★ゲーム配信の美学とアンチの露悪的な美学:まいにち100字【26日目】

 ゲーム配信の楽しみ方として最も素朴かつスタンダードなものが、ゲームに対する配信者の様々なリアクションを楽しむ、という考え方だろう。生配信であればコメントに対応することもあるが、基本的にゲーム配信とは、配信者がゲームに対してリアクションをすることがベースになっている。当然これらのリアクションは複数ある。ある感情の表出が最も多いが、ゲーム内容に対するクセのあるコメントなどもあるだろう。こうした細かい分類はまた後日試みたい。

 また、リアクションという短い反応だけでなく、それを長時間/長期間続けることによって醸成される、ゲームに対しての態度もまた、評価の対象になる。たとえば、非常に難しいゲームを粘り強く取り組んで、最後にクリアする根気強さ、など。

 こうしたゲームに対する反応や態度という評価基準、すなわち美学は、ゲーム―配信者という繋がり(関係性)を前提としている

 ゲーム配信に対する様々なアンチ行為は、こうした通常の美学をずらしたり破壊するということを目的にしている。
(*ただし、こうした高尚な動機を持っていればまだ良い方で、ほとんどのアンチ行為は快楽を得るために動物的に行われているとみることもできる(そしてそれは、ある程度真のように思える)。しかし筆者個人としては、それではあまりにも元も子もないので、より文脈を踏まえた理解に徹したい。)

 アンチ行為には様々なものがあり、本来はそのひとつひとつについて検討していくべきだろう。たとえば、低評価ボタンを必ず押す、コメント欄を意味のない文字列で荒らす、Twitterや匿名掲示板で悪口や嘘を書く、といった、ある特定の配信者に対してのシンプルな嫌がらせ行為は、配信者のメンタルを傷付けることによって、ゲーム配信に限らない配信活動そのものにダメージを与える。しかしこういった行為はゲーム配信に限ったことではないので、美学との関係性は薄い。

 コメント欄でのアンチ行為は、ゲーム配信の美学と関わりがあるように思われる。たとえば、伝書鳩、指示厨、杞憂民、といったゲーム配信におけるコメント欄特有の現象は、自然発生的に生じることもあるが、偽装することも簡単である。こうした行為によって配信者や視聴者の関心はゲームそのものからずらされてしまう。配信者はゲームへのリアクションに集中できなくなり、ゲーム―配信者の関係性は壊れてしまう。

 また、最近APEX界隈で話題になっている、ゴースティング、チーター、チーミングによっても、ゲーム配信の美学は破壊される。ゲーム内容に向かっていた筈の関心は、内容を破壊しようとするアンチ行為への憎悪へ変わってしまう。最終的に注目されるのはアンチを行った人物になる。有名な配信者を倒すことによって、自己顕示や自分の強さをアピールできるという美学が存在するのだろう。これを仮に「素朴な露悪の美学」と呼ぶと、通常のゲーム配信の美学が素朴な露悪の美学へすげ替えられてしまっている、とも表現できる。
(**これは裏を取ってないので参考程度に書くが、配信者をゴースティングし、チートで倒す動画がtiktokで投稿されたこともあるらしい。分かりやすい露悪の例だが、犯罪行為を嬉々としてSNSにアップする心理と似たものがある。このことについてはもう少し調べ改めて書きたい。)

 一般に、配信者がアンチ行為に反応するべきでないのは、こうした美学の破壊やすげ替えが行われ、本来のパフォーマンスが発揮できなくなるからである。あまりにも理屈っぽくなっているが、多くのゲーム配信者は以上の内容を身体感覚的に理解していると思われる。

今日はとりあえずこれでおわり❗️

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?