人骨と,そのほかのモノ) を細かく検証した結果が論文として発表されました*1.今回の記事ではその成果を紹介します.


棺に入っていた「チョーク」

鉛の棺の底にチョークがみつかったという記述が古文書に残されていました.研究者たちが,棺の底からみつかったそれらしきかたまりを分析してみた結果,これはチョーク (カルシウム炭酸塩) ではなく,鉛の炭酸塩化合物であることが明らかになりました.研究者たちは,腐敗した遺体由来の液体が鉛と反応して,そうした化合物が生じたと考察しています.

1623年に開かれた際,棺からは「水」があふれ出てきたという記述も古文書に残されていました.鹸化という作用で遺体の軟部組織が液状になった結果,「水」が生じ,さらに,この「水」が棺を構成する成分である鉛と反応して,鉛化合物の「チョーク」ができたと考えると,いろいろなことがうまく説明できると,研究者たちは述べています.


福者Idesbaldにしては若すぎる年代

研究者たちは,遺体の骨と,棺の内部からみつかったウールの布の切れ端について,年代を測定しました.ウールの布は前述の鉛化合物のかたまりの中からみつかっており,遺体が腐乱する前に,すでに棺に入っていた (おそらくは遺体が着ていた衣服の破片である) と考えられます.

年代測定の結果,遺体も布も,15−17世紀のものであることが明らかになりました.福者Idesbaldが亡くなったのは12世紀ですから,鉛の棺に入っていたのはもっと後の時代の人であることがわかります*2.つまり,福者Idesbaldと伝えられていたこの鉛の棺の主は,福者Idesbaldではない別な人物だったのでした.


匂い消しにハーブを…

鉛の棺のなかには,植物の繊維も大量に残っていました.実際,古文書にも,1624年に棺が開けられた際,ローズマリーやアブサンのような甘い香りのするハーブが入っていたとの記述が残っています.

研究者たちの分析の結果,この繊維は,「ライムツリー」と呼ばれるシナノキの樹皮と同定されました.また,この樹皮は,松脂や琥珀でさらに香りづけされていたことも明らかになりました.年代測定の結果,樹皮は17−18世紀か19−20世紀のもので,遺体の年代よりも新しいことがわかりました.

古文書には,17世紀になって鉛の棺は何度も開けられるようになり,そうすると遺体が急速に腐敗していったとの記述が残っているそうです.この香りづけされたシナノキの樹皮は,腐敗した遺体の匂いを緩和するのに使われたのだと,研究者たちは考えています.実際それ以降の古文書の記述を見ると,「すてきな香り (1624年,1635年)」「悪い匂いはしない (1726年,1793年,1833年)」と,棺に樹皮を加えた効果がうかがえます.


おわりに

古文書に記された情報を解読するだけでなく,物言わぬ人骨や,人骨と一緒に出てきたよくわからないモノに考古科学の手法を適用すれば,なんともまあこんなに具体的に,彼らのたどってきた歴史が復元できてしまう!という驚きを,私はこの研究論文を読んだときに感じました.分析の技術も日増しに進歩しており,将来的にはもっとさまざまなことがわかってくるかもしれません.なんとも楽しみですね.

(執筆者: ぬかづき)


*1 Van Strydonck M, Boudin M, Van den Brande T, Saverwyns S, Van Acker J, Lehouck A, Vanclooster D. 2016. 14C-dating of the skeleton remains and the content of the lead coffin attributed to the Blessed Idesbald (Abbey of the Dunes, Koksijde, Belgium). J Archaeol Sci Reports 5: 276–284.

また,「福者」については以下を参照ください.

福者 - Wikipedia


*2 前述の「チョーク」と伝えられていた鉛の化合物についても年代が測定された結果,骨の年代と非常によく一致したそうです.このことは,遺体由来の物質と鉛が反応して鉛の炭酸塩化合物が生成されたとする前述の議論と矛盾しないと,研究者たちは述べています.

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