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"This is ACIDMAN"

アニバーサリーイヤーが始まるころには、この情勢が落ち着いていますように。そう願っていた。でも残念ながらそうはいかなかった、と思っていた。

ACIDMAN 25th Anniversary "This is ACIDMAN"
約2年ぶりのフルワンマンライブ、閉館が決まったZepp Tokyo、そして感染リスク。心中は複雑だった。
しかしライブが始まれば、そんな杞憂は吹き飛んでいた。

開演予定18時を少し回ったころライブが始まった。
入場曲はALMAより最後の国。
ライブに行く頻度が落ちたとはいえ、何度も聴いて叩いてきたハンドクラップは身体に染みついている。メンバーの登場を迎える力強いハンドクラップ。いつも見てきたライブの空気がそこにあった。

曲が終わり深々と頭を下げる大木。歓声の代わりに、メンバーへ大きな拍手が送られる。なかなか鳴りやまぬその拍手に、大木が何度も、ギターを構えては仕切り直す。みんながどれだけこのライブを待ちわびていたかがよくわかる。

1曲目は初めて出したベストアルバムの1曲目を飾ったto live。後ろのスクリーンにはMVでも使われているアフリカの映像が流れていた。そこから造花が笑う、FREE STARへと続いていく。ACIDMANを代表する曲たち。そしてスクリーンを流れるMVやライブで使われていた映像たち。曲だけでなく映像でも25年を振り返っているようだった。

声が出せない分、いつも以上に力強く手を叩いた。腕が抜けて飛んでいきそうなくらい腕を振り上げた。
誰かが言っていた。伸ばしたその腕は、バンドから放たれたエネルギーをキャッチするためのアンテナなんだと。ならば、その受けったエネルギーに自分のエネルギーを乗せて返そう。そのためのアンテナだ。

この日の為に何度も練習してきたと語る大木。約2年ぶりのフルワンマンライブ。もちろん以前のような座席指定なしのスタンディングではないけれど、今できるフルキャパシティで開催出来た。ライブハウスが安全な場所である証明されつつある。無観客のころと比べれば、もう7~80点はあげれるんじゃないかと。だから感染対策を守りつつ楽しもうと。

そんな気持ちはライブパフォーマンスやセットリストにも表れていた。各年代を代表してきた楽曲やインストゥルメンタルに加え、ある証明から飛光、world symphonyと続くタフな楽曲の並び。こちらが心配になるほどだ。そして、本編の最後はまさにACIDMANとも言うべき「廻る、巡る、その核へ」。
人はいつか死ぬ。その運命と向き合って生きていかなければならない。でも次の世界があるとすれば、その運命も受け止められるかもしれない。そんな気持ちにさせてくれる。

ライブ前から公言されていた通り、これぞACIDMANというようなタフな曲からバラードにインストゥルメンタルを交えたセットリスト。そして思わず笑い声が漏れてしまうように緩いMCまで、まさにThis is ACIDMANと言うべきライブだった。

「25年、お互いずいぶん年を取ったけど、これからも一緒に年を取って行こう」
そんな彼らに改めてついて行こうと思った。
25周年イヤーの開幕、心からおめでとう。

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コロナ禍になってから本当にライブに疎遠になっていた。少しづつライブが行われるようになっても、感染するかもしれない。感染したことにより周りに迷惑が及ぶかもしれない。
それがいつからか、外出自体がめんどくさいという思考に変わっていた。
家に居ても音楽は聴けるし、配信があればライブも見れる。
そもそもなんであんなにライブに行っていたんだろう。
本当に好きだった?誰かに会いたい?ライブ参加数への執着?承認欲求?
考えるのがめんどうさくなって気づけば距離を取っていた。

でも久しぶりにライブに参加して思ったのは、ただ純粋に楽しいということだった。別に音楽は何も解決してくれない。けど、この気持ちがあればなんとかなるような気もしてくる。だから何度もライブに行ってたんだ。
それでいいのだ。

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