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舞台「関数ドミノ」を観た

久々に見ました、イキウメ。
前回の「外の道」は日程も合わず、無理と思ってきっぱり。何でもかんでも行けないので仕方ない。
今回は、割と早くスケジュールが決まったので、なんとかチケット確保。最近は仕事との兼ね合いで行けない舞台も多くて、無事に見ることができてホッとしました。

さて、作品ですが、面白かったですね。
徹頭徹尾、安井さんの演技の上手さが光ります。なんというか、この作品は安井さんのキャラクターと、実際の劇中のキャラがピッタリハマっていて、そこにこのストーリーなので、非常に良い緊張感を維持したまま進んでいきます。

安井さんが演じる真壁が「ドミノ」という不可思議な現象を起こしうる人物の存在を信じていることで、話が進んでいきます。影響されていく澤村(太田緑ロランス)、土呂(盛隆二)、そして「ドミノ」と目される左門(浜田信也)とその周りの人々。真壁は左門が奇跡を起こして、交通事故から左門の弟を助けたと信じ、逆に弟を救ったことで事故のときの運転手である新田(森下創)の娘が意識不明の重体となる。ドミノの存在は事実なのか?また本当に奇跡を起こすことはできるのか?ですが、実際現実は甘いことばかりが起こるわけではない。ドミノの存在で救われる土呂もいるが、新田の娘は死んでしまう。それが真実。

世の中における出来事の因果関係は、結局の所すべてが有機的に繋がっているわけではなく、偶然のような要素が散りばめられている。もちろんバタフライ効果のようなこともあるかもしれないが、必ずしも直接的なつながりを持つとは限らないが、不可思議な現象が起きたときに人はなにか要因を求めたがるし、そこに超常現象のような人知を超えたなにか?を期待する。

この「関数ドミノ」はそういう一般的な人の心理を非常にうまく突いていて、人は信じたいものを信じるし、そうでないものは除外するという世界をそれぞれの人物に載せて描いています。例えば真壁は「ドミノ」の存在を信じていますが、裏を返せば「ドミノがいない」ということを信じていない。そういう意味では真壁の元妻で精神科医である大野(小野ゆり子)のほうがバランスが取れていて「ドミノ」の存在に対しては懐疑的だが、超常現象が起きた事自体を完全否定しない。ただそれが「ドミノ」の意思ということには同意しない。こういう描き方のバランスが上手くて、ストーリーを追っている観客の心理にゆらぎが産まれてくる。だから舞台上の世界にどんどん引き込まれていって、どういう結末にするのか?左門は本当にドミノなのか?という気持ちをどんどん沸き立たせてくる。本当に前川さんはうまいと思います。昔、シアターコクーンで見た「プレイヤー」は結論として人間意識のクラウド化のような作品で、そこが存在する前提である種の怖さが、ラストにぐわっと来ました。今回の「関数ドミノ」はそういう想像の余地を見ている側に持ってくることで、その余韻を強く残していました。

最後に保険外交員である横道(温水洋一)が実はドミノは真壁自身だったのでは?という疑問を投げかけ、そこに自身の人生の過ごし方を悔やみつづける真壁という描写で終わりますが、ドミノがいるのかどうか?というよりはその存在が果たして人生や社会において有益たるものなのか?という疑問を投げた感じで終わっているのが印象的です。

イキウメ、何度か見ていますが、今回の再演作品、改めて素晴らしい出来栄えで見ることができてよかったです。

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