生きてる生物を観る経験
ずっと都会に暮らしていました。
・・・嘘です。見栄を張りました。都会の端っこに暮らしていました。
とはいえ、家の周りはコンクリートとアスファルトで覆われて、自然と言えば公園か道路の生け垣や街路樹くらいしかない環境です。そこから無機質な電車に乗って、無機質な学校に通う生活をしていました。だからこそ、生物といっても教科書や本の中か、実験室の中のイメージが強くありました。
でも、田舎に引っ越してきてからはだいぶ変わりました。庭先だけで複数の木が植えて合って、家の周りにも畑や雑草が生えていて、そこには小さな虫なんかが集まってきています。
植物は隣の同種個体よりも少しでも大きくなろうと背を伸ばし、虫は花に蜜を集めにやってきて、その虫を利用して繁殖する植物もいる。教科書で学んだ理論を体現している生物たちがあふれていました。
そこまで考えると、ほかのことも気になるようになります。なんで畑のあそこの部分の個体は背が低いのだろう、この虫の飛び方にはどんな意味があるんだろう。
そうした思考を進める中で、「ああそうか、生き物って本当に生きてるんだ。教科書で見たような生活をしているのは、先人たちがその生活をつぶさに観察して体系化してきたからなんだ。生き物って面白い。」って実感するようになりました。
生物の研究をしたいって言ってる人間が今更そんなことに感動するのかよって思われるかもしれませんが、文字情報としての生物に注目してばかりいた僕は感動しています。そして、「生きた生物」を感じる前に、卒論以上に本格的な生物の研究をしなくてよかった、と思っています。
その理由は言語化が少し難しいのですが、生物が生きているという感動や興味深さを実感しないで、文字情報としての生物だけを面白がっていては自然科学に携わる者として不十分ではないかという考えに至ったからです。
受験の不合格通知を見た瞬間はとんでもなく辛かったですが、結果として、こっちにこれてよかったかもしれない。そんなことを心から思えた気がします。
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