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あなたがくれる、それは君の為の花


『日向坂で会いましょう』にて、通信簿と題しメンバーそれぞれの家族からのコメントを紹介して5段階評価で掘り下げるという企画があった。

 その中で宮地すみれが自分と家族の関係について、いつものように甘い声で「たくさん愛されてきた」と紹介した時、色々と納得感があったのを思い出す。
 この話題自体、以前別の場所でも宮地本人が語っていた記憶があるが、はっきりとはしない。ラジオだったか、何かのオフトークか、はたまた雑誌のインタビューか。もしかしたら、ミート&グリートの定点カメラにおける何気ない雑談の中だったかもしれない。
 しかし想起された感情が私の心の中にストックされていたものであることは確かで、それは宮地すみれに対して私が一貫した印象を抱いてきたことの証明でもあると思う。

 宮地すみれは愛の人だと思う。

 彼女には愛の才能がある。
 熱いお湯にかき混ぜれば、それはじんわり溶けていって、自分の愛の甘さをすべてに滲ませてしまう愛の才能。彼女の立ち回りをみていると、ついそんなことを考えてしまう。

 乃木坂46 5期生と言えば、個々のビジュアルや歌唱スキル、粒だった個性と現在における新人アイドルのトップランナーと言ってもいい期で、そのことについて多くを語る必要はないだろう。
 宮地すみれは、その乃木坂46 5期生オーディションの最終選考にまで残っていたことを、積極的にではないものの、セルフドキュメンタリー等で公表している。

 この5期生オーディションにおいても、そして日向坂46 4期生オーディションにおいても、オーディション同期から彼女の印象について共通しているものがある。それは他者への献身的な気遣いや、愛だった。
 自身も当然オーディションを受けている立場で、候補生で、多大なプレッシャーに晒され、ある種の残酷さの中で生殺与奪を握られている立場だ。そういった場で自分のことでいっぱいになってしまうのは至極当然で、そのことがおかしいなんてことはちっとも思わない。実際、乃木坂46の賀喜遥香など、当時を振り返って「いっぱいいっぱいで他の同期ことをあまり覚えてない」というようなことを言っていた記憶がある。
 そんな中で、宮地は共にオーディションを受け、自分や相手が受かるかもわからない中で、他者を気遣っていたという話がポツポツとある。もちろん完全にクローズドな場所なので詳細はわからないし、もっと具体的なエピソードを出すべきところ若干失念してしまっているのだが(ごめんねいい加減で)、それでもやはり私の中で「宮地すみれ像」との合致を経て強く印象に残っている。

 愛するということは忍耐を要求してくるし、重荷となることもあれば、辛さや後悔に転じることもある、尊いが故に不確かで繊細な営みで、誰しもが抱え続けられるとは限らない。

 家族からたくさんの愛を受けて育った宮地は、その愛を誰かに与えることに躊躇も戸惑いもなく、そこには使命感のようなものなく、そうあるものだと自然に受け入れているように思う。
 誰かが苦悩していれば抱きしめ、不安を吐露すればそれを受け入れ肯定する。そう「全然大丈夫だよ」と。

 少し話は逸れるが、オンラインミート&グリートにおける定点カメラというのは本当に素晴らしいコンテンツで、視聴側の存在を把握しつつコメント等がないぶん意識しすぎない彼女たちの本当の雑談や態度、振る舞いを延々と観測できてしまう。
 その中での(私がみてきたぶんにおける)宮地の立ち振る舞いもまた、やはり他者への愛に溢れていた。一度は帰ろうとするも岸をひとりで残すことが心配になり引き返してきたり、陽子が少し不安を口にすれば即座に抱きしめ「偉いじゃん」「大丈夫だよ」と包み込む(ちなみに陽子は「本物の大丈夫だよいただきました!」みたいなことを言ってた)。褒められることに弱く、グイグイ来られると引き気味になってしまいがちな富田のATフィールドを破り、モノマネされてばかりの自分が富田のとあるモノマネをできるようになったことを喜ぶ。
 モノマネで思い出したが、岸との雑談の中で岸に「モノマネして」とねだり、真面目な岸が「やりすぎても嫌かもとおもった」と返すと「ううん、嬉しい」と答えたのも印象的で、それは彼女の価値判断はやはり許容と愛にあるのだと強く感じた出来事でもあった。

 ひなあい等で渡辺を起点にモノマネされまくり、オードリーにもロックオンされ、ついにはひなたフェスのアトラクションや目覚まし時計にまでなった彼女の「ぜんぜん大丈夫だよ」や「付き合おう?」といったサービス精神もまた、彼女が受け取ってきた肯定や愛を、ありのままに誰かに向けているだけ、そんな風に思えて仕方ない。

 「他者への愛」というのが私の中の宮地すみれの内面なのは確かだ。それと同時に、彼女のパフォーマンスが「自分というものを存分に振る舞う場所」であることもまた特筆すべき点だと思う。
 恵まれたスタイルは、彼女が骨格審査があると専らの噂になっている乃木坂46の最終選考に残ったことに大きな説得力を持たせるもので、長い手脚を駆使したパフォーマンスはフォーメーションの中にいても格段に目につく。
 それにはバトントワリングの経験が大いに生きていることは間違いないが、同時に彼女には加入時点でダンスの基礎的な素養はなかった。それは日向坂になりましょうのダンスレッスンの回でもあきらかで、だからこそ彼女は「自分の強み」を使ってパフォーマンスするコツのようなものを最初から備えていたということになるのかもしれない。
 他者を愛し、自分としての生き方を自然に理解している。それが宮地すみれというアイドルのシルエットのような気がして、同期が口を揃えていう「彼女には芯がある」という言葉にも強い説得力を持たせている。

 私が彼女に心を強く動かされた、最も印象的なことといえば、日向坂46時間テレビにおけるバトン演技だ。
 他者への肯定と愛を振り撒き続ける彼女が、たったひとりで自分だけに向き合い、ひたすら冷静に、しかしその中で時折滲む感情が、強く胸に訴えかけてきた。いちどバトンを落としても、演技を終えた彼女は自分が果たしたことを肯定してみせ、それを見ていた同期の清水は堪えきれず涙を流していたが、私も泣いた。本当に泣いた。
 他者愛の人が自分と向き合い打ち出した胸に迫るパフォーマンス、そしてその答えが「自分への肯定」だった時、宮地すみれというアイドルの凄さを改めて、ほんの少しでも理解できたような気がした。

 彼女は12枚目シングル『絶対的第六感』で表題選抜からはずれ、ひなた坂46『君を覚えてない』『雪は降る 心の世界に』の2曲でセンターを務めることになる。
 前作、初のひなた坂をセンター人選に重きを置いて見た時、それは髙橋未来虹の答え合わせの場だったように思う。将来このグループを技術と精神の両面で支えられるのは髙橋だと、それを証明する場所だったと思っているし、それを成し遂げたとも思っている。

 では、宮地がセンターを務める今作のひなた坂46は、彼女や、それを見届ける私たちにとってどんな場所になるのだろう。どんな色になるのだろう。

 個人的には、そこは「愛」が大事な要素になってくる気がしている。他者への愛。自分への愛。グループへの愛。メンバーへの愛。私たちへの愛。

 わかっていることがあるとすれば、宮地すみれが何かをする時、それは「愛へと繋がる」こと。これだけは自信を持って言える。

 もちろん愛は全てを解決するわけではない。時には本当にくだらないものにも見えるし、誰かを傷つける要因になることだってある。でも愛を持つことそのものを当たり前と思える彼女の優しさは、そんな気持ちすら肯定してしまうだろう。

 11枚目シングルで表題メンバーに選ばれ、一貫した評価は得られていると思う反面、彼女は四期生の中で少し難しいスポットに入り込んでしまっていると感じることもあった。指標のひとつとして無視できないミート&グリートの完売面においても期の中で優秀でありパフォーマンスも目を引くことから個人的に「次の期別センターは宮地」という予想は何度か立てていたものの、様々な要因からそれはなされず、今作では表題メンバーから外れることになった。
 だからこそひなた坂のセンターという形で評価が目に見えるものになったことは嬉しかったし、他者を愛せる彼女が自分を肯定したときの強さについては、先に述べた通り。きっと、ぜんぜん大丈夫。

 それは私たちも、そして彼女たちも包み込む、大きな愛の花。




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