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23:03

時の概念がもし本当なら、今日、私は20歳になる。どうして20年間で子供が大人になるのか、未だ分からない。

17が終わる時も、少し寂しかったっけ。華のせぶんてぃーんに囚われてた束の間の少女時代。世界がまだまだ大きくて、私がこんなに小さかった頃は、誕生日会に何人か友達を呼んできて庭の畑のさつまいもを掘ったっけ。ハロウィンと誕生日会と芋掘り大会を全部ごちゃ混ぜにしてとにかく騒ぎまくる、というのをやっていましたね。懐かしい。お祝いが好きで、ワイワイガヤガヤが好きな子供だった気がするよ。そもそも産まれた時から、大勢の人間の渦に落とされた様なもんで、ルーツ的な、そんな感じ。

多分。いつからか、作品、と呼べるものを作る様になってから、年齢と言うのがどうにも苦手になった気がする。新しい出会いや、誰かに紹介される時、それはいつも私たちを離さない。そりゃそうなんだけどさ。分かってるけど、そんなもん、どうでも良いだろう、なんて思う自分と、この人、この作品作ったのは一体何歳の頃なんだろう、なんて考えてしまう自分が居るよね。

それで、10代、10代って言う言葉は本当に恐ろしくて、輝かしてくて、汚くて、綺麗で、ズルくて、賢くて、上手くて、暖かくて、ぬるくて、この気持ちを言葉になんて出来やしないけど。きっと皆んなの心の中に、その、奥の方に大事にしまっているそれと同じ。そのクシャクシャしたそいつが、モコモコしたそいつが、デロデロしたそいつが、ここ1週間ぐらい、いや1ヶ月ぐらい、ずーっと隣に、時には上とか下とか前とか後ろとかに、居た気がする。何を言うわけでもない。別に。何かを伝えるわけでもなく、ただ、日々をじっと見つめている。そんな感じ。何だよ、文句あるかよ。普通が何か分からないまま、恐ろしい程、普通の日々が過ぎていくよ。死ぬまでにやる事リストの半分くらいは埋まってきた頃だけど。バンジージャンプも、ルーブル美術館も、犬と二人旅も出来てないよ。大した賞も貰ってないし、有名になんてなれやしないし、読みたい本も観たい映画も観れてないよ。あの女優ともあのアイドルとも一緒に仕事してない。言葉を上手く操れないし、運命なんて信じられない。身長も止まってきたし、バスケも最近やってないな。

そうやって、いつかの誰かが決めた365日に縛られて、重なっていく年齢が至る所に絡みつく。それは、婆ちゃん家で必ず出てくる一粒が妙にデカい納豆ぐらい粘っこくて、いつかの哀しみの様にいつまで経っても流れ落ちない。堅苦しいよ、そろそろ肩が凝ってきた。取り敢えずせんべいでも食べながら縁側に座る。
だけど、そんなもんどうでも良いか、なんて思える自分が出てきてくれる事を私は知っている。そうやって、何に対しても、ある程度、楽観的に、客観的に捉えて、何でそんなに落ち着いてるの?みたいな人生を今日も明日も過ごしていければ良いかなって思う。19も20も見た目も中身も正直何ら変わりないな、なんて思いながら、20年前の今日、23:03に産まれた自分に、おめでとう、と伝えて寝ようかな。起きたら20歳か、もう20歳なのか、早いね。自由だね。別に生まれた時から好き勝手やらせて貰ってるから、何にも変わらないんだけどね。20歳も変わらず、言葉と一緒に居ようと思う。

10代へ、暫し、おやすみなさい。

2023/10/18

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