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日記、エッセイ

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日記とエッセイのまとめです。
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記事一覧

夢日記(12月12日)

 気づくと私は電車の中にいて座席に座っている。私の服装もスマホも持ち物も大学時代のもの。座席は満席で、がたがたと電車に揺られている。左隣には何かをノートに書いているお爺さんが座っていて、それを見て私は夢の中にいることに気づいた。これは私の本当の記憶の一部の再演なのだった。お爺さんが書いていたものは漢詩だった。七言律詩であった事まで覚えている。私はお爺さんに声をかけて「良ければ読ませてくれませんか?」と言いたくなった。けれども、そこから踏み出して声をかける事もなく私は次の駅で降

10月14日(金)【雑記】

ほぼほぼ  近年、新語として産み出された言葉で「ほぼほぼ」が途轍もなく大嫌いだ。言葉は時代とともに常に変化をしていくものであると理解はしているので、私は新語に対して基本的に忌避感は無いはずなのだけれど「ほぼほぼ」には全く慣れる気がしない。年々嫌悪感が高まっているようですらある。  何故こんなに「ほぼほぼ」が嫌いなのかについて延々と記述すれば軽く5000字以上は書けてしまえることに違いない。  それは控える事にして、簡潔に言ってしまえば単純に響きが美しくないという主観と、副詞

9月23日(金)【日記】

 ひまわり畑の後日 そろそろ良い具合にひまわりも枯れきっているだろうと思い、この祝日の休みを利用して、夏はお盆の時期に見に行ったひまわり畑にまた向かう事にした。何が悲しくて一か月前と同じ場所にしかも枯れたひまわりを見にいかなければならないんだ…もっと有意義な祝日を送るべきだろう…という心の声がしなかったかと言われたら嘘になりますが、私にとってやはりその光景は必ず見なければいけないもので、そこには「有意義」「合理的」「実用的」だとかの頭の固い言葉が一切届かないところにある、私自

最近のマイブームはアロマキャンドルです。 香りという点もあるけど、キャンドルの灯火が揺らめいているのを無心で眺めていると何か精神を落ち着かせるものがある。

9月17日(土)【日記】

なにもない日のはずが 今日は執筆休息日にして朝に映画を一本見て、昼に買い物に行き、掃除洗濯も一通り済ませてからは夕方までずっと読書していました。筋トレ後に夕食は作り置きにしていたアスパラとベーコンと椎茸のバター醤油焼き、もやしと人参と小松菜のナムルに加えて、鯵の干物にご飯と味噌汁としっかりめに摂り、もう一つ映画でも見ようとモニターに向かって暫く腰を掛けヘッドホンを付けて視聴し、このままなにごともなく休日を終わらせようとしていたのですが、視聴してて30分後ぐらいたった後にモニタ

令和4年 9月4日(日)の夕食。

ザワークラウトの突如の精製。  怒りから手間や時間をかける料理を作るときがあって、9月4日の一週間ほど前がそういうときだった。いらいら、むかむかするときは調理工程に食材をシバき倒すかのような工程のある料理を作って発散するようにしている。今回の適任はザワークラウトだった。ザワークラウトはソーセージは勿論、ヨーロッパ料理との相性が良いし乳酸発酵させたキャベツは身体にもよく馴染むので時々作っている。何よりも作るために必要な食材が基本的にキャベツと塩だけと非常にシンプルなのもいい。

季節の変わる瞬間。

 田舎に住んでいると季節が変わっていく瞬間を大地の全てが知らせてくれる。車を走らせると田んぼは茎や葉はまだ豊かな緑色だけど、穂はぷっくりと薄く黄金色に実って重力に耐えきれずだらんと垂れている。サイドガラスを下げると梨とリンゴを微かに薫らせる風は、明らかに夏とは違う重みを持っている。夜となるとコオロギや鈴虫の鳴き声が耳を通り抜ける。見渡す限りの景色が秋を含んでいて、いま秋が始まったんだと確信をもって言える。  近年、季節の概念が崩れそうな気候が続く中でも、まだかろうじでこの瞬間

夏の後日。

 スーパーの生鮮食品コーナーにも秋という単語を見かけるようになった今日この頃、『夏の前日』という漫画を一気読みしていた。主人公の青木哲生と藍沢晶を足して二で割ったら私という人間になるんじゃないのだろうかという自惚れた諧謔心と、孤独者としての又は受動型人間としての共感とともに読んでいました。  素晴らしい漫画でした。ただ読んだ直後ですので確固とした感想は纏まっておらず、もし感想や解釈について誤謬があれば私の本意とするところではないですし、なによりこれ以上この漫画の内容を滔々と

お盆近況。

 私は両親との折り合いが悪いので、お盆期間中もだがそれこそ何年も実家に帰省していない。ただ、今年は妹が1歳の姪っ子を連れて実家への中継地として私のマンションに訪れて、「このひまわり畑に行きたい」だとかの妹の要望を受けて、妹と姪っ子とさながら小旅行のような感じになった。  私はあまり車の運転には向いていないので、つどつど道の駅で休み、ソフトクリームなどをたべながら目的地に向かった。当然、疲れもしたけども良いリフレッシュになったと思う。広大なひまわり畑に美味しい天付きざる蕎麦、そ

帰属。

 私の性指向はバイセクシュアルですが性自認はあくまで男性であり、トランスジェンダーではないということは時折言及していることで、私の普段の容姿は男性という形式を被っている。そうして自分がバイセクシュアルであることを包み隠したまま仕事をこなしていくと当然のように、殆ど男性のみの飲み会だったりに参加することが多い。逆に"無害な男性"として殆どが女性の飲み会に誘われ参加することもある。  そして今日に至り、そういった集まりを重ねて結果として男性という動物たちの醜悪さを垣間見る機会がよ

上手くいかない日も。

 仕事で疲れてはてて倒れるように何も生産的な趣味や活動が出来ずに眠り、起きてはバタバタとまた出勤する。そんな日々が嫌で公務員になったのに、現実は違ってここ3日間はそういう日々を送らざるを得ない忙しさだった。多分今週いっぱい、お盆休みに入るまで続くのだと思う。  不眠症を抱えているので倒れるような眠りは長くは続かない。30分~1時間をせいぜいに起きてしまう。それからは睡眠導入剤を飲まないと明らかな疲労を感じているのに上手く寝れない。または一切寝付けない。  それを逆手にとって睡

日曜日に追いすがる。

安部公房の『壁』にある何気ない情景描写の一節が好きだ。  阿部公房を代表する一作であると共に特に難解で幻惑的な小説の『壁』においての何気ない一節だが、なんとなく再読している時この箇所を読んでいたく気に入ってしまった。  日曜の今この時にまたこの一節に触れてもとても良い。私の気持ちにもシンクロするものがあるし、なにより『壁』という不条理を描いた作品を全体で俯瞰した場合ここは「逃げていく日曜日に追いすがろうとする」という言葉以外にあり得ないんだと思った。月曜から逃げようとしてい

心を穏やかにする為に包丁を研ぐ

 私にとってやるまでは煩わしいが、始めるとテンションが上がる事の上位にあがるのは包丁を研ぐことだ。  2ヶ月前から切れない事を認識していた包丁をようやく砥石で磨いてみると、毎度ながら忘れてしまう心地よさを蘇らせられた。  水でよく砥石を湿らせたからだろうか、研いでいる時の音色はとても心地よいもので、研いでいるその時間は何か明鏡止水を体現しているような空間になる。  艶やかに磨かれた包丁で食材を切るときのストン…とした軽妙な切れ味の感覚は私を調子に乗らせたようで、余計に野菜

高熱で『君の名前で僕を呼んで』を観てた話

 突然ですが、私は生物学的にはオス、性自認も男性、しかし性指向はバイセクシュアル(両性愛)である人間です。      そうした私にとって大好きな映画『君の名前で僕を呼んで』を再視聴して無性にこの作品の話をしたくなったのだけれど、レビューにするには公開からそれなりの時間が経過している映画ですし、他所にも良いレビューが既に上がっているでしょうし、殆どエッセイみたいな形で思いのゆくまま書いていきます。   当時令和4年5月31日の午後に3回目のコロナウイルスワクチンを打った所、暫