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過去の苦労は共通しないお話
時代から得られるものが個人化しており、生き方そのものが共通であったという経験が今後どんどん薄れて行く
その中で、昔は苦労したという経験をいくら語っても、本人の独りよがりにしか過ぎなくなるだろう。
そんなことを日々感じていたら、こんな記事と遭遇した。
「自分が苦労していたんだから他人にも同じ苦労させたい症候群」にどう立ち向かうべきなのか (Books&Apps 2017/08/01 しんざき氏)
基本的に記事の内容には賛成で、
この問題は実に根深い。
人は誰でも自分の過去の頑張りを評価してもらいたいのだと思う。それは別に悪いことではない。
ただし一見"楽"をしているように見える他者に対して嫉妬するのはどうかと思う。
そもそも、その人が本当に楽だと感じているかどうかなんて分からないし。
あなたと私は同じ人間ではないのだ。
生きてきた歴史も感じ方も異なるはずである。
自分のエゴを乗り越えた先にこそ、真の他者理解への道があると思います。
とメモを残した。
多分過去から今に至るまで綿々と引き継がれてきた負の遺産
なぜこのようなことをしてしまうのかという問いに対しより深く考えてみると、多分苦労から得た感情の量で比べているから嫉妬が起こるんだろうなぁということ。
物事に対する感じ方は千差万別なので、そもそも感情の量を相対的な価値観にすることはできない。
もっと大事なのは感じた内容の方だと思うのだが。
しかし、ホントこの問題はどうしたらうまく乗り越えることができるのだろう?
自分だって、傍から見て自分より楽してお金も沢山もらっていながら、それでも苦労してますってとか言ってる人を見ると、そりゃ甘えだろと言いたくなる時はある。
ただ指摘したところで、自分の嫉妬が自覚できていてむなしくなるから言わないだけだ。
そもそも、昔の人だって”楽”を得るために努力してきたのではないのだろうか??
不幸比べという行為に意味は無いだろうが、自分はいわゆる普通の家庭出身の人に比べれば少なくとも苦労している方だと思うけど、その苦労を他者に押し付けてまで理解させようとは思っていない。(というか、元々人は100%理解し合うことは不可能が信条なので、そんなことのために労力を注ぐ方が無駄だと考えている)
伝えるべきタイミングは、未来の若者が苦労している時に自分がどうそれを乗り越えたかという時。
さらに伝えるべき内容は体験では無く、「その時どう感じたか?」という具体的な感情。
経験は人それぞれ時代によって変化するかもしれないが、苦労に対する感情は共通しているのではないだろうか?
感情を共有することで理解を深め合う、それでなんなら苦労の解決に協力する。
そこにこそ、自分が苦労して得た物の価値があるのかもしれない。
あくまで個人的に感じた結論に過ぎないけど・・・
誰だって苦労なんて望んではいないだろう。
だからこそ、足の引っ張り合いに使うのではなく、より良い未来への投資に使いたい。
何らかのアクションをいただけると、一人で記事を書いてるわけではないのだと感じられ、嬉しくて小躍りしちゃいます。