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ムラブリから気づく① 矛盾を許容すること

4月30日に公開されたとある対談動画が最高でした。
勿体振らずにまずはリンクを貼ります。

伊藤雄馬×宮台真司×神保哲生【5金スペシャル映画特集Part1】「森のムラブリ」に見る人間のモラルの根源と他者を恐れる習性

対談の中で出てくるトピックや出演している3人から伝えられるエピソードがどれも興味深く、何度も何度も聞いてしまう。一体なんでそんなに何度も聞くのか。何がわたしを引き付けたのか。せっかくなので、印象に残ったお話について、いくつか投稿を分けて書いてみようとおもいます。

番組のことや、映画『森のムラブリ』のことについては、番組の公式ページにおまかせして、わたしの方ではお気に入りポイントをひたすら書きますね。




今回のテーマは「矛盾を許容すること」。
動画の 30:47 あたりから、こんな話がされています。

「刺青入れたやつは悪いやつだ」と話すおじいさんが刺青を入れていたり、「言葉が違えば違う集団だ」としていながら、ポロッと違う集団の単語を発したりする。フィクションか本当かが曖昧だと、柔軟に、仲間か仲間じゃないかを判断できて、いろんな人たちがいろんな事情で入ってくることを許容している。

「曖昧」という言葉が出てきているんですけど、これってすごく人間っぽいな、っておもうんです。どこかでピシッと線を引く、って、そもそも人間の体に合っていないな、っておもってて。線があるって、なんか窮屈で苦しい。

境界線を引くことはよくありますよね。今回の動画にも、「差を認識することで、自分たちの結束を強める」という話がありましたけど、線を引く効果って、いろいろあるとおもいます。ただ、その効果って、いい効果もあるかもしれないけれど、そうじゃない場合も多々あります。わかりやすいところで言うと、戦争に発展してしまうとか。

人間自体がどうプログラミングされているかについては詳しくないですけど、「下手すると戦争しまくって、人類滅亡に向かう」みたいにわざわざ作るのかな。

ちょっと脱線しましたけど、ムラブリの人たちの持つ「曖昧さ」って、今回の例もそうなんですが、なんだか可愛らしく感じられます。いや、端から見てるからそんな呑気なこと言ってられるのかもしれないけど笑

それで思い出した動画があります。ピースの又吉さんがやっている YouTube チャンネルに「インスタントフィクション」というコーナーがあって、視聴者が書いた超短編小説を又吉さんが読解していく、というものなんですが、EXIT の兼近さんが提出した「あぁ無人矛盾無常」という小説の回がおもしろかったんです。

EXIT兼近の文章を妄想解釈した動画をご本人に見せた結果…感動とため息の渦「自分さえ気づいてなかった事をわからせてくれた…」 【#40 インスタントフィクション】

「言っていることと、やっていること、違いませんか?」という矛盾している出来事への考察がテーマとなっているのですが、まとめとしては「だから好き」のような、ツンデレみたいな展開です笑

線を引きたいモード全開で、自分の信じた正義をガンガンに振りかざしているときには、こういった「曖昧さ」への許容度が低下する傾向にあるとおもいますが、きっと誰しもが曖昧にしているものがあって、その曖昧さが誰かを救っているのかもしれないんだから、お互いに「この矛盾、かわいいね〜」って言い合えるといいなとおもいました。

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