人間の限界

情報爆発と順応

1000年、2000年と積み重ねてきた人間の文明の中で培ってきた情報量をここ20年で遥かに凌いでしまった。ある意味、人間の処理能力を完全に超える情報量が日々流れ、それらの殆どは手に持ったスマートフォン上から参照できる。

しかし、人間は発狂せず、そういう世界に順応してしまっている。適応障害も増加しているが、その状況に順応し、元に戻れなくなっている人は多い。仮に、ネットが停止し、今まで得られた情報が全く無くなったら確実にパニックになる。が、やがて順応していく。

切り捨てる能力

ただ、人間の適応能力の凄さの裏返しで、新しい能力を取得するというのは既に持っている能力の一部を捨てる事と同義である。新しい世界に順応する事で、失われる能力があるという事、それが、人間という能力の器の限界だと思う。

極端な例だが、今の日本人は70年以上もの間、戦争を経験していない。それは、戦争という絶望的な状況の中で生き続ける能力が失われているという事。何故、そんな話をするかというと、武道に於ける技術の進化、退化を見ているから。

武道はその思想を「型」に集約し、「型」を伝承する事で生きながらえている。しかし、剣術が剣道に変化した事で、最も重い部分である「人を斬る」技術は事実上、失われた。その剣術も、江戸時代に入った時点で、それまでの合戦時における技術は失われている。ゆえに、「型」に封じ込められた叡智というか、意図を後世の人間が正確に理解するのは難しい。そうして、失伝する「型」がある一方で、新しい「型」が生まれる。

何かを得るために何かを捨てるという行動原理は、時代を超えて生き残り続けるための人間の能力である。しかし、器が拡大すれば捨てる必要は無いなずであり、そういう意味では人間は思ったより進歩していないのかも知れない。

無知と次世代

こういう話をしようと思い立ったのは、とあるネット番組を見たから。世界をリードしてきた日本の技術力が凋落し、没落家系のような未来が見えて来たから。あまりネガティブな話はしたく無いが、日本の指導層の老人たちの近視眼的志向が目に余る。前例踏襲でうまく行った時代があまりに永く続いたせいで、今になっても同じ決断をする。

この世代の連中の一番の罪は、「アジアの国を舐めている」事。未だに認識が変わっていない。だから、未だに中国に固執したり、東南アジアを「安い労働力の供給源」としてしか見ていない。優秀なエンジニアは中国にも東南アジアにもごろごろ居るし、ドライで即断出来る経営者も多い。

俺ら引退の見えてきた世代はこのまま逃げ切れるかも知れないし、定年後に地獄が待っているかも知れないが、若い奴らは「日本人であるアドバンテージの無い世界」で戦っていく事を強いられる。これまでの日本が囚われている成功体験という新興宗教から離脱しなければならない。

なので、親の世代、それよりも上の世代が前例踏襲で押し通す姿を見習ってはならない。他国の労働者を見くびってはならない。今まで下だと思っていた連中に追い抜かれる経験を何度もするだろう。しかし、彼ら、彼女らとて、新しい時代に適合させる事で、それまで当たり前に持っていた能力を失っている。がんばれ。



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