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「兼学寺院」再興で葬式仏教脱却を

寺請制度の撤廃を目指して

 日本の仏教が「葬式仏教」に落ちぶれた諸悪の根源は、江戸時代の寺請制度にあると考えている。広く経典を学んで人生の道標とし、時には神仏に救済を求め、そして死の悲しみに際しては浄土往生を信じて縁者との心のつながりを保つ、、、日本人の人生のあらゆる場面に寄り添う存在であったはずの仏教が、戸籍を掌握したことで住民の上に立った僧侶たちによって、日本人を縛るものに変貌してしまった。菩提寺に戸籍を保証してもらう代わりに檀徒としての務めに励むことを強要され、それを怠ったと判断され除名されれば、それは被差別階級への転落を意味したのだ。平等と調和を説くはずの大乗仏教の根本を逸脱したこの制度への反抗心と、そして明治期の国家神道政策とがあいまって、やがて廃仏毀釈の嵐が吹き荒れることとなるわけである。

 もちろん、今の世の中にあってこうした権力は寺社から完全に剥奪されているが、この時確立された師檀関係の概念だけは未だにしぶとく生き残っている。「うちの家は○○宗」、こういった認識が、日本人の大乗仏教徒としての自覚を逆に阻んでいるのではないだろうか。

 それぞれの宗派を立ち上げた宗祖たちは、広く大乗仏教を学び、その深淵な教義の中で、特に民衆の救済に重要と思われる箇所をピックアップして強調し信仰を集めることに励んだ者たちである(一部他の宗派を激しく攻撃した宗祖もいたが…)。彼らの教えのいずれもが、それひとつで大乗仏教の全てであるわけではないし、もちろん全てが誤りであるわけもない。であるならば全ての宗派の教義には、大乗仏教の普及に果たすべき強みとなる点が存在しているはずである。

南都系(三論・法相・華厳):大乗仏教の基礎となるインド哲学の世界観
法華系(天台・法華):永遠なる神と、全ての生命の救済を概念的に保障
密教系(真言・天台):現世の救済を具体的方法論で保障
浄土系(浄土・真宗):死者の救済を具体的方法論で保障
禅律系(曹洞・臨済・律):自分をみつめなおすこと、生活に仏教の実践

 これら全て紛うことなき「大乗仏教」である。これだけの宗派が我が国で育ち、そして現代まで生き残っていることこそが我が国のかけがえのない財産である。「うちは○○宗」と関わりを絞っていまうことはなんともったいないことだろうか。

 師檀制度の完全撤廃を目指し、私はその第一歩として「兼学寺院」の再興を提案したい。その代表として「東大寺」と「泉涌寺」を挙げる。東大寺は華厳経の思想に基づいてその教主たる毘盧遮那仏の大仏が造立された寺院であるが、その別当には空海も任じられており、以後真言宗と三論宗、華厳宗が別当職を分け合う形で明治に至っている。東大寺の中に真言院(真言)、東南院(三論)、尊勝院(華厳)、知足院(法相)と各宗派の本所が並び立っていたのである。また皇室の菩提寺として知られる「御寺」泉涌寺も、もとは律・天台・真言・禅・浄土の五宗兼学の寺として知られていた。代表的観光地として知名度も高い東大寺が「兼学寺院」を標榜すれば、民衆の間でも宗派を限定しないことへの抵抗感が払しょくされることが期待されようし、また泉涌寺が「兼学寺院」に復せば現在所属する真言宗をはじめ特定の宗派への偏りを防ぎつつ、皇族の菩提寺の地位を取り戻して天皇に大乗仏教の守護者へと立ち還って頂くきっかけとなるのではないだろうか。


「兼学寺院」は仏教の総合病院

 わたしが身を置く医学・医療の世界にも同じことが言える。江戸時代であれば、あらゆる異常に対してひとりの漢方医が様々な漢方薬を処方するということが可能であっただろうが、ここまで医学が進歩し広がると、もはやすべての領域を一人の医師でカバーすることは不可能であり、専門の診療科に細分化されていることは当然の流れである。しかし患者が「うちの家は耳鼻咽喉科びいきなので」と、腹痛を抱えて頑なに耳鼻咽喉科を受診するなどということはありえないであろう。

 仏教宗派も同じように、それぞれの強みを生かして在家信者に仏教の教えや救済の方法を提供すればよい。「個人病院」の地域の寺院では様々な宗派を広く修めた僧侶が大乗仏教の教義の普及を担って民衆に寄り添い、その民衆が必要とする教えや救済を汲み取って「総合病院」の兼学寺院に導く。「総合病院」の兼学寺院には特定の宗派を深く追究したバラエティーに富んだ僧侶が集まって様々な供養・修法を提供する。といったような宗派横断的な本末関係を築いていくことはできないであろうか。

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