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暮らしのあり方│背伸びか、分不相応か。

今の暮らしだっていいけれど、
「あれもしたい」「これもしたい」
なんて思うこともある。

「こんなことできたらいいな」とか、
「あんなふうになりたいな」とか。

それは、背伸びか、分不相応か。


背伸びの先にその未来がありえれば、何も分不相応にはならないと思う。いや、思いたい。


ーーー


背伸びをするときは、その先に届く見込みがある。


コーヒーを初めて飲んだとき、
ビールを初めて飲んだとき、

きっと大人になりたくて背伸びをしたはずだ。


安全圏より少し難しい学校を受験したとき、
つきたい職業に向かって就活をしたとき、

きっとそこにいる自分を想像して、背伸びをしたはずだ。



でも、その背伸びは報われる。



コーヒーは楽しめるようになれるし、
ビールだっておいしく飲めるようになる。

勉強や就活に明け暮れた日々は、
なりたい自分に近づけてくれる。


もちろん、

おいしく飲めるようにならないかもしれないし、
受験も就活も実を結ばないかもしれない。

(私はビールは苦手だ)



だけどね、
決して届かない夢ではない。

もし届かなくたって、
なりたい自分に近づこうとした事実は変わらない。



一方で、
分不相応なときって、そうありたい気持ちは夢物語にとどまっていて、近づこうとしていない。


石油王と結婚したい!
って言いながら、日本で普通に生活をしていても、たぶん叶わない。

プロ選手になる!
って言いながら、練習をおろそかにしていたら、たぶん叶わない。


絶対的な分不相応があるわけではない。
分不相応かどうかは、相応になるための行動をしているかどうか、その違いだと思う。


石油王と結婚するために、
言語を学ぶとか、教養を身につけるとか?
(私には、どうしたらいいかわからない。)

プロ選手になるために、
練習をするとか、プロ選手のメンタルや技術を学ぶとか、食事に気をつけるとか。
(たぶん。)


そんなふうに、背伸びの先にその未来がありえれば、何も分不相応にはならない。


だけどさ、努力のない、ないものねだりは、現実を壊していく。無理がきかなくなるときがくる。

それは、分不相応なんじゃないかな。




友だちが、ちょっと気になる。




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