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「中学生までは全国大会はいらないのでは」を受けて

3月28日の朝日新聞朝刊で、オリンピアン・為末大さんが、
「中学生までは全国大会はいらないのでは」
と提言されています。
https://www.asahi.com/amp/articles/ASQ3R6R88Q3RUTQP023.html
     
小学生の柔道全国大会が、
「行き過ぎた勝利至上主義が散見される」
との理由で廃止になったことが発端だそうです。
      
コレ、
「全国大会はいらない」という表現は、
「あえてわかりやすく」表現されていると理解してもらいたいです。
    
私なりの大切なポイントは以下二点です。
      
      
① 小学生の全国大会『そのもの』がいけない・不必要というわけではない。
    
② 小学生に限らず、アスリートそれぞれが異なる目標・価値観を持っていることを理解すべし。
      
      
まず、① です。
     
文字通り、
「全国大会そのもの」がいけないわけではありません。
     
街中でもよく見かける、小学生の練習風景や大会の様子を伺えばよくわかります。
     
指導者の指導方法、そしてその練習や大会を見つめる親の様子が未だ
「旧態依然」なのです。
     
まだ多くの指導者は「体育会気質」が抜けません。
    
まただからこそ「指導者」の位置にいる場合が比較的多いのです。
    
「全部」とは言いませんがね。
    
そもそも指導中に発する言葉がおかしいです。
    
どこの現場もよく見て貰えばすぐわかりますから割愛しますが、
「それいつの時代?」という言葉を平気で使います。
    
まあこれからの小学生は、それについていけなくて故障してしまう以前に
「やっていられない」となってしまうでしょうが。
     
また親の場合は、これ学習指導現場でも同じでしょうが、
     
「その指導、『子供』のためでなく、『自分』のためじゃない?」
   
と思えてしまう場合が多いですよね⁈
     
少し話が逸れてしまいますが、自分が叶えられなかった夢を子供に託すというのが、親に限らず指導者にも多かれ少なかれあります。
     
コレ、度が過ぎると恐いです。
     
     
そして次の ② です。
    
ここは話をわかりやすくするため、
「箱根駅伝」に話を絞ってみますね。
     
箱根駅伝に出場するメンバーでも、
    
○ 「箱根が選手生活最後のレース」であり、卒業後は「引退(一般企業等への就職)する」
    
という選手もいれば、
     
○ 「あくまでも自分も目標はオリンピックマラソン出場・メダル獲得であり、箱根はその『通過点』」
    
というケースもあるわけです。
    
特に最近はおそらく後者のケースが多いわけです。
     
それら選手個々人の目標や適性と指導者がどう向き合うかなのですネ。
     
だから容易に想像できますが、補欠も含めて10人超となる箱根駅伝チームが誰1人残らず一丸となって目標は

「箱根駅伝制覇(優勝)!」
  
と標榜すること自体が「不自然⁈」ということも考えられるわけです。
     
この考えを丸ごと、
「小学生の全国大会」にも当てはめて考えればいいのです。
      
要するに小学生の全国大会『そのもの』がいけないわけではなく、「目標設定」「方向性」を選手個人ごと、チームごとに上手く設定すればいいわけです。
     
    
最後に、
僕の知る限り、大谷翔平選手はプロ野球入団まで指導者に恵まれていまして、私が前述した「弊害」にはおそらく見舞われていません。 
    
そして彼のような「超絶レベルのアスリート」って、
「最後は自分次第」なのです。
    
現役時代の為末さんも同じ。
    
特に法政大学時代の為末選手を垣間見た感じでは、彼は「反骨精神」も強かったと思います。
    
いずれにしても、大谷選手、為末さんとも
「強固な自分軸」が備わっているのです。
    
そこを育てるのが指導者、そして我々のような親のキーですネ♪
     
では
     
     

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