「お茶碗」
わたしの家にはお茶碗が一つしかない。だが、わたしは今、しらない男一人と、ひとりで暮らしている。
28歳。定職につかずアルバイトをしている。中小企業に就職しOLをしていたこともあったが、数年前になんとなく辞めた。今は、大味で有名なガード下の大衆食堂とレコード屋の掛け持ちで何とか暮らしている。住んでいるのは、世田谷区家賃3万4千円築40年ワンルームユニットバス駅から徒歩20分。そこそこ最悪だけど、でもそんな最悪さをそこそこ気に入ってる。一人暮らしのつもりだが、家には、35歳の人間が住み着いていて、一人暮らし用のアパートで、恋人でも友人でもない、35歳のしらない男と暮らしている。みんなには意味がわからないと言われる。
同棲しているわけではない。わたしは彼のことを好きでも嫌いでもなくて、眠る前におやすみって言い合うこともない。ただそこにいる彼を荷物と同じように保有している。彼は知らない人で、気が付いたらここに居たのだ。恋愛感情や友情がない人を保有することの何がいけないのだろう。
いらないものだけでこの部屋をいっぱいにしたい。それだけがわたしの人生のモットーであった。酔っ払ってよくわからないまま持って帰ってきた粗大ゴミの椅子、記憶にない100円のレコード、木彫りのクマ、36秒と53秒にだけ何故かやたらでかい音を立てるこわれた時計、ラストシーンだけ破られた古本。この部屋へ引きずりながら、引きずられながら、ながれついたものたち わたしにとっては彼もそれと一緒だ。急にわたしの前に現れて吸いつかれるようにこの家に流れ着いたんだもんね
ご飯がないと死ぬので、食事だけ一緒に食べている。一膳の箸と一つの茶碗で。あとの彼は好きに生活しているらしい。部屋の漫画を読んだり。たまに居ないことがあるから、日中は仕事に行ったりしてるかもしれない。わたしは彼が何の仕事をしているのかも知らない。喋らない。知ってしまって、これ以上近づいたら、彼が必要な存在になってしまう。それが怖いから。
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わたしの部屋にある必要なものは お茶碗がひとつと、おみそしるのお椀がひとつと、箸が一膳、数着の服、灰皿、爪切り、シャンプーと石鹸。それだけだった。その中のお茶碗が、今日割れた。
悲しかった。必要なものを失うというのはすごく悲しくて嫌だ。だから、世界は不必要なものだけでいい。必要なものは、出来るだけ最低限にして、悲しみを最初から消しちゃえばいい。必要なものなんてなければ良いのに。不必要だったら消えてもなんとも思わないから。
悲しくなりたくないので、お茶碗は新しく買わないことにした。
わたしの部屋にはお茶碗が一つもない。だが、わたしは今、しらない男一人と、ひとりで暮らしている。
今朝お父さんがわたしのお茶碗を割ってしまったらしくて、全然いいんだけど変に悲しかったので、必要なものって壊れるとかなしいんだなと思い書きました 大森靖子さんのお茶碗の歌詞と真逆みたいな小説
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