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勉強したい、読書をしたい、もまぎれもなく欲望。

大学在学中にも予定を詰め込みすぎて電池が切れてしまうことが多々ありました。体調を崩したり、予定をキャンセルしたりなど実生活に影響が出てしまっていたので、「予定を入れない日」を作るなどして対応をしていました。

しかし、今大学を卒業してフリーターになってみると、そういう「予定を入れない日を作ろう」という感覚が薄れてしまいました。
平日に毎日通う場所もなく、予定も単発のものがバラバラと入ってくるだけで、自分が忙しくしているという感覚が薄れてしまったからです。

予定らしい予定は確かに減りました。しかし、
「大学院入学後に困らないように勉強をしよう」
「時間もあって、もっと勉強するべきだったという大学時代の半生を持った今だからこそ勉強しないと」
「ゲームをゆっくりできるのは今が最後かもしれない」
などなどの心の声に従って、詰め込みがちに物事をやっていくと、好きでやっていることでも疲れてしまう。

どうにもこのあたりが不器用なのは変わらない性質のようです。

「勉強したい」「読書をしたい」と思うことは高尚なことのようで、まぎれもない「欲望」の一種で従いすぎると体がにダメージが溜まるということを失念しやすいということが原因にあるのでしょうか。
「遊びたい」「お酒を飲みたい」などのわかりやすい欲望と同じく、従いすぎては無理が出てくるというもの。理性や、体調をもとにして手綱を取るようにしないとですね。

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