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ウクライナ問題に寄せて(その3):「百聞は一見にしかず」を疑う

私たちは、あまりにも視覚に頼りすぎていないだろうか?

もちろん、人から聞いた話より、自分の目で実際に見たことの方が信頼できるだろう。

「百聞は一見にしかず」などと人は言う。


しかし、ちょっと待っていただきたい。

私たちの誰も、物事のすべてをいっぺんに見ることができるわけではない。私たちの視界に入ってくるものは、物事全体の「一部」あるいは「断片」にすぎないのだ。


ひとつの例を示そう。

あなたは道を歩いているとしよう。

道の反対側に、一人の男が少し小走りに歩いてこちらに近づいてくるのが見える。

すると、さらにその男の遠方から、一人の女が何か叫びながら走って近づいてくる。

あなたが女の叫ぶ声に耳を傾けると、「泥棒! 誰かそいつを捕まえて!」と叫んでいることがわかる。

すると、男が後ろを振り向いて女の方をチラチラと何度か見たかと思うと、小走りだった歩みから突然スピードを上げて、女から遠ざかるかたちで走り出す。

これは、誰が見ても、その男が泥棒で、女から逃げようとしているように見えるだろう。


しかし、ちょっと待っていただきたい。

試しに、あなたがその道を通りかかる前の「映像」まで、巻き戻して見てみよう。

一人の男が道を小走りに歩いている。

すると、その男の後ろから、もう一人の男が現われ、猛スピードでその男を追い越し、走り去る。男は、そのもう一人の男を目で追う。

しばらくして、男の後ろから女が叫びながら走ってくる・・・。


あなたが、この光景の全体像を目撃していたとしたら、誰が泥棒なのかの判断は違っていたはずだ。しかし、あなたは自分が実際に目撃した光景だけで、事情を判断したのだ。


たとえば、テレビのニュースに映る映像は、物事のほんの一部ないし断片にすぎない。

その一部や断片で、わたしたちは出来事の事情を判断しているにすぎないのだ。

あまりに明白なことだが、テレビの画面には行為は映ったとしても、行為の理由までは映らない。

もちろん、男を追い抜いて走り去ったもう一人の男が本当に泥棒だったかどうかさえ、もっとよく調べてみない限り分からない。


政治的・軍事的プロパガンダとは、こうした見聞(現場の映像や誰かへのインタビューなど)の一部を見せたり聞かせたりすることで形成されることを、私たちは肝に銘じておく必要がある。

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