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作品が完結するたびに、心が変形していく

ここ数日、中学生の時から好きだけど原作を途中でやめてしまった「はたらく魔王さま」を読んでました。

勉強しないといけないのはわかっているのですが、「気になる」スイッチが入ってしまったので、影響が大きくならないうちに、と読むことにしました。

僕が原作を買わなくなった間に作品は完結していたので、最終巻まで一気読みでした。

異世界で人間界を征服しようとした魔王が勇者に敗れ、空間を跳躍する術で逃げた先が東京の笹塚で、マックのバイトを始めるというストーリーで笑いあり、シリアスありの名作です。作者の人の取材力や、異世界の設定の細かさにも引き込まれました。

終盤に話が間延びしてきたな、って感じるところが多々ありましたが、最後まで読み切ることができました。それが今日の午前2時。

色々な感情がわいてきました。
読み切れたよかった。面白かった。という思いがはじめは強かったのですが、時間がたつにつれて「きっとこうなるだろう」という予想から大きく離れて着地した結末にどうしても釈然としない思いを抱くようになりました。

胸のちょっと左のほうに、ぽっかりと小さいけれど確かな穴があいたような感覚にさいなまれています。今日の生活の中のふとした動作で作中のエピソードなどが思い起こされ、そのたびにモヤっとしたものを感じていました。まるで失恋した後のような感じでした 笑。

恋は「きっとこれが得られるだろう」という想定をしたうえで他者から何かをもらうことを求める感情で、創作物を享受するのと重なるところがあるからだと思います。だから、実際に得られなかったときに抱く思いが似てくるのではないでしょうか。結末に納得できなくて不満だからそう感じているのだと思っていました。

でも、もしかしたらそうではなく、自分の心が成長した結果穴が開いたのかもしれないという仮説に至りました。春ごろに見た映画「ジョゼと虎と魚たち」これもとても気に入った映画で、満足して、不満を覚えることなく帰路についたのです。時間が経ってから今と同じモヤモヤとした気持ちを抱いたことを思い出しました。

普段の生活で心が大きく変化するシーンは少ないので、いつも一定の形をとっているのだと考えられます。でも、創作物などに触れて様々な感情が想起され、何かを学習することで心の形が変形するのではないでしょうか。そして、心の形が変形したからこそ、新たにへこんだ部分などに気が付くとそこを埋めたくなる。今の状態はそれであるように感じます。

どうあれ、そういった何かを吸収できる作品に出合えること、楽しめたこと、そのことを喜びたいです。

はたらく魔王さまのことはしばらく引きずりそうですが、ちょっとずつ回復していきたいと思います。

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