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「ウィルバー・モデル」から「AKモデル」へ(その1)

■この記事の要約

「自己」とは、無意識に端を発して、意識に浮上してきたもの、すなわち現段階で「これが私である」というふうに意識(認識)できているものの総体である。「自己システム」とは、そうした「自己」が持つ性質や働きや構造である。「自己システム」とは、発達の乗り物であり、発達によって「下位を含んで超える」かたちで徐々に「開き出されて」いくものであり、究極的には必要なくなるものである。
ある発達段階における「自己システム」は、「基底無意識」に端を発する「深層構造」を「土台」とし、表層構造というパズルのピースをその土台に埋めて(経験して)いくことによって形成される。
「抑圧」とは、いったんは無意識から意識へと浮上してきたものが、自己システムの防衛的な側面によって、再び無意識(潜在的無意識)に突き返される現象を言う。抑圧が起きている間は、「変換の繰り返し」→「変容」というかたちでの正常な発達が阻害される。
ウィルバーは、初めから抑圧には関係なく、中身のない器ないし形式だけの「基底無意識」の一側面であるはずの「埋め込まれた無意識」が抑圧の主体であると考えている。この考えでは、すべての人に生得的に用意されている発達の支持母体であるはずの「基底無意識」に、発達をめぐって「作用」と「反作用」が同居していることになってしまう。
AKモデルでは、表層構造によって選択された「ジグソーパズル」のひとつひとつの「ピース」を、深層構造という「土台」に埋めていくか、それとも拒否するか(変換するか、それとも誤-変換するか)を決めている「主体」は、「自己システム」である。
そこで、AKモデルでは、「成長・発達に対する自己防衛的反作用を引き起こす自己システムの要素」を「自我」と呼ぶ。
すなわち、発達のある段階の深層構造が形式あるいは形態を規定し、表層構造がその規定の範囲内で(あるいはある事柄のその規定から外れない側面だけに限って)内容を自由選択したものに対し、「自我」が「自己の正常な維持にとっては過酷で耐えられない」と判断したなら、それをゆがめ、削除し、置換し、凝縮させる(つまり誤-変換する)。
こうした「自我」は、変容が起き、意識が一段上の構造を獲得し、下の構造を認識の対象とすることができたとき、まさにその認識の対象となるものであり、そのときには勢力としては以前より一段階弱体化している(自己中心性がより少なくなっている)。
ただし、自我は、基底無意識の超個的な(微細レベルの)部分を、まだ発現していない段階で抑圧する可能性を秘めている。
自己システムは、特に発達の初期段階において、「AとBの違いを見抜き、AからBを分化する」方に慣れている。そうした自己システム(主に自我)の振る舞いが、無意識的に見えても何ら不思議ではない。したがって、AKモデルでは、自己システムに「埋め込まれた無意識」を想定せず、別のものが埋め込まれているとする。

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