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フーコック島で深夜の漁

この前もちょっと話した
ベトナムのフーコック島で
何もしていなかった時のハナシ

90年代のフーコック島は
ヌクマム工場があるくらい
あとは
基本漁業だったみたいです

何もないベトナム最果ての島

今は国が力を入れて
アジア有数のリゾート地になっていますが
当時は国営ホテルが1軒だけ

クレジットカードを持っておらず
当然スマホなども無い時代
QRコード決済もなし

当時のお金の管理は
現金かそのまま持ち歩くか
トラベラーズチェックを
銀行で現金に変えるしか
手段はありませんでした

さて
フーコック島での滞在も
1週間を過ぎた頃
そろそろ現金が足りないかな?
と思ってホテル(国営)のロビーで
トラベラーズチェックを
現金にしようとしたら

「なにそれ?」
と言われ
まさかのトラベラーズチェック
現金化不可!
トラベラーズチェックが
通用しないとは

マジか…

急いで計算したところ
手持ちのお金で
宿泊代の精算はOK
一応噂で聞いていた
本土までの船代も
おそらくOK

ただし
これ以上ホテルの宿泊は
ちと無理…

とりあえず
ホテルを次の日チェックアウトして
ホテル前のビーチで
これからどうしようかと
バックパックを抱えて
黄昏ていました

まぁ
最悪
ホテルのロビーで
スタッフに売って欲しいと頼まれた
腕時計(セイコー)を
売ればどうにかなるかな?
なんて考えてました

ビーチにあった
ホテルが経営?したいた
ほったて小屋レストランの親父が
今日はどうする?
なんて聞いてきたから
お金が無くて
ホテルはチェックアウトして
本土に戻ろうか考えてる
って伝えたら
(カタコト英語同士で伝ってるか謎でしたが)

手招きされて
何も言わずに米とスープを
ご馳走してくれました

そして
「今夜はウチに来い」
と家に呼ばれることに

夕方に親父と砂浜をテクテク歩くと
30分程度で
親父の家に到着
奥さんが自分を見て
最初はビックリしてましたが
当時自分がロン毛だったのを
偉く気に入ったのか
ケラケラ笑いながら
髪の毛を触ったり
ブラシをかけてくれたりして
すぐに仲良くしてくれました

子どもが5〜6人いて
何度か砂浜で
遊んだことがある子供たちだったので
自分を見ると大騒ぎ!
あの変な日本人が
家にきてる!

すぐに仲良くなれました

そう
チキンカレーを頼んだ時に
ニワトリを抱えてきた
あの女の子もいました…

夜になって
家族団欒に混ぜてもらい
豆の煮込んだカレー的なものを
米と一緒にして食べましたが
めちゃ旨かった
近所の村人も
変な日本人が来ている噂を聞いたのか
ワラワラ集まってきて
いつのまにか
おそらく自家製であろう
くっそマズイ焼酎なのかウイスキーを
みんなでチビチビ呑み始め
宴会スタート
ツマミは干した魚だったなかな?
なんだかわからないものをツマミに
マズイ酒をたらふくいただきました

基本
ベトナムの皆さんは
お酒はそんなに強くない感じなのか
速攻で自分を含めて
みんな
ベロベロになりました

ちなみに
言葉はほとんど通じないので
身振り手振りでコミニュケーション
まぁ
なんとかなるもんです

そのまま
板の間のリビング的なところで
子供たちと近所の人と雑魚寝

近所のヤツは家に帰れよ!
と思いましたが
これもベトナムスタイルなのかな?

後で知ったのですが
当時のベトナム
本当は
外国人を自宅に泊めるのは
違法だったらしいです

さて
酔いもすすみ
グーグー気持ちよく
子供達の間で雑魚寝していると
真っ暗闇の中
急に起こされました

時間は夜中の3時過ぎ…

親父と村人数人に
真っ暗闇の中連れられて
よくわからないまま
小舟に乗せられました
小舟にはエンジンが付いていて
暗闇の中
猛スピードで沖に進んで行きました

自分はどうなるんだろう?
このまま殺されても
誰にもわからないし
行方不明者になるのか…
自分を殺しても
金目のもの
なんもないんだけどな…
と混乱した頭で考えてました

ふと猛スピードの小舟で
顔をあげると
墨汁のような漆黒な海に対して
空には
今まで見たこともないような
満天の星空
その星空の美しさは
北アルプスで見た星空よりも
さらに美しく
まさに降り出してきそうな星空でした

感動して空を眺めていると
村人に小突かれ
ふと見ると網を指さして
持ち上げろと言ってました

あれ?
俺は網を使って
海に捨てられるのかな?
まぁ
こんな美しい星空の下で死ぬのは
とても贅沢だから
良いもんだな
なんて思っていましたが

「お前は金がない
 家に泊まっている間
 食事の分だけは
 働いてもらうぞ!
 とりあえず
 網を海に入れるの手伝え!」

ということだったみたいでした!

よく見ると小舟は数隻あり
網を投げ入れて
陸に向かって引っ張る
地引網みたいな漁でした

陸地に戻る頃には
朝日も登り始め
砂浜には
他の村人や子供たちも集まり
みんなで網を引っ張りした

色とりどりの魚やエビやカニやら
想像以上に大量
フーコック島のまわりは
豊かな海のようでした

引き上げたモノの中には
なんと!
天然記念物?カブトガニが!

驚いていると
カブトガニは砂浜に放り捨ててました

「あの蟹は
 不味くてたべない」
とのコト

子供たちは
カブトガニを拾って
砂浜を掘るスコップがわりにしてました…

その後は
網を手入れしたり
舟を掃除したり
ほったて小屋レストランを手伝ったり
まぁ
ほとんど子供達と遊んでいましたが…
一応は
子供達に日本語を教えたりもしてました
かわりに
ベトナム語を教えてもらったりもしました
3〜4日経つと
段々と周りからも特異の目で
見られることもなくなり
漁村の村人として過ごせるように
なんとなくなってきました

「このまま
 この島で暮らすのか?」

と一瞬脳裏をよぎりましたが
当然
そんかわけにもいかず
親父さんには
筆談を交えて
「本土に帰る船に
 乗る方法とスケジュールを
 知りたい」
とは伝えていましたが
何故か
のらりくらりとかわされ
進展は無いままでした

さらに数日たったある日
夕方
久しぶりに村人が集まってて
宴会が開かれました
誰かの祝いかな?
と思っていると

「明日の早朝
 船に乗って
 お前は本土に戻る
 今夜はお前との最後の日だ」
というわけで
お別れの宴でした

いつも陽気でテキトーな親父
乾杯の音頭の時
自分の肩をぐっとつかんで
みんなに向かって
「コイツは変な日本人で
 いつの間にか家に転がり込んでた
 コイツは日本に帰ると
 たぶんもう2度とココには戻ってこない
 今夜でサヨナラだ
 遠く離れ離れになっても
 もうコイツは
 ウチらの…
 俺の息子だ
 距離は離れてしまっても
 家族なんだから
 心は繋がってるんだぞ!」
って
ベトナム語と英語で言ってくれた

自分はいつの間にか
下を向いていた
涙が溢れてしまったからだ
板の間にポタポタと涙が落ちて
自分の涙で
板の間が濡れいくのを見ていた

すると
仲良くしてくれた子供が覗き込んで
「泣いてる泣いてる!」
って笑ってたんだけと
親父も奥さんも
村人のみんなも
子供たちも

みんな泣いてたんだよね…

大の大人が
言葉も通じないのに
オイオイ泣きながら
抱き合った夜

ベトナムの最果ての島
フーコック島の思い出です

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