他人の人生に興味がないと思っていたけれど、一時期だけをピックアップされても興味がないというのが正確かもしれない

日中にやってるバラエティ情報番組が好きじゃないです。
どうでもいいトピック(誰それが不倫した、誰それが不祥事を起こした)についての情報を延々と報道したり、政治的意思決定に関わっているわけでもない素人たちが延々と議論のようなものを繰り返しているためです。

特に、誰かの不倫話、凄惨な事件のことを延々と述べ続けるのが嫌いです。

そうした傾向から、自分は現実の誰かの人生に興味が持てないんだろうなぁという風に長らく解釈をしていました。

そういう番組は嫌いな一方で、アニメや小説、ノンフィクション本なんかは好きでよく接しています。何なら、自分で小説を書きたいなぁとずっと思っているぐらいです。

この他人の人生に興味があるのかないのかわからない宙ぶらりんな状態は何なのか。

それぞれを比較をしてみると、示され方に違いがあることに気がつきました。
興味を持てない示され方は、事件の前後だけか飛び飛びで離散的に示される場合。
一方で興味を持つのは、始まりから終わりまで比較的連続して示される場合。

離散的だと情報が飛び飛びすぎて心情が理解できないし、何よりもその誰かの人生の一時期をエンタメとして消費をしている感覚がしてしまいます。
同じく実在の人間の人生を扱う場合でも、テレビなんかは第三者が第三者の利益のために取り扱っていて、本になる場合は(故人でなければ)本人の了承を得て公になるという違いがあるために「消費」をしている感じがするのかなと思います。

苦手だったり、好きじゃないものも、こうして「なぜ好きじゃないのか」を考えてみると発見があって面白いですね。

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