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改めて「人はどう死ぬのか(久坂部羊)」の感想を綴る

 前回、久坂部羊氏の著書、
 「人はどう死ぬのか」

に付いての感想をアップしました⤵


 ただ、そこでも申し上げたとおり、前回はまだaudible(オーディオブック)を聞いている最中のアップであり、
その後完全に聴き終え、そして改めて自ら考えを巡らせますと、
実に様々な気づき、発見がとめどなく溢れてきたのであります。
 
 それで今回は、著者・久坂部羊氏が本書で述べるわたくしが特に印象に残った部分を引用しつつ、
それらからのわたくしの気づき、及びこれまでの考え方を大きく変えるに至った点をまとめたいと思います。
  
 ただ、久坂部羊氏の指摘や主張はかなり医療や社会全般の『タブー』に触れているのでは?
と思われかねない部分も見受けられるとわたくしは感じます。
 ですのでわたくしは大いに学びを得られつつも、
現在のところは「仮説」「フィクション」という前提のもと、
 
 「でも、もしこれらが事実だとしたら?!」

という視点でまとめたいと思います。
 
 わたくしも今後日々これらの信憑性を模索し続けます。
 
  
 

① 「余命」とは?


 
 一言で言えば
 
 「余命なんて当てにならない」
 
に尽きます。

 医師が実際は正確な余命を推定できないにもかかわらず、
 
 「余命は3ヶ月です」
 
と本人、あるいは家族などに宣告し、
その後実際は半年、一年と生き延びることができたとしたらその後遺族は、
 
 「これはきっと担当医師が一生懸命治療に取り組んでくれた賜物だ」
 
と思ったとしても不思議ではなく、
実際今までのわたくしもそう考えたでしょう。
 
 しかし、実際医療の現場を見てきた医師としての久坂部氏は疑問を呈します。
 
 たしかに言われてみればありえないはなしではないとわたくしも考えざるをえません。
 
 

② 医師自身が望む「死因」とは?
 


 
 これが一番興味を引かれたお話です。
 
 オーディオブックなので現時点では詳細を挙げることはできませんが、
 
コレ、答えは「癌」なのだそうです。
 
 こちらも言われてみればある程度納得できます。
 
 通常、癌の場合は発覚、宣告後すぐに命を落とすというケースは少なく、
よって心の準備や身辺整理などに費やす時間はケースにもよりますが取れるものです。
 
 遺言、遺産相続の準備、さらには浮気や不倫、自らのSNS投稿など死後に残したくない物事の整理にもそれなりの時間が割けます。
 
 ただ、おそらく久坂部氏が最も伝えたいことは、
 
 「医師自身の癌がもし発覚したら、
 
それまで患者に施してきた処置を果たして自らに課すだろうか?」
 
という一点なのだと思います。
 
 こちらについてはなんとも言えません。
 
 

③ 「死」から逆算したら今の生き方、健康法は?


 
 
 こちらが最も感銘を受けた部分で、かつわたくしもある程度の自信を持って貴方にも考えてほしい点であります。
 
 死の間際に至った高齢の患者さんが最後は歩けないなど身体のあちこちに支障をきたし、
加えて排泄、入浴等を自ら行えず他者の手を借りるようになり、
 
ふと、

 「これまで健康にはしっかり気をつけてきたはずなのに、この歳まで生きられたゆえに最後がこれでは…」
 
ともらすケース。
 
 
 不摂生を重ねつつも自分の行きたいように生きた人のほうがむしろ
「ポックリ」逝って後腐れないのでは?!という見立て。
 
 もちろん先に挙げたような
「死への準備」は出来ないわけですが…
   
 
 ここからはわたくしの考え方を中心に申し上げますが、
  

 「自分の理想とする『死』から逆算して

『今をどう生きるか?』を考える」
 
 その必要性に目覚めました。
 
 
 健康を最重視して節制に努めるも、
 健康あれこれより好きなことを思い存分謳歌しまくるにも、
 
 「理想の死に様」

に思いを巡らせておくべきなのです。
 
 
 私の場合、欲を言えば、
 
 

 「100年超の誰もが羨むような長寿を果たし、
 
健康なまま徐々に死への準備をゆっくりと進め、
 
全て終えた後にあっさりとゆったりと息を引き取る」


 
というのが理想ですが…
 
もちろん机上の空論です💦
 
 
 でもこのような視点に立つ意識をこの度得られたことはこの上ない喜び。
 
 さて貴方はどうでしょうか?!

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