見出し画像

危機感はどうすれば養えるのか?

結論から先に書くと、危機感とは普段の日常から心に留めておくものだと考える。

この辺は災害への対処なんかと同じであろう。

世の中不確定なことだらけであり、だからこそどんな事態に見舞われようとも対応できるだけの最低限の準備(心構え)が必要なのだと思う。

今回は自戒として、改めて自分が思う登山における危機感について書いてみた。


登山者の遭難

先日、登山関係でショッキングなニュースがあった。

登山者の一人が動画を生中継しながら富士山に登っていたところ、そのまま滑落し、亡くなってしまったようだ。

個人的にこの方については良く知らないので、内面などを述べることはできない。

断片的に情報を集めた限りでは、夏の富士山登頂は何度か経験があったらしい。

おそらく今回も、その時と大して変わらない感覚で登りに行ってしまったのだろう。

装備が冬山用でなく、夏に近い感じで行ってしまったのも、今の季節への下調べが足りなかったようだ。

ただこれで冬山装備万全なら確実に助かったかと言うと、そうでもない。

結局のところ、道具があっても使う側の準備(心と身体において)が整っていなければ、意味は無いと考える。

※※※

動画を見た限り、かなり標高が高いところまで登っていることがわかる。

登りだけなら案外スルスル行けるものだったりする。(体力があれば)
特にこの人は登頂経験者であった分、アドバンテージがあったのだろう。

しかし真に怖いのは下りだ。

登りで体力を使い、踏ん張りが利かない中で身体をコントロールしながら行動するのは難しい。

平成30年度における山岳遭難の概況があったので軽く見てみると、登山における遭難事故の発生比率は、年齢が高くなるほど割合が大きい。(例えば60~79歳で全体の4割)

画像1

平成30年における山岳遭難の概況:警察庁
https://www.npa.go.jp/publications/statistics/safetylife/chiiki/H30sangakusounan_gaikyou.pdf

元々登山する人の比率に偏りがあるとは思うが(自分が登っていても高齢の方が多いと感じるので)、

こうなる原因の一つが、加齢による体力や筋力の低下であることは確かだと感じている。

だからこそ日頃のトレーニングは欠かさない(若しくは意識だけでも心掛ける)方がいいだろう。


危機感はどうやって養う?

これに付随してTwitterではこんな議論が行われていた。

ここで語られていることは、山へ登る時のリスクを過小に考えることへの危機感である。

自分自身、どんな山に登っても「あぁここで落ちたら死ぬだろう」と思うことはよくあるが、

現場において、なんとなく「危ういなぁ」という雰囲気を感じる人たちと出会うことは多い。

例えば↓の写真は栃木にある那須岳(茶臼岳)から朝日岳への雪渓を写したものだが、真ん中の踏み跡が道にあたる。

画像2

ここを移動するにはアイゼン(靴の底に付ける棘)と、身体を支える棒があるがあると安全性が増すのだが、那須岳はロープウェイもある山なためか、知らないで来る人も多い。

画像3

実際渡っている風景はこんな感じ

当然崖へ身体が傾けばそのまま一直線に下へ落ちることになる。

この辺は事前にこの山の情報を調べれば分かることだし、そうでなくとも現地でここは危険だから引き返そうと思えることが大事な感覚であろう。

落ちる訳が無いと己を過信するのは、死へのリスクを高めるだけである。

※※※

あと他に思い当たるものとしては、

・登る時間が遅い
・装備が街歩きのまま
・バテバテで周りのことを見えていない

など、そんな傾向を多く感じる。(大体は普段山に登らない人たちなのだろうが)

ただ、だからと言って、彼らに向かって危ないから帰れと頭ごなしには言い難い。

自分だって好きで登っている訳であり、本人たちの詳しい状況を知らずして、楽しみやプライドを無下に否定するのも居心地が悪いと感じるからだ。

こういう部分は、地道に登山界隈がリスクと心構えを発信していくしかないんだろうなぁと感じている。


何で一人で登るのか?

画像4

それでは何で自分は一人でも普通に山へ登るのか。
そこについて少し考えてみたい。

一人で登るのは複数で登るよりはるかにリスクが高い。

先に上げた山岳遭難の概況でも、単独行の遭難者は全遭難者の内の4割近い数字を記録している。(平成30年で37.4%)

画像6

つまり一人で行く登山者は、始めから遭難する確率を自分で上げているということである。

以前道迷いのリスクについても記事を書いているが、これまでも決して全てが順調に行っている訳ではない。

なのになぜ一人で山へ登るのか?

※※※

たぶん深い理由はあまりないと思う。

たまたま一人で行ける時間があったから、一人で行って来たというだけの話である。

もし仮にあなたが一人でもできる何らかの趣味をしていたとして、「なんで複数で行かないの?」と他の人に問われた場合、疑問に思うのではないだろうか?

「いやだって、別に誰かと一緒に行動必要はないから」と・・・

山に登ることも基本は同じである。

ただ命の危険が日常よりはるかに高いということを除いて

※※※

自分は山に登ること自体が危険であることを承知しているので、だからこそ登る前に極力その危険を減らしていきたいと考えている。

身体を動かすのも、必要だと思うものを揃えるのも、前回の経験を振り返るのも、全て次の危険を少しずつ減らすための行いである。

仮に複数で行ったからと言って、危険が無くなる訳ではないし、経験を積み重ねるだけでも足りない。

自分で考えたり下調べをしたり学ぶこともなく、ただ経験者に連れて行ってもらうだけの人は、いつまで経っても初心者であろう。

常に命の危機が迫る環境においては、自分だったらその時どうするかという決断を細かく繰り返していく必要性に迫られていると感じる。

それだけに、危機感は誰かに任せるものでもないし、普段の日常で自らが培っていくものなのだろう。


おわりに

画像6

以上のことから

登山者に求められる能力として一番大事なのは、如何にして己に降りかかる事故の可能性を減らす努力をするか?に尽きると思う。

どれだけ準備したとしても、100%危険から逃れることは不可能だろう。(どこで生きていても同じことなはずだが)

山に登れば、落石や噴火、大雨、風、吹雪、クマやイノシシに襲われる危険性や物を落とす可能性、若しくは人に襲われる可能性もある。(考えたくは無いけど)

不確定要素は多い。
だからこそ、何が起こってもその中で最善の策を取れるよう心構えをしておくことが大事だと思っている。

今後も山に登ることは続けると思うが、だからこそ頭に留めておきたいと感じている。

何らかのアクションをいただけると、一人で記事を書いてるわけではないのだと感じられ、嬉しくて小躍りしちゃいます。