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いちリスナーが考える「最古参」の価値について。

最古参。推し活をしているとよく聞くワードだ。

意味は「最も古参」。
つまり最も古くから推しを応援している人をいう。

最古参は一つのステータスであり、実際に最古参であることを誇るファンも存在する。

ただ、私は全ての最古参に価値があるとは思っていない。
この記事ではその点について話したい。


私が思う「最古参」の価値

私は、最古参の価値を「リスナーの推し活次第で変わるもの」と考えている。

最古参になるのは簡単だ。ライバーの初配信に訪れさえすればいいのだから。そのため最古参であること”だけ”が価値を持つとは言いづらい。また、最古参であることのアピールばかりで、肝心の推し活が疎かであれば、ライバーや他リスナーからの認知は薄く、価値も低くなってしまう。

「最古参の価値を決めるのはリスナーの推し活度合い」
そう言い切っても過言ではないだろう。

リスナーが「価値のある最古参」になるには?

では「価値のある最古参」になるにはどうすればいいか。
答えは一つで、日々の推し活を欠かさないことではないだろうか。

配信があれば顔を出す、日々の発信に反応する。この繰り返しがリスナーとしての価値を高め、ひいては最古参の価値も担保する。また、推し活を続けることで、ライバー/リスナー両方からの認知が進み、「最古参の○○」という認識も得やすくなる。

日々の推し活を頑張ることが、価値のある最古参になる一番の近道であると言えるだろう。

「最古参」はあくまで+1の要素

最古参であること。これ自体は推し活における大事な要素といっていい。
ただ、「最古参=特別扱い」ではない事も理解する必要がある。

私は過去の推し活の経験から、ライバーに最も評価されるのは「より多く配信に来てくれる人」であって、「初配信に来てくれた人」ではないと考えている。

最古参という言葉は、あくまでライバーからリスナーに送られる評価の1要素に過ぎず、最古参であることがその他の評価要素を凌駕する訳ではない、というのが自論だ。

最古参であることに胡座をかいた推し活をしていると、最古参でない真摯なリスナーより低い評価になることは起こり得る。

「最古参である」という事実だけが、そのリスナーを特別視する訳ではないことは知っておくべきだろう。

最後に

「最古参」という言葉自体、リスナーの価値を高める効果があるのは間違いない。

ただ、日々の推し活が疎かなら最古参の価値は薄れてしまうし、なにより最古参とは、あくまでライバーから受ける評価の1要素でしかない。

逆に言えば、日々の推し活が丁寧なら最古参の価値は高まり、ライバーから受ける評価のうち1つで前に出られるので、より高い評価を受けるリスナーとして認知される。

最後に物を言うのは日々の推し活度合い。

日々の推し活を頑張るリスナーこそが、「最古参」の価値を最大限まで高めることができるのだ。

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