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私には夢があるんです、と言えない

こんな時間に書くnoteは誰にもみられないし、絶対に後から消したくなること間違いなしだけど、とにかくこのもやもやをなんとかしないと寝られないので書きます。

もやもやを言葉にしたからと言って寝られるわけじゃないというのが残念なところですが。

今、複数名で旅行に来ているのですが、そのうちの数名が部屋で集まって宴会をしているようです。このホテルは壁が薄いので話し声がよく聞こえます。さすがに内容までは聞こえません。

しかし、そこにいるのが誰かはなんとなくわかります。声が大きい人が多いので、誰の声かは判別出来るからです。1番つらいパターンは私以外の全員が集まっておしゃべりしている状態、1番濃厚なのは、私ともう2人がそこにおらず、それ以外の人たちでおしゃべりしている状態です。

漏れ聞こえた会話の内容的に、これから自分たちはどうしていくべきか、何ができるか、どう出来るか、自分はどうなりたいかなどについて語っていることと思います。そしてそこに私は呼ばれないのです。

こういう時は一応全員誘って欲しいよね。何も語ることがない私も、たぶん早く寝たいと言って断るであろうあの人も。

こういうことする人に苦手意識を感じてしまうのは、昔仲間外れ系のいじめをされ続けたからなんです絶対に。いつまで引きずってんだって言われると思うんですけど、いじめられっ子ってこういうもんです。自分勝手ですね。

心に出来たしこりがずっと取れないで大人になる人もいれば、しっかり克服して大人になる人もいます。それはしこりの程度によって違ったり、その人の努力によるものだったりするでしょう。

全然克服してない私は、これをされた瞬間、自分には価値がなくてこの人たちにとってはどうでもいい人なんだと思い知らされてしまって、明日どんな顔をして会えばいいのかわからなくなってしまいます。

と書いておきながら、私は絶対めちゃめちゃ笑顔で会います。これ以上嫌われたくない、傷つきたくないという心理が働くからです。いじめられっ子時代のあの気持ちを死ぬまで忘れられないんでしょうね。

さて、旅行の話ですが、仕事仲間と来ています。私は私なりに仕事について思っていることはあるのですが、いかんせん言葉にして話すのが苦手です。飲み会などで聞かれてもいつもへらへらして、私はただ自分自身が楽しく生きていければそれでいいんです、と言っています。これもあながち間違ってません。本当に思ってます。そんな私にも、残念ながら、夢だけはあります。

私の夢は、子どもが生まれた環境に左右されない世界をつくることです。本に囲まれて生きていくことです。子どもがいつでも避難できる場所をつくることです。

今まで誰にも話したことがないけど、ここでとりあえず宣言してみます。叶うか叶わないかは別として。言うことに意味があるっていう説もありますし。

子どもが生まれた環境に左右されない世界

これはこの言葉の通りで、生まれた家がめちゃめちゃ貧乏でも夢を持って生きていけて現実的にそれを支援できる環境があったり、山の真ん中に住んでいても都会と同じ情報や経験が出来たり、虐待してくる親から逃げることが出来たりいろいろなのですが、生まれた環境によって子どもの選択肢が減ってしまうことを防ぐための何かをしたい、という事です。

とはいえ私はスケールが小さいので、世界中の子どもの貧困をなくしたいとか、難民を助けたいとか、そういうことを考えているわけではないんです。

そこら辺の子どもが逃げ込める場所、安心できる居場所、一歩踏み出せる場所をちまちまと作っていきたいんです。それは子ども食堂なのかもしれないし、子どもの居場所なのかもしれないし、図書館なのかもしれないし、学校なのかもしれないし、児童相談所なのかもしれない。

家で親が構ってくれなくても、居場所に行けば誰かがいる。家で1人で食べるご飯はつまらないし物足りないけど、子ども食堂に行けばお腹も心も満たされる。家には兄弟などたくさんの人がいて落ち着かないし人が多いところは苦手だから図書館が落ち着く。家では親に罵倒されてばかりだけど学校では先生やクラスメイトが自分を認めてくれる。児童相談所は、よく叩かれてるけど応援してます。大変な仕事頑張ってください。

こんな風に、子どもが安心していられる場所や、自由に出入りできる場所があれば、少しは子どもたちの選択肢が増える。親とは旅行に行ったことがないけど、図書館や居場所の大人に会えば、いろんな世界のことを知れる。学校にいると勉強できる奴が1番すごくて勉強が苦手な自分は肩身が狭いけど、居場所では自分の得意なことに没頭できるしそれを認めてもらえる。家にいたら知らなかった本や遊びに出会えて、新しく気の合う仲間もできちゃった。

そんな場所がどこにでもあったらいい。子どもは生まれた瞬間から天才で、その時にしかない感覚や衝撃を持っている。大人が持ち得ないものを持っているのに、それを大人の事情で狭めていくのは私はいやだ。

かといって親や親に与えられる関係性、学校や先生から与えられるものの中で選択肢を増やすのには限界があるだろうとも思う。

だから、大人でも子どもでもない第三者が子どもの選択肢を広げる場所がたくさんあったらいい。第三者だからこそできることがある気がする。

本に囲まれて生きていきたい

私は人がたくさんいると、聞こえなくてもいい話まで聞こえてきてしまって、いらない気を使い、勝手に疲れて、勝手に落ち込む、面倒な性質を持っている。

今の状態がまさにそれである。壁が薄すぎるし、誰が話してるか声が聞こえるし、少し内容もわかってしまって、自分が誘われなかった理由を勝手に妄想し、勝手に落ち込んでこんなものを書いている。

だから囲まれるなら、人より本がいい。世の中には面白い本が多すぎて死ぬまでに全部読むのは無理だと思うけど、出来るならたくさん読みたい。たくさん読むなら、いつでも本に囲まれていたい。

これはもう本当に趣味でしかない。だからこれ以上書くことがない。本が好きだから本に囲まれて生きていきたいだけ。それが図書館で働くことなのか、本屋さんなのか、本が読めるカフェなのか、もっと違う形なのかも全く想像できてない。

たぶん組織の中で働くと3日でボロが出るから、自分でできる範囲のことをできる範囲でやるのがいいと思う。しかし、そんな気持ちで生活できるほどのお金を稼げるのかは謎、というかおそらく不可能でしょう。

だけど、このままそんなに重要じゃない人間関係に悩んで朝まで眠れないくらいなら、さっさと1人で始めた方がいいような気もしてきた。

子どもの避難所があったらいいな

たいそうな避難所を想定しているわけじゃない。本当に死にそうだと思ったら警察に行って欲しいし、児童相談所などしかるべき場所がある。それを子どもが知るためには、大人が頑張んないといけない。

私の避難所はもっと身近で、もっとすぐになんとかなる場所であって欲しい。

私は子どもの頃避難所が欲しかった。小学生の頃近所の公園で水鉄砲で遊んでいたら、そこにいた中学生に、うちらにかかってんたけど!と、めちゃめちゃ怒られた。あの人たちは、小学生をびびらせることを楽しんでた。それをわかっていたからもっと悔しくて泣けてきた。

そしてすぐ帰る時間になってしまって、中学生も本気じゃないから、逃げ帰っていく小学生を解き放った。家に帰ってきてもまだ恐怖が残っていたから今にも溢れそうなくらい涙が溜まっていたけど、親に心配されたくなかったのと変なプライドがあって、必死で堪えてた。たぶん親は気付いてたけど。

私はしばらく自分の部屋がなかったので、隠れて泣くことができなかった。だから堪えるしかなくて、それでいろいろなものが蓄積されていった。

例えばいじめられていた時も、下校する時、靴がないことがある。泣きそうになりながら探してなんとか帰るけど、全然気持ちは整理できてない。うまく笑えないけど親を心配させたくないからなんとかして笑う。そうやって我慢する日々がしんどかった。

家に帰る途中に、気持ちを全部さらけ出して受け入れてくれる避難所があったらよかったなと思う。自分の悔しい気持ちや家に帰りたくない気持ちを聞くだけ聞いてくれて、わんわん泣いても馬鹿にしない人がいてくれたらよかった。それはお兄さんでもお姉さんでも、おじいちゃんでもおばさんでも誰でもいいと思う。

そんな場所があったら、今もこんな風に、我慢の仕方ばっかり得意になったつもりで、だけど抱えきれなくてパンクして眠れなくなるような、自分の気持ちの発散の仕方もわからない大人にならなかったかもしれない。なっていたかもしれないけど。

もしかしたら普通の人は、友だちとかにそういう風に出来るのかな。でも誰しもが出来るわけじゃないのは私自身が証明してる。

少しでも多くの子どもが、ありのままの自分をさらけ出せる場所、それを受け入れてもらえる場所と共に生きていけたらいいと思う。

まとめ

結局何かって言うと、図書館の館長になりたいんですよね。図書館は子どもだけで出入り出来る施設だし、管理人がいるからお話できるし、だいたいいつでもやってるし。図書館はおしゃべり禁止じゃなくてもいいんじゃないかなーと個人的には思ってます。スペースを仕切るなり時間を区切るなりすればどうにでもなるのではないかと。

なによりも図書館は、いろんな人が書いたいろんな人生や、人間だけじゃないあらゆる生き物や、果てしない宇宙や行ったことない場所、過去現在未来など、実際に見られないもの感じられないことが、たくさん存在している。本の中が子どもの避難所になることもあるかもしれない。自分がそうだったように。

こんな図書館をやれたらな。

と思っています。

図書館ってお金にならないから、どうやって生きていくのかよくわかんないね。お金を取ると子どもが来るためのハードルが高くなっちゃうし。誰かお金持ちがスポンサーになってくれたらいいのかな。

途中敬語を忘れてしまっていますが気にしないでください。

なんか書き始めた時のあのよくわかんない嫉妬の感情は忘れつつあります。みんなちがってみんないいからね。人の言動をいちいち気にしててもしょうがない。人は人、自分は自分です。自分のやりたいようにやる。相手もそうしてるんだから、自分もそうすればいいだけ。

さて、おやすみなさい。


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