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財布はなくなるのか?

この1、2年で大きく生活は変わりました。
それと共にさまざまな事が急速に進んだと言われています。
数年前からキャッシュレス決済を中心に何かとデジタル化が推し進められていますが、高齢化の日本においてはなかなか一朝一夕にはいきません。

私自身も仕事ということでそれなりにはデジタルに適応しているつもりですが、興味がないというのが正直なところです。
未だ手帳にスケジュールを書き込み、お気に入りの鉛筆と鉛筆削りを持ち歩いている。

わたしには、「こだわりたいモノ」と「こだわりたくないモノ」がはっきりとある。
自分なりに「こうでありたい」ということ、それと同じくらい「こうありたくない」ということが同じ温度で混在している。

私たちは、幼い時から社会という集団の中で折り合いをつけることを訓練してきました。社会人になって「これはイイ」「これはイヤ」が通らないこともわかっています。
ただ、相手に押し付けることなく、自分のの中だけに存在する価値観はもっていて良いはずです。それはモノだけでなく、考え方はもちろんのこと。
決して意識するものでもなく、他からの受け売りでもない、もっと潜在的なもの。

しつこいようですが、「こだわらない」のではなく、「こだわりたくない」のです。

仕事柄、洋服など身に着けるモノや暮らす空間にはこだわりがあり、こうでありたいという美学がある。
どんなことにも所作があり、その所作にこそ魅力がある。

それはどんな「便利」や「機能」にもかなわないということ。

ケータイの出現から30年以上経つ今も腕時計がなくならないように、どれだけキャッシュレスが進もうが財布はなくならない。


最後に、ここ最近で思うこと・・、マスクにはこだわりたくない。
そこにこだわってしまった瞬間にその存在を認めてしまうことになる。
洋服に合わせた途端、それは間違いなくファッションになる。

わたしは、切り傷に柄入りのバンドエイドはしない。



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