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信念と小さな戦いと音楽と。

インターネットラジオ「Midnight Desert」(第125回)

我らのネットラジオ、「Midnight Desert」も、はや第125回。
視聴数が良い週もあれば、ダメな週もある。
今週は、音楽制作についての怒涛の質問群にお答えしまくったせいか、けっこう良かったです。
ご視聴ありがとうございました。
過去回も含めてオンデマンドで聴けますので、お時間のある方は是非!
インターネットラジオは、みなさんからのメッセージがモチベーションになっています。
音楽にとどまらず、恋愛相談、人生相談みたいなものも頂きますし、ささいな日常のご報告でも結構です。
番組内で全てを読ませていただくことは難しいかもしれませんが、TwitterのDMでお待ちしていますので、是非、メッセージを頂けたら、と存じます。
Twitterのアカウントは、
@jomik0720
です。よろしくお願いします。
(藤原ナオヒロのアカウントは、このページの下のほうにあります)

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自分の価値観のベースにあるもの

20代の頃に、プチ・ブレイクがあり、いろいろとあって極度の人間不信に陥った時期がある。
他人の不誠実さに失望したとかではなく、他人と何も分かち合えないと思っていたところに原因があったと思う。
別に自分が変人だと思ったことはないが、なぜか他人と感覚(というか価値観)を共有できないことが多くて、生きづらさはずっと感じていた。それはもしかしたら、子供の頃からずっとそうかもしれない。
まあ、音楽家なんて人種はそんなもんだし、個人主義のアメリカ人と長い間ずっと一緒に暮らしていたし、たぶんちょっとした違和感はそういうところからくるのだろうと、少し大人になってからは軽く考えるようになったけど、今になってよくよく考えてみたら、
「時代や文化で変わっちゃうような価値観はあまり信じていない」
と公私に渡っても公言してきたし、今もそんな価値基準のせいで、なかなか長いものに巻かれない面倒くさい人間だと思われ、他人とのコミュニケーションがうまくいかないのだろう。
生活や仕事についてはもちろん、環境問題やジェンダー問題、宗教に関しても、たぶん、そう。
普遍には意味がある。それを理解したうえで、初めて自由を手にすることができる。
もちろん、そういった考え方こそが絶対的に正しいとは思っていないし、他人に強要するつもりもない。
あくまでも個人的な…というか主体的な価値観として、だ。
そう信じたうえで、自分の人生において「小さな戦い」を続けてきた。

Evergreenをめざしたい

そう考えると、矛盾するような話ではあるけど、自分がやっている音楽って、真逆だな(笑)。
自分が追求しているのは、大衆音楽(ポップスともいう)であり、それは時代であり、文化そのもの。
それは「今」を表現できてこそ、本望だと思うべきなのだろう。
大衆文化は「消費」されるもの。移りゆく価値観の中でそれを鏡のように映し出しながら人々の心を照らしていくもの。
そしていずれ何の価値もなくなってしまう(かもしれない)もの。
それを踏まえたうえで、自分は潔く音楽をやっているだろうか。自分が書いた曲と心中できるだろうか。

いやいや、せめて半世紀は残ってほしい。
少なくとも今は、そこを目標に曲を書こうと思うことにする。


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