余興

「俺、もうお前と音楽やんの辞めるわ」
「え」
「というか、音楽を辞めるわ」
「は?」
平日の昼間、ぽかぽか陽気の元、アコースティックギターを手に河川敷に集合した俺たちだが、さぁ新曲のお披露目だと俺がネックを握った瞬間に梶川が衝撃の発表をした。
「な、まっ、は? 冗談?」
「本気」
「なんで!」
「いや、売れないだろ、どう考えても」
俺は新曲のコードと歌詞をメモした紙に目を落とした。殺すだ、死なせてくれだ、この国の政治がどうだ、腹が減っただ、死なせてくれだ……。その白い紙にはひどく雑な鬱屈が並んでいた。まぁ、確かに、売れないだろうなと思う。俺だったら、こんなつまらない歌は聴かないだろう。しかしこれ以外の歌詞が特に思いつかないのだから仕方がない。学生運動の流行に乗って政治という単語を使ってみたが、実際政治のことなんて何一つわからない。難しい単語ばかりが飛び交うから、興味が持てないのだ。また、死にたいだ消えたいだといった漠然とした気持ちは十代の頃から抱えてはいるが、それを言語化して歌詞に落とし込めるほどの頭脳も持っていない。
「まぁ、確かに、歌詞はひどいかもしれないが」
「歌詞だけじゃなくて。曲だって、全部パクリだろ」
俺は黙ってメモ用紙に並ぶコードを目で追いかける。この曲は、今フォーク界で注目を集めているアーティストのコード進行を丸パクリしたものだ。いや、それと他の流行り曲のコード進行を少し混ぜた、人気フォークキメラとでも言おうか。
俺たちはよく音楽を聴きよく批評をするが、いざ自分たちが作るとなると何の音楽知識もなく、また知識を得るための努力もできない人間だった。何事もやってみないとわからないとはよく言うが、こんなことならやらなけりゃあよかっあ。
「別に、まぁ、売れなくたって、いいだろ」
俺はメモをジーンズの尻ポケットにくしゃくしゃに押し込み、笑顔を作って言った。そう、売れなくたって、別にいいのだ。俺は音楽の趣味が合う梶川とアーティストの真似事をして、必要最低限のバイトをして暮らしていけたら、それが幸福なのだと考えていた。しかし、
「俺、結婚するんだよ」
梶川が再び、いや、先ほどとは比べ物にならないレベルの衝撃発言をぶち込んできた。俺は「はぁ!?」と怒声のような驚きの声をあげる。信じられなかった。だって、彼女がいたなんて聞いたこともないし、しょっちゅう彼の家に泊まりに行くが女の気配を感じたことなんて一度もない。
「誰だよ、相手、というか、お前いつの間に……」
「お見合いしたんだよ、お見合い。親に急かされて、見合いを組まれたんだ。まぁ、もう俺たち二十五だし、考えるべきかなってな」
「お前に結婚願望があるなんて、知らなかった」
「あぁ、別にないさ。でも、子供はずっと欲しかったからな」
そう言えば、出会った当初からゆくゆくは子供がほしいとよく言っていたっけ。自分の子供と庭でキャッチボールをするのが夢なんだそうだ。あまりにもどうでもよくて、聞き流していたが、本気だったのか。
「だからってお前、まともに働けないだろ! 奥さんと子供を養えるような仕事がお前にこなせるかよ」
俺と梶川は五年前、ある工場で出会った。「簡単な軽作業」を謳ったアルバイトで、その簡単な軽作業もまもとにできず、封筒を糊付けするという作業を八時間やり続けて仲良くなったのだ。その後も一向に仕事が覚えられず、社内の人々とのコミュニケーションもまともにできなかった俺たちは、二人揃ってクビになった。それ以降、互いにアルバイト先を転々としながら、音楽活動を続けてきた。音楽活動といっても、ライブに出演すれども客は滅多に入らず(友達に無理やりチケットを売りつけようにも、その友達がどちらにもいないのだ)、ライブハウスに金を払い続けるだけの日々だったが、俺はそれでも、二人での活動が楽しかった。二人で曲を作り、ギターを鳴らして歌うのが、楽しかったのだ。だが、いつのまにか梶川は曲作りに参加しなくなっていた。俺たちの活動に終止符を打つのが結婚だなんて、思いもしなかった。
「お前に結婚なんてできない」
俺は自分に言い聞かせるように呟く。すると梶川は鼻をふふんと鳴らした。
「それがな、俺が働くんじゃないんだよ」
「は?」
どういう意味だ。俺が呆けていると、梶川はニヤついて言った。「俺は幸運にも、逆玉に乗ったんだ」
「女が働いて、お前が家事やら炊事やらをするってわけか?」
「そういうこった。まぁ、たまのバイトくらいはするがな。なんとその女、相当の稼ぎがあるらしい」
「そんなの、日本男児の風上にも置けん」
「言ってろ」
「第一、どうしてそんな高級取りの女がお前みたいな男と結婚したがるんだ」
「顔が気に入ったんだと」
いやー、この顔に産んでくれた両親に感謝だな。梶川は至極嬉しそうに笑う。風が吹いて、地面に横たわっていたギターの弦が震えて小さく音が鳴って、風と共に消えた。「そういうわけで、音楽は終わりだ」
「別に、結婚して家庭に入ったって、音楽ぐらいはできるだろ」
「そんなの、稼ぎに出ている女に悪い」
「そんな誠実な奴じゃないだろ、お前」
「それに、互いの目的は子供なんだ。子供ができたら、音楽なんぞに時間を裂いていられなくなるだろう」
梶川は、俺の未練がましい誘いをキッパリと断る。
「俺だって、続けられるもんなら続けたかったさ、こういう日々をな。でも、無理だ。先がない」
「じゃあ、せめて、子供ができるまでは」
「ダメだ。未練を残したくないんだ、お前との生活に」
そうだ、こいつは、こういうサッパリした性質の男なのだ。こいつに別れを切り出され、泣いて縋る女を何人か見てきた。馬鹿な奴らだと思っていたが、まさか俺が同じような立場になるとは。
それでも俺は頭の端っこで、まだどうにか引き留められないかと考えていた。が、当然何の言葉も出てこない。このまま音楽をやっていても、あいつが妻子を養えるほどの稼ぎは一生望めないだろう。俺といたら、あいつは子供という夢を叶えられずに終わる。俺があいつの子供を孕めたとしたらまだやり方はあったが、それも物理的に不可能だ。これ以上梶川が俺と音楽をやるメリットはひとつもなかった。
「梶川! お願いボクを捨てないで」
俺はある少年漫画のセリフを拝借し、どうにか梶川を繋ぎ止めようと努力した。その漫画は、梶川も一番好きな漫画だと以前からよく言っていた。最後の足掻きというやつだった。しかし、「バカ言うなよ」と梶川は笑い、ギターを河川敷に置いたまま、振り返ることもなく去っていった。


その一ヶ月後に、梶川は結婚式を開いた。梶川の奥さん兼梶川家の大黒柱となる直子さんをその時初めてちゃんと見たが、賢そうで、綺麗で、正直かなりタイプだった。
「梶川やめて俺にしませんか? 料理とか割とできるんですけど」
俺が精一杯眉尻を上げて男らしい表情で迫ると、直子さんはワハハと豪快に笑い、「こっちの方がタイプかな」と梶川の顔を爪先でつついた。
「そんなにいいですか? どこにでもいませんこんな顔」
言うと、梶川に後頭部を引っ叩かれた。
俺は梶川に、式での余興を頼まれていた。あんな別れ方をしたのに余興を頼むだなんてどうかしているんじゃないかと思ったが、梶川は案外そういう無神経な所がある男だったのを思い出した。
俺にできる余興なんてものは一つしかないので、当然アコースティックギターを持ってきた。梶川の友人として俺の名前が呼ばれ、梶川と直子さんの関係者(主に直子さんの家族親戚や友人、職場の人たちだ)がうじゃうじゃと参列している会場のステージに立つ。適当な自己紹介と挨拶を終えた俺は、もう少し何か喋らねばと思いスタンドマイクを握った。
以前、梶川と小さいハコでやったライブの光景を一瞬思い出したが、すぐに現実に引き戻された。俺たちが立っていたハコがこんなに客でパンパンになっていたことは一度もない。
「梶川とは長いこと音楽活動をしていましたが、結婚をすると言われ、私はあっさり捨てられたわけであります。ですが、直子さんの聡明さや美貌を前に、私は敗北を悟りました。私は梶川を愛していましたが、直子さんと出会った梶川が私を捨てるのは、仕方がないというものです。私には聡明さも美貌も何一つないので、梶川を満足させることは一生できないでしょうから」
俺がつらつら喋っていると、式場のあちこちで笑いが起きた。特に俺たちの音楽関係の仲間は、行儀悪く足をバタバタさせて笑っている。何がそんなに面白いんだちくしょうめ、という言葉はもちろん飲み込んで、俺はギターを手に、パイプ椅子に腰を下ろす。
チューニングはリハーサルで確認したが、一応耳でもう一度確認して、それからコードを押さえる。
メジャーコードをジャカジャカと適当に鳴らし、その場で思いついた歌を乗せる。
結婚おめでとう、本当に嬉しいよ
幸せになってくれ そんでたまには俺とも遊んでくれ
最高な夜だ これから、最高な日々を二人で……云々
そんなありふれた耳触りのいい歌詞がスラスラと口から出てきて歌になった。全くの嘘のような気がしたし、心の底からそう思っているような気もした。2分程度の短い祝歌は終盤を迎え、俺は「でもやっぱり捨てないで」という言葉を最後に無理やり音に乗せ、曲を終わらせた。
拍手が沸き起こり、参列者はみんな楽しそうに笑ったり、腹を抱えたりしていた。梶川は照れ隠しだろう、小声で「バカ」と言い、直子さんは口で手を覆って笑いを堪えていた。
俺の余興は大成功で、梶川の結婚式は盛り上がりを見せたようだった。俺は何だか今すぐこの場でギターを地面に思い切り叩きつけて破壊し大声を上げてこの場から逃げ出したかったが、大人だからそういうことはしなかった。ただ席に戻って、ワインをしこたま食らって、タキシード姿の梶川を眺めて、本当に愛していたなあと思っただけだった。

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