不妊治療|1回目の胚移植、そして2回目に向けて
不妊治療を始めて3年目。
初めての胚移植は、陰性に終わった。
着床することもなかった。
旦那に1日に1回なでてもらっていたものは、
ただの脂肪だったようだ。
で、私は涙することもなく、安堵することもなかった。
何も思わない、何も感じていない、そんな気がする。
ーーー
エストラーナテープを貼り続け、ウトロゲスタンを挿れ続け。
そんなルーティンを鬱陶しくは思うけれど、慣れたもので。仕事の合間にトイレで挿入するときだって、ツラいだのなんだのって気持ちが揺さぶられることはなかった。
採卵の結果は、よかった。
20個採卵できて、顕微授精の末、10個を凍結できている。
精子の所見が良くなくて、当日の判断で顕微授精となった。私自身も卵胞を自力でいい感じに育てられない。加えて精子所見が良くないときた。
だから、受精さえすれば、簡単に妊娠できちゃうんじゃないかって期待はした。移植後は、分娩できる病院や行政手続きについて、調べていた。
だけど、それは必要な情報収集でしかなかった。
ワクワクして期待して,落ち込むことにはつながらなかった。
もし「陽性です」と言われても、私は喜ぶことはないだろうと思っていた。喜ぶ自分が想像できなかった。それは同時に、「陰性です」と言われても、悲しむ自分を想像できなかったということでもある。
不妊治療は、どうしても女性の負担が大きくなる。
仕事の都合をつけて、通院をする。
自己注射をして、テープを貼って、坐薬を挿れて、膣錠を挿れて。指示された時間通りに、「病気」ではない自分に薬を入れる。
大抵のことは、努力すればそれなりの結果が得られた。たとえ思い通りの結果にならなくても、よくなっているという実感を得ることはできた。
不妊治療は、そうもいかない。
自分が都合をつけてがんばったところで,報われるとは限らない。
悩んだって、妊娠には至らない。
医者の言うことを聞くしかないと思っている。
私の通う病院は実に淡々としている。
医者に寄り添ってほしいと思う人もいるみたいだけれど、私は淡々としてくれていて構わない。旦那だって別に寄り添ってくれるわけではない。誰もかれも淡々としている。
noteでいろいろな体験談を読んでも、わかるけれど、わからないのだ。
頭ではわかっても、どこかで共感できない自分がいる。
私にもツラいことはあった。
職場で感じたやり場のない気持ち。
これは消化するのに時間がかかったし、きっと私は彼女を許すことはない。特別に嫌いもしないけれど、仕事だろうとよい関係を築くことはしない。私の人生から、彼女という存在がゼロになるだけ、無になるだけ。
旦那に対する不満。
複数の胚が冷凍されている今、もう特に思うことはない。
いろいろな気持ちを超えて、私は淡々とするようになったんだと思う。
不妊治療をしていることを相応に悩んだ方がいいのかもしれないと思うけれど、淡々としている今、あえてわざわざ悩むようになる必要もない。
2回目の移植に向けて、エストラーナテープもウトロゲスタンも、ひとまずお休みだ。
だから、なんということはない。
淡々としている自分は何かが欠けているのでは,とさえ思っている。
だけど、だから、なんということはない、のかもしれない。
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