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「自分はまだまだ!」を歴史から知る

   幕末へ向かう日本史を学んだ人ならば、「海国兵談」を著した林子平(1738-1793)を知っているでしょう。
  当時鎖国政策を貫いていた日本において、広義の「対外政策」に新たな舵取りが必要と考えた賢人の一人が林子平です。
  「海国兵談」の中で林子平は、「海国」である日本についてこう書いています。

  「地続の隣国無して四方皆海に沿(ソエ)ル国を謂う也。
  (地続きの隣国がなくて、四方みな海に沿うている国のことである。)」

  以上は私が今勉強している著書「渡辺崋山(ドナルド・キーン著)」からの引用です。

  それにしても、歴史について学んでいると、当時の人たちは凄いなぁと感心することばかりです。

  今を生きる私たちであれば、日本が「地続きの隣国がなくて、四方みな海に沿うている国」であることは当然のように認識しています。
  というか、僕にしてみればそれは当たり前過ぎて日頃気にすることはありません。

  それに対して昔、今回の場合は江戸時代ですが、今を生きる私たちとは違って、他の諸外国のことを詳しく知る術は少なかったはずです。
  おそらくは日本以外の国のことなど知らなかった人も多かったでしょう。

  そんな中でたとえ知識人(今回の場合は林子平)であったとしても、日本の地理的特徴をキチンと把握し、「であれば日本はどうあるべきか?」を真剣に考えて著書にまとめるとは凄いことです。

  実際「海国兵談」は、日本は大陸国とは違う、「海国」なりの武力を持たなければならないとの説が主張の一つである著です。

  過去を生きてきた昔日の人達は、現在と比べると明らかに少ない情報しか入手出来ずも、それら一つ一つに対する思考や探究は限りなく深かったことが容易に推測されます。

  翻って現在はどうか?
  あまりの「情報過多」の中、「一つ一つに対する思考や探究」については極めて浅いのではないでしょうか?
  それはそれでやむを得ないのも確かではあります。

  反面、現在ならではの「叡智を結集」出来たとしたならば、質量とも豊富な発見・気づきが得られるのも事実です。

  もちろん「情報過多」でありますので、全てを受け入れるのは厳しく、「取捨選択」が必要になるのはいうまでもありません。
  それぞれの人がそれぞれの「好き・得意」を追いかけ、それをお互いにシェアし合えれば良いのです。

  こういった「発信」の意義がまさにそこに合致するのです。

  私自身は「過去(歴史)をこよなく愛し、その恩恵を未来へ伝承する」を人生の大きな使命、生きがいとして、日々生き生きとしていたいですね!

では

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