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「私はこうして夢を学んだ」(その9)

私は去年、「インテグラル夢学」という体系をまとめたわけですが、その基本中の基本として「夢の王国憲法全12条」というのを案出しました。まさに「夢の法」の基礎となるものです。
その「第十条」に「夢と現実を認識する5段階進化」というのがあります。
私たちが夢をみるという現象は、眠りと覚醒の間にあるものではなく、夢によって夜の国に覚醒する(いわば夢において完全に覚醒する)ことを意味します。ただし、この現象はいきなり起こるわけではなく、それに至るまでには、5つの段階を経る必要があると私は考えています。
これらの段階を、私が辿ってきた40年を大雑把に振り返りながら見て行きましょう。

1. 夢と現実の未分化段階

私は22歳のとき、本格的に物書きを志し、その手始めとして、現実と夢の両方をランダムに書く日記を自分に課しました。今その日記を読み返すと、物書き一年生である私は、現実と夢が未分化な状態であったことがわかります。
実は意図的にそうしていたのです。なぜなら、自分で自分に制限を与えたくなかったため、何かを選んで書くのではなく、とにかく思いついたことを片っ端から書きなぐることを自分に課していたのです。人に読ませるわけではなかったので、それでよかったのです。

2.夢と現実の分裂段階

「分別せずにものを書く」という作業を一年続けた後、私は実社会に出ることを決意します。
予想はしていましたが、それはもっぱら昼の王国に籍を置き、夜の王国に対して鎖国することを意味していました。
20代後半から30代前半にかけて、とにかく私は現実の仕事に追いまくられて、夢を省みる暇がない生活を送っていました。この時期の日記には、夢の記述がまったくありません。つまり、私の中で、夢と現実が分裂し、その片方である夢を、まるでなかったことのように扱って(無意識の中に抑圧して)いたわけです。

3.夢と現実の差異化段階

バブルが崩壊し、それまで築いてきた現実の仕事でのアイデンティティを完全に失った私は、思い切った逆転の発想で、夜の王国に対する鎖国を解き、夢学の師匠との出会いにより、夢について本格的に学び始めます。
この時期の日記は、現実の出来事より夢の記述の方が断然分量が多い、という逆転現象を起こしています。まるで、現実の生活には大して書くべきことがなく、夢の世界の方が豊かである、と言わんばかりです。
普通の成人なら、現実の生活に軸足があり、夢はむしろ「取るに足らない絵空事」と認識するという「差異化」のあり方だろうと思いますが、私の場合はまったく逆だったわけです。

4.夢と現実の統合段階

夢を現実から差異化する段階を経て、私はいよいよ現実と夢との統合段階に入ります。その一環として、新しい夢学の体系化があったわけです。ここまでくるのに40年かかったことになります。
この統合段階では、夢と現実の差異ははっきり自覚しつつも、両者を平等に扱い、夢の存在意義についても充分に理解し、夢が実際に現実にどのような影響を与えるのかも実感している状態です。当然他人の夢に対しても、同じように扱うことができるでしょう。

5.夢と現実の超越段階

最後に待っているのは、「夢と現実」という二項対立を「含んで超える」段階です。これは、夢と現実を常に同じひとつの基盤の上に乗せて、いわばどちらも客体として扱っている状態です。つまり、夢と現実の両方を内側に内包しつつ、なおかつそれらを超越する視点に立っているわけです。
統合段階が「私は昼の国と夜の国の両方に住民登録している」であるのに対し、超越段階は「私の中に昼の国も夜の国も存在している(世界は私の内側にある)」ということです。夢の王国憲法の観点からすると、「超法規的状態」と言えるでしょう。つまり、いかなる法体系からも解放され、完全に自由で、法だけでなくあらゆる「体系」の外にいる、ということです。いわば「夢においても現実においても、常に同じ覚醒状態にある」ということですから、「夢において完全に覚醒する」という現象は、この段階に至って初めて起きるわけです。
私はまだこの段階に至っていません。


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