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コロナ禍を夢で読み解く(その1)

<夢の公共性実験の重要事項>

わが師・大高ゆうこ先生を中心とする私たち「ベテラン・ドリーマー」グループは、一年前の2020年5月に、「新型コロナウイルス」に関して、夢からメッセージを受け取る実験の第一弾を行った。そして、つい先日第二弾を行った。この実験は、今後も続けていく予定だ。
とりあえず、第一弾の報告をしておこう。(第二弾は、次回報告予定)

日本の新型コロナウイルス受難は、2020年2月のダイヤモンドプリンセス号の検疫から始まったと言える。1月30日にWHOが緊急事態宣言を出し、船は2月3日に横浜に入港。その後3月にWHOがパンデミック宣言をして事態は本格化する。
しかし実際には、中国で重篤な肺炎を引き起こす新型ウイルスが確認されたという報告は、遅くとも2019年12月時点ではなされていた。そこで、私たちのグループは、2019年12月から2020年1月・2月ぐらいの間には、新型ウイルスが人類に何をもたらそうとしているのか、多くの人が夢で何かを受信している可能性があるという仮説を立てた。

つまり今回は、「コロナ禍直前の3カ月間に複数の人がみた夢から、コロナに関連がありそうな共通項を洗い出してみる」ということである。疑い深い向きは「10年前の任意の3カ月間の夢を集めても、同じような共通項が出るかもしれないではないか。それでコロナ禍を予言したことになるのか?」と言うかもしれない。
おっしゃる通りだ。コロナ禍直前の3カ月間の夢が普段とは違う特別な傾向を示しているかどうかを検証するには、年間を通して複数の人の夢をモニターしておく必要がある。それはなかなか困難なことだ。
ただし、社会的文脈の中で生きている人間が、たとえば戦争だとか天変地異などを経験したときに、夢に特定の傾向が現われるか、というようなテーマなら、その出来事の前後、あるいは真っ最中の夢を収集してみるだけでも、立派な研究テーマとなり得るだろう。「ベトナム戦争帰還兵が共通にみる夢とその意味は?」といったテーマは、趣旨としては同じだ。逆に言えば、「どのような夢をみなくなったか」という視点を導入するなら、コロナ収束へのカギ(出口戦略)が見えてくるかもしれない。
もうひとつ重要なことは、この実験は「新型コロナウイルスが人の夢にどのように表れるか」という実験ではない、ということだ。「新種のウイルスの蔓延といった現象が起きたとき、その国、その時代の人々にどう影響するかを、夢を通して検証してみる」ということである。ウイルスそのものが動き回って感染を拡げるのではない。人の動きに連動して感染が拡がるという点が重要だ。つまり、人の行動とそれを引き起こすメンタリティ(特に無意識的な行動)がコロナ禍を引き起こしているということだ。
今回の実験は、同じ文化、同じ社会体制の中で、同じ時代の空気を呼吸する人たちが、ある共通の出来事に遭遇したとき、それがどう夢に表れるか、ということなので、やはりその出来事の周辺の夢が対象になってくる。より厳密に言うなら、たとえば3.11周辺の夢と、今回のコロナ禍周辺の夢とを比較してみたら、もっとハッキリした傾向が出るかもしれない。逆に似たような傾向だったら、日本人にとって、3.11の災厄とコロナ禍は、似たような意味を持つということが証明されることになる。
個人的な夢の傾向は、その出来事とドリーマーとの社会的距離感によっても変わってくるだろう。したがって「コロナ禍と人間」というテーマでこの実験をやるなら、なるべく様々なタイプや立場の人を被検者にするのが理想かもしれない。
被検者のタイプや人数なども変えながら、この実験を続けることが、今後の課題だろう。もちろん、参加人数が多ければ多いほど、公共性が担保されるはずだ。

<今回の実験の概要>

というわけで、2020年5月、大高先生の呼びかけで、5人のドリーマーが招集された。先生も含めたこの6人は、いずれも日常的に夢の記録をつけている「夢強者(ゆめつわもの)」である。その6人の2019年12月から2020年2月までの夢を集めて共通項を洗い出し、何かしらコロナがらみのメッセージと思われるものを抽出してみようというわけだ。その中に私も含まれていたが、残念ながら私はその時期、著書の原稿執筆が立て込んでいたため、夢日記をサボっていた。大高先生からのご提案で、2019年4月に私がみた例の「首都崩壊」の夢が、直接コロナ禍を暗示しているのではないかということで、私はその夢を提出することでの参加となった。夢は時空を超えているという意味では、ちょっと時間的距離のある夢でも、時代の空気を反映しているという意味では、まったく関係ないということはないだろう。

合計66個の夢が集められ、同月リモートミーティングにて検討会が開かれた。
提出された夢のいちいちをここには書かないが、その検討会で出された、複数の人の夢に表れた共通のシンボル、イメージ、感覚、感情などを、主なものだけ列挙してみよう。

〇「あちゃ、やってしまった」という感じで、じわじわと広がる感覚。これは、ちょっとした不注意や油断、気のゆるみによって感染が広がることを物語っているか。
〇トイレ(トイレの窓から世界を見ている。トイレの個室性が担保されない、など)。これは、テレワークや自粛生活での息苦しさを物語っているか。
〇服が薄くて寒々しい、服と死が直接結びついているイメージ(白衣の人の死など)。夢に表れる「服」は「ペルソナ」といって、私たちが普段対外的に見せている「仮面」を表す。たとえば、社会的地位、役割、職業など。職業上の受難や医療崩壊が予見されているか。夫婦の場合、妻ではなく夫が死ぬ、という例も。「失業」という「社会的な死」は、主婦よりも夫の方が直接的だろう。
〇普段、アジアの国の夢などみたことがない人の夢に、「台湾だから信頼できる」というメッセージが表れた。台湾は、世界に先駆けて「コロナ封じ」に成功してみせた国である。
〇「お金を借りる」、スポーツ選手のトレーニング場、劇団などの公演、大きなホテル、旅館、学校、宿など、その後のコロナ対策に直接関係する事柄も登場。
〇夫婦、自宅の部屋、食べ物など、家庭での日常生活を暗示するものも登場。
〇自己成長か社会的役割か、どちらかを選ぶという暗示も。こういう身の振り方を迫られている被害者も大勢いるはず。
〇ワクチンに対する嫌悪感のようなものを暗示する夢もあった。
〇私の「首都崩壊」の夢はロックダウンを暗示しているか。ガラス張りのビルが崩壊する夢をみた人もいたが、それは物理的な崩壊ではなく内側からの崩壊であるという暗示。その他にも、「倒壊」という共通項あり。これは、価値観や制度の崩壊を暗示しているか。コロナで社会インフラが壊れてもおかしくない。ただし「崩壊=新しい体制の兆し」と捉えることもできる。
〇悪い状況の夢でも、だいたいの人が冷静に振る舞っているのが印象的。
〇普段は裏側に隠れているものが「見える化」するという暗示も。人は見えないものには不安を感じるが、いったん見えてしまえば悪いことでも冷静に見られる、ということか。

以上のようなことが、日本でのコロナの蔓延や対策がまだ具体化していなかった2020年2月以前の時点で、すでにドリーマーたちの夢に表れていることは興味深い。

<結論:万人に共通するコロナ収束のカギ>

夢はもちろん個人的なものだが、そこから普遍的なメッセージを読み取ろうというのが、とりあえず今回の試みだ。したがって、メッセージは、個々の夢の具体性から出発して、より抽象度の高いものへと変換されることになる。
今回の実験で特筆すべきことは、夢の提供者と、集まった素材を分析して整理し、ひとつのメッセージへとまとめ上げる作業をする人を分けた、という点だ。情報の分析・整理には、極めて客観的で論理的(ある意味、情報工学的)な手法を用いている。この作業をした人は、夢にはいっさいかかわっていない。その分、出てきたメッセージは優れて抽象的(ある意味形而上的)であり、より客観性が高いと思われる。これも実験的な試みだった。
情報の分析・整理の際に掲げたテーマは次のもの。
「2019年12月から2020年2月までの複数の人の夢で、コロナ禍はどこまで先取りされていたか。コロナ禍の解決策は示されているか」
分析・整理の結果、まとめられたメッセージは以下のようなものだった。

『今まで、見て見ぬフリを決め込んでいた内的・外的な要因、たとえば「やらなくてはいけないと思いつつやっていないこと」や「自分が誰か・何かに嫌悪感を抱いている」といったこと、あるいは仕事の疲れや、身近な人の死に対する悲しみや自分の死に対する不安といったこと、そういう事柄がネガティブなイメージとして皆の夢に表れている。
それは、コロナ禍の現状に対する究極的な不安と死の恐怖を先取りしているだろう。
解決策としてイメージされるのは、皆がポジティブな将来を期待していると同時に、自分自身も過去と決別して新しい一歩を踏み出したい欲求も示されているため、どっちつかずの状態から脱却し、ネガティブをポジティブに変換することで、コロナ禍からの脱却も計れるだろう、ということ。』

個人がコロナ禍から受ける影響の大きさ、コロナ禍からの距離感といったものには明らかな差があるだろう。ウイルスに直接感染する人、感染はしないにしろ商売(仕事)が立ちいかなくなる人、コロナに伴う偏見や差別を憂いて自死する人、ほとんど何も実害を受けずに「対岸の火事」を決め込む人、などなど。
しかし、今回の実験であぶり出された結果は、そうした外側からもたらされる要因だけではなく、内側に隠れている要因にも、コロナが揺さぶりをかけていることを物語っている。私たちが普段見て見ぬフリをしている内面の「死角」のようなもの。コロナ禍といったことが起きなければ、ついつい棚上げにしたままだったであろう内面的な課題。
そうした課題に対して、どっちつかずでいる私たちに、コロナ禍は改めてそれらを突きつける役目を果たしてはいないだろか。
たとえば「私のやっていることは、本当に誰かを幸せにしているだろうか、人類全体の発展に貢献しているだろうか」「私がついつい棚上げにしている個人的課題が、誰かを傷つけたり、損害を与えたりしていないだろうか」「私の今までの生き方はもはや通用せず、完全な生き直し、人生のリセットを迫られてはいないだろうか」などなど。
このような未知の新型ウイルスによる感染症の蔓延といった事態がなかったら、私たちは自分が「憂さ晴らし」のようにして行った行動が、どこかで誰かを死に追いやる結果になったり、ウイルスの変異に手を貸す結果になったり、といったことを意識しただろうか。
新型ウイルスの出現が、新しい問題をもたらしたかに見えるが、実はすでに水面下にあった問題を表面化しただけなのかもしれない。そういう意味では、どれだけウイルスから距離を置き、三密を回避し、自粛生活を送ろうが、火の粉は万人に降りかかる。誰も無傷ではいられない。
実は、「あることをきっかけに、潜伏していた様々な問題が露呈する」という現象は、今に始まったことではないのだ。バブル経済の崩壊のときにも、3.11(震災、津波、原発事故)のときにも、似たような「地下水の噴出」現象はあったのだ。部分的な噴出現象なら、年中起きているとも言える。もちろんそれは、永田町や霞が関だけの問題ではない。
今回のように、きっかけがウイルスになったとき、特定分野の問題でも、局地的な問題でもなくなった。誰が加害者で誰が被害者か、という問題ですらなくなった。外側だけの問題ですらなくなったのだろう。
コロナ禍が収束するのかしないのか、私たちはコロナの収束に意識的に拍車をかけることができるのかどうかは、私たちひとりひとりが、この問題を自分事として(特に自分の内面の問題として)捉え、その問題に全面的に関わり、乗り越えることができるかどうかにかかっている。逆に言えば、心の内側にあるものに対する「隠蔽体質」こそが、問題を引き起こしている、もしくは問題を悪化させている、とも言える。
アインシュタインも言っているように、問題を創り出したのと同じ意識レベルで、問題を解決することはできない。コロナを収束へと向かわせたいなら、私たちはコロナ以前の意識レベルをさっさと卒業しなければならない。

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