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09:家族の温もりで送ったお父さん

葬儀支援センター設立2年目の2010年11月、知人に聞いてきたという若い夫婦は61才の父親が癌で余命3週間の宣告を受けての来社、母親の友人が紹介した葬儀屋が今晩自宅に来るらしく母親が依頼決定する前に話しを聞きたいと来られたようです。

今日の今日ですから家族の状況を聞き、葬儀屋相手の相談交渉で注意すべき点やアドバイスはしましたが、どうにも違和感があり「葬式の不安も分るけど後で後悔しない為にもお父さんと色んな話しをしたほうが良いよ」と送り出しました。

翌日午後、昨日の長男から電話「自宅に来て母親と話して貰えませんか?」との依頼、設立2年目で暇でしたから、これも経験と前橋から車で40分ほどの自宅に家族が集まれる午後7時に伺う事にしました。

自宅に到着すると昨日の長男夫婦と弟さん2人とお母さんが待っておられ案内された1階はひと間で台所も見えて、トイレも居間とドア1枚で仕切られてるようで、初めて伺った我々では入れない感じの珍しい部屋を眺めていると長男が言います。

「全部丸見えで変わった造りでしょ。父親が事業に失敗して自己破産してから母親の両親が使用してた倉庫を改装して住んでるんですよ」

決して余裕のある家庭で無いと分り、なるほどなぁと思いながら部屋の真中にある小さなテーブルの椅子に通されると、お茶を出してくれたお母さんが
「昨日来た葬儀屋さんは公営斎場の葬式で受付を2人無料で用意してくれると言ってました」との言葉に???『何だこの人は』と思って言う。

「はぁ? 何の話しですか葬式内容も決まってないのに受付なんてどうでも良い事です」そう言ってお母さんを見ると少しムッとした表情になりましたが「ところで僕を呼んだのは受付の話しではないですよね?」と続ける。

母親は更にムッとしましたが、昨日感じた違和感の正体とこの家族に必要な事がハッキリしたので、昨日長男夫婦に話した事を再度伝えてから母親の希望を聞くと全財産100万円で出来るだけの事をしてあげたいと言い、昨日の葬儀屋もそれが供養になると言ったらしいが、対象者の父親は葬式なんて要らないと言い、息子達も火葬で良いのではと数日揉めているようです。

家庭事情と現状を把握すると「ある程度の話しは分りましたが根本的な部分に間違いがある気がするので少し話しを聞いて貰えますか?」
家族は互いに顔を見合わせてから頷くのを見て静かに話しを始めました。

「お父さんの余命は3週間ですよね。確かに葬式の打合せは大事だけどもっと大切なことがあるでしょ!? そっちを優先して空いた時間で葬式の打合せはすれば良いんじゃないの?」

「良いですか3週間後にはお父さんと話しも出来なくなるし声だって聞けなくなるんですよ。だから家族が最優先すべきは少しでもお父さんと一緒に過ごすことじゃないの?

「お母さんは明日、家中にある写真やアルバムを持って行き1枚1枚の写真を振り返りながらお父さんと過ごした時間の全てをさかのぼる事、子供達は仕事が終わったらわずかかな時間でも病室に寄って親子として、男同士としての話をする。出来れば新たな思い出を作ることだよ」

「みんなはお父さんが逝った後の事だけに意識があるけど、今この時間もお父さんは戦ってるし、話せるし、生きてるんだよ。だから食べたい物があったら医者が駄目だと言っても食べさせれば良い、行きたい場所があるなら途中で死んでも良いから無理矢理にでも許可を取って連れて行くことだよ」

「例え途中で死んだとしても後悔よりお父さんの希望を叶えた満足感のほう強いはずだし旅立った時、家族一人一人の中に後悔でなく達成感や満足感が残せる唯一の3週間だろ!? 違うか!?」

そう語る僕の目に涙が溢れ、つい先ほどまでムッとしてた母親まで家族全員が目を真っ赤にしてうなづいてる姿を見て更に話しを続けます。

「お母さんが全財産100万円を使って精一杯の事をしてあげたい気持ちは分ります。でも自分が病気になる可能性はゼロですか? これからの人生でお金は不要ですか? 100万円は簡単に貯まりますか? 病気になっても医者にも行けず、我慢と節約最優先のお母さんを見てお父さんはどう思いますか? それを望むお父さんですか? それが供養になりますか?」

翌日から家族は各々の都合で毎日のようにお父さんの病室に通ってくれ、余命3週間から更に1か月頑張ったお父さんは、家族の気持ちに応え全精力と精気を使い果たしたような姿で1月中旬に旅立ちました。

葬式は自宅1階を白幕で仕切って行い、葬式費用は火葬中の食事と返礼品と税金も全て含めて287.600円、決して豪華でなく質素な葬式でしたが家族一人一人が自分に出来る事をやり切れたのでしょう。泣き顔だけでなく満足した顔を見せてくれたのが何よりでした。

お父さんが逝く半月ほど前の年末、偶然次男と逢う機会があり「お父さん元気か」と聞くと「元気では無いと思いますが時々母さんと喧嘩してますよ」と聞いて家族が病室に足を運んでいるのが分りました。

この話からお母さんや家族が毎日のように病室に足を運んでる事がなぜ分ったか――、皆さんも分りますか?

人はたとえ家族でも遠慮があったら我が侭は言いません。忙しいのに悪いなぁ、と思ってたら我が侭は言えません。お母さんが病室にいるのが当り前と思えるくらい通い長時間病室にいてくれたから、お父さんが我が侭を言えるようになり、それを聞いたお母さんも文句が言えるくらいお互いの心が開いた証拠みたいなものです。

最後だから、もうすぐ逝去してしまうのだからと家族が遠慮すれば、対象者にも遠慮が伝わり互いに遠慮して本音が出せない状況が生れ、期間が長ければ長いほどへだたる壁が厚くなる事だってあります。

対象者が我が侭を言ってくれるように成ったら、自分の言動に間違い無さそうだと思っていいと思う。例えば夫婦だけでなく子供達や孫達がいる場所でも愛しければ「愛しい」と素直に伝え抱擁したり、キスしたり「ありがとう」と伝えられたら夫婦としての最高の在り方の教えにもなるでしょう。

その意味ではちょっとした口喧嘩も一緒、良い感情も悪しき感情も抱え込まず、我慢し過ぎず、小さいうちに出したほうがアッサリ通過できたりする。後になればひとつひとつの言動が良き思い出になるでしょう。

葬式後にお母さんの友人が線香を供えにきてくれた時に出た話しだそうですが「ご主人が亡くなってから葬式まで長く無かった?」と言われたと後日片づけに行った時に聞かれたので理由を説明しました。

初めて伺った日「家が好きな人ですからその時は自宅で過ごさせてあげたい」と言ってたのを思い出し2日間の延期なら何とか追加費用を出さず可能と火葬予約を実質2日間遅らせたのです。

小さな事ですが家族にとっては大きな違いとなるはず、これも全て事前に家族と本音で話し合ったから出来ることです。本音の事前相談が後悔の芽を摘んでくれる事もあるんです。

僕は後悔してからようやく気付きましたが、皆さんは後悔する前に気付いて家族の死後に後悔を残さない人生を歩んで欲しいと思う。

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参考資料(お時間のある時にでも読んでみてください)
あんしんサポート葬儀支援センター  
代表ブログ 葬儀支援ブログ「我想う」

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