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我が魂の血族

■万能パラダイムを求めて

誰しもハイティーンぐらいになると「私は何者か?」「人生とは何か?」「この世界はどのように成り立っているのか?」「私はどのように生きるべきか?」といったことを考え始めるだろう。
私も高校生ぐらいのときから哲学や心理学に興味を持ち、その手の本を読み始めた。
大学のとき、学部は法学部を選んだものの、法体系あるいは法哲学といったものにのめり込むことはできなかった。はっきり言って、法律とは欠陥だらけ、穴ぼこだらけのパラダイムであり、法律でカバーできない体系などいくらでもあると思ったものだ。

私は法学部に所属しながら、文学や心理学や美学などの講義にも顔を出したが、どれも満足のいく内容ではなかった。結局私は、自分の知的好奇心を全面的に満足させてくれ、私自身の、そしてこの世界の全体像を提供してくれる万能なパラダイム(全体地図)を欲していたのだと思う。もっと平たく言うなら、この一冊、あるいはこの著者の本さえ読んでおけば、すべての疑問に答えが出せ、人生に迷うこともない、と思えるものの考え方ということだ。そういうものと出会えたなら、たとえそれがどんなに難解なものでも、辛抱強く読み続ける自信と意欲だけはあった。
当時の最先端のパラダイムと言えば、現象学、実存主義、構造主義などのポストモダン思想、文学でいえばヌーボーロマンやラテンアメリカ文学、日本人作家としては大江健三郎など、ずいぶん読み漁ったが、どれも万能なパラダイムとまではいかない気がしたものだ。
「何かが違う。何か決定的に重要なものが欠落している」
私は、大学の講義そっちのけで、とにかく古本屋という古本屋を徹底的にしらみつぶしに巡り、自分の知的好奇心を刺激される書物は、ジャンルを問わず、お小遣いの許す限り片っ端から買い漁った。その習慣は今でも続いている。そのようにして収集した蔵書はおそらく5000冊を超えるだろうが、その99%はせいぜい飛ばし読みか、あるいはまったく読まずに死ぬことになるだろう。自分でも悪あがきだと思う。愚かな話だ。

そんな中で、この本は、あるいはこの著者は、生涯丹念に読み続けることになるだろう、と思えるものに出会ったのは、30を過ぎ、そろそろ40代を迎えようか、という時期のことである。
ちょうどその頃、私は全面的な「生き直し」を強いられていた。それまで私はIT業界で仕事をしていたが、銀行の第一次オンライン化事業が終結したというタイミングもあり、その分野での仕事が、一夜明けたら手の平を返すようになくなってしまった。その頃フリーランスで仕事をしていた私は路頭に迷い、生活のために工事現場のアルバイトもした。
しかし、そうした悪あがきが身につくはずもなく、私はついに、まったく別の人間に生まれ変わる決心を固めた。
「今まではコンピュータテクノロジー一辺倒だった。それはいわばデジタルな世界であり、ゼロか1かという明確な正解がある世界だ。これからはアナログ世界、特に明確な正解のない人間の心をもっぱら扱う生き方に変えよう」

■4人の「魂の血族」と出会う

この時期に私は、生涯つき合うことになるだろう著者たちと次々に出会うことになった。まずはユング派心理学者のジェイムズ・ヒルマン、同じくユング派心理療法家のトマス・ムーア、少し系統は異なるが、人間性心理学のエドワード・L・デシ、そしてケン・ウィルバーである。ヒルマンとムーアは実際に朋友であるため、どちらかに注目するなら、もう一方にも注目するだろうことは、事情を知っている人ならすぐに納得するだろう。お互いにソウルメイトであると公言しているヒルマンとムーアの親和性を、今さら私がああだこうだ言う必要はないだろう。この二人は間違いなく魂の兄弟だ。
しかし、他の著者は個々バラバラな理論を展開しているように見えるかもしれない。それでも、なぜか私の中では直観的にこの4人の間に血族関係のようなものを見出したのだ。
以来私は、年齢的な意味においても、ヒルマンを我が魂の父親、ムーアとデシを魂の叔父、そしてウィルバーを魂の兄と位置付けている。私は、この4人が自分の中でどのように魂レベルでの血族関係かを、生涯をかけて立証していくつもりである。
ここで熱心な読者のために、簡単に読書案内をしておこう。
まずケン・ウィルバーだが、すでに20冊は出版されている邦訳書のうちから、特にお薦めの一冊を選ぶのは至難の業だ。ウィルバーの読書案内は、おいおい詳しくやりたい。
「どうしても」という方には、次の映像をご覧いただきたい。

あとの3人に関しては、「読むならこの一冊」というのを推薦できるので、それを以下に挙げておく。
○ジェイムズ・ヒルマン「魂のコード」河出書房新社
○トマス・ムーア「ソウルメイト、愛と親しさの鍵」平凡社
○エドワード・L・デシ「人を伸ばす力」新曜社

■ウィルバーvs残り3人

ウィルバーは言わずと知れた全体論者である。この世の森羅万象を、物理的な事象から人間の内面に至るまで、首尾一貫した統合的な概念で説明しようとする人である。したがって、私の興味は、残り3人の考えが、ウィルバーの統合理論の枠組みにどれだけ収まるのか、あるいははみ出すのか、ということである。そこで、いちばん年下の血族である(と思っている)私の課題は、ウィルバーと残り3人の考えをひとつひとつ丹念に比較してみる、ということだ。

ウィルバーともうひとりの考えを、自分の中で融合させる試みとして、まず最初に私が選んだのはトマス・ムーアである。「インテグラル夢学各論編」において、私はトマス・ムーアの魂理論とケン・ウィルバーのインテグラル理論を徹底的に比較し、この二人の思想家が、「魂」という概念をめぐり、極めて親和性の高い考えを持っていることを証明してみせたと思っている。

そして、今「ヤル気を伸ばす」というシリーズで、デシの理論とウィルバー理論の融合を目論んでいる。この二人の考えも、それぞれ観点やアプローチは異なるものの、微妙に重なっていると、私は見ている。ウィルバーは(もちろん本人の実体験も含まれているだろうが)どちらかというとメタ理論である。デシは明らかに実験による実証主義だ。しかし、そうした異なるアプローチによる結論は似通っている。この二人は、理論において「相補的」であると言って差し支えないだろう。ウィルバー理論の足りないディテールをデシが補い、デシが体系化し切れていない部分を、ウィルバーの全体論が補っている。

さて、残っているのがヒルマンとウィルバーの融合である。私の中では明らかに親子関係に見えるこの二人の相性は、表面上は決してよくない。こうした相性の悪さは、実際の親子関係にもしばしば見られることではある。しかし、私に言わせると、「魂」の存在に対する二人の見解は決して相容れないものではない。私からすれば「いかにも父親と長男だなあ」という具合いに見えるのである。
どうやらこの親子を和解させることが、私のライフワークになりそうだ。
この困難な取り組みの着地点こそが、私自身の「魂理論」の到達点ということになるのかもしれない。

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