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ウィルバー理論解題(その2):この世はすべてホロンでできている

ひとつの思考実験を試みてみよう。
想像してみていただきたい。
物理学者、生物学者、人類学者、社会学者、宗教学者、心理学者、教育学者、哲学者など、あらゆる学問分野の専門家が集まって、国際会議を開催したとする。議題は「すべての学問分野を統合する理論は可能か」ということ。
そこで、それぞれの専門家が、それぞれの分野での最新の研究成果を持ち寄って、比較検討した。それぞれの分野にかけられた「ベール」を一枚一枚はがして行ったとき、その中心には何があるかを突き止めようというわけだ。
すると、どこかしら似通った構造があることを発見する。それを一言で言うなら「ホロン」となる。これは日本語では「全体子」などと訳されているが、要するに「ある文脈において全体であると同時に別の文脈において部分であるようなもの」のことである。「部分であると同時に全体でもある」という構造を示す概念だ。
たとえば、物理学や生物学の分野で言えば、電子や陽子や中性子は、原子という全体にとっての部分であり、原子は細胞という全体にとっての部分であり、細胞は有機体という全体にとっての部分である。
さらに、進化論の専門家たちから、「創発」という概念が提示された。創発とは、進化によって新しく出現した「全体」には、部分をすべて足し合わせただけではない、プラスアルファの「何か」が要素として必ず出現することを意味する。原子をいくら足し合わせても細胞にはならない。細胞には原子の集合体を内に「含んで」さらに「超えた」何かが加味されている。細胞をいくら足し合わせても有機体にはならない。有機体には、細胞の集合体を内に「含んで」さらに「超えた」何かが加味されている。このように「全体が部分を含んで超えている」構造体を「ホロン」と呼ぶ。
すると、心理学者たちが、最新の発達心理学や進化論的心理学の立場から言うと、人間の意識の成長・発達にも「創発」という現象が伴うと指摘した。人間の意識がいったん上位構造を獲得すると、それは必ず以前の意識を「含んで超える」何かになる、というわけだ。この意識発達の階層構造全体が何段階で構成されるかに関しては説が分かれるものの、最低でも「前-慣習段階」「慣習段階」「超-慣習段階」の3段階ホロン構造になっているという点で、全員が合意した。
社会学者からは、人間の社会構造の歴史が、原始的な「近親システム」に始まり、「村落システム」→「帝国システム」→「国民国家システム」→「惑星システム」という具合いに、旧いものが新しいものの部分であり、新しいものが旧いものの全体になっているかたちで、いわば社会ホロンの進化として説明できることが示された。
ホロン型の階層構造という点で、言語学者、脳科学者、社会コミュニケーション論の専門家なども、ほぼこれに同意した。

ここまでをまとめると、ホロン階層構造は、物質にしろ人の心にしろ、あるいはミクロにしろマクロにしろ、すべての分野、すべての断面、すべての「層」、すべてのレベルに浸透していることがわかったのである。

ところが、宗教学者からの報告が物議を醸した。
宗教学者は、あらゆる世界宗教の伝統的な体系の中に、「存在の大いなる入れ子」という考え方があることを提示した。これは「物質(肉体)→心→魂→霊」という具合いに、それぞれ下位概念が上位概念の部分として認識されている連続した体系を言う。これもホロン階層構造になっている、というわけだ。
すると物理学者から異論が唱えられた。「人間の心が物質に対する上位ホロンになっているというのか。心が物質を含んで超えていると?」
この異議に対し、脳科学者も呼応した。
「宗教学の考えでは、脳の中に心があるのではなく、心の中に脳があることになってしまう。そんなバカな話があるか」

これと同時に、物理学者たちは、時間の経緯を導入したとたん、ホロン構造性が成立しなくなると主張した。熱力学の第二法則で言えば、自然界は秩序から混沌の方へ不可逆的に進行する。コップの水にインクを一滴たらせば、水とインクは混ざり合い、よほどの人為的操作を加えない限り、二度と再び水とインクにきれいに分かれることはない。
つまり、物理法則と生命現象の間には、いまだに大きな壁があり、その壁を「ホロン」という概念で超えることはできない、というのだ。

すると、ある哲学者が語り始めた。
「確かに、ある一面からすると、自然界は秩序から混沌へと不可逆的に進行しているかに見える。そういう意味で、物質圏はある面をとってみれば確かに決定論的であり、機械のように力学的に振る舞う。そして停止に向かっていくものもある。しかし問題なのはそうした見方があくまで、ある一面からの見方である、ということだ。
たとえば、排水口から流れ出る水は、突然、混沌とした状態をやめて完全な漏斗の形を作り、渦巻きを形成する。つまり、物質的なプロセスが「平衡から遠い」状態となったとき、プロセスは自力でそこから脱し、より高度に構造化された秩序へとカオスを変容させようとするのである。
純粋に物質のシステムも、生命のシステムと同じ方向に『時間の矢』をもっているのだ。つまり、『物質は生命が誕生する遥か以前から自分を「進ませる」ことができた』のである。
これについてはまだまだ議論の余地があるだろうが、しかし大事な点は、『かつては全く克服しがたいように見えた物質と生命の間のギャップが、今や一連の大したことのないギャップに見え始めている』ということだ。
細かい点での調整は必要だろうが、物質圏であろうと、生物圏であろうと、心圏であろうと、全てに大まかに適用できるような一定のパターンは確かに存在する。知のあらゆる分野の統合は、いよいよ可能になってきたのだ。」

会場に拍手が巻き起こった。
しかし、その拍手が収まると、ポストモダニズムの思想家から異議が唱えられた。
「私は、全ての知の領域をホロンのような『階層性』の概念で結び合わせることには抵抗がある。そもそも、社会的な支配、抑圧、不正の真の原因は、この階層性にあるのではないか。この階層性こそが、いわば社会病理なのだ。ある考えを、ある考えの上位に置いたり下位に置いたりすること自体に病理性がある、と私は考えている。
生きとし生けるものは全て、生命の織物の平等な網目とみなすべきであり、本来その存在価値に順位や優劣をつけるべきではないはずだ」

すると、くだんの哲学者が言った。
「では、全てのものを平等に扱うべきである、というあなたの考えが、他のいかなる考えよりも正しく優れている、と主張する根拠とは?」

これを聞いたポストモダニストは黙り込んでしまった。

こうして、あらゆる知の統合を試みる第一回国際会議は閉幕した。もちろんこれで終わりではない。この国際会議は今後も続けられるだろう。

さて、この広範囲にわたる知の国際会議を、たった一人でやってしまったのがケン・ウィルバーなのだ。

「実在/現実(リアリティ)はモノあるいはプロセスから構成されているのではない。それらはまた原子あるいはクォークから構成されているのでもない。また全体からだけ、あるいは部分からだけで構成されているのでもない。リアリティは部分/全体であるホロンから構成されているのである。
原子、細胞、シンボル、観念のどれをとってもそうである。そのどれもモノともプロセスとも、また全体とも部分であるとも言うことはできない。それらはすべて同時に部分/全体である。したがって、すべては原子であるとする原子論、すべては全体であるとする全体論(ホーリズム)はまったく的外れである。すべてはホロンであり、ホロンでないものはない(そしてそれはどこまでも上昇し、どこまでも下降する)。
原子は原子である前にホロンである。細胞は細胞である前にホロンである。観念は観念である前にホロンである。それらはすべて他の全体の一部として存在している全体である。したがってそれらは(私たちがそこにいかなる「特別な性質」を発見するずっと以前から)、最初から、最後まで全体/部分、ホロンなのである。
同じように、確かにリアリティはモノではなく、さまざまなプロセスから構成されていると言えるかも知れない。しかしそのプロセスは、それ自体、他のプロセスの一部なのである。リアリティを基本的に構成する要素がモノなのかプロセスなのかというのは、ポイントが外れている。なぜならどちらにしたところで、それらはホロンなのであり、どちらかに片寄って見ることは的を外してしまうからだ。確かにモノは存在する。またプロセスも存在する。しかしどちらもすべてホロンなのである」(「進化の構造Ⅰ」より)


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