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出雲にっきのアイドル卒論 2022/04/21




2022/04/21


わたしは、3日後にアイドルを卒業する。
アイドルを卒業することを祝ってもらえる立場にいる事だけが、なんだかすべての報いかもしれないと思った。アイドルとして活動できたのは約二年弱だけれど、18〜21の全てはほとんどアイドルの繭玉から抜け出せなかった。だから祝福されて卒業出来ることは、わたしにとってすごく大きな幸せだ。


余談だが、表舞台に立つようになって三年の間、ライブの前日にうまく眠れたことがほとんど無い。疲れて寝落ちてしまったりはあるけれど、それ以外はだいたい寝付けなくて寝不足で、よくやっていけたと自分ながらに思う。わたしは、みんなが思っているよりも強がっていて、弱虫なパンクアイドルだったのかもしれない。そんなわたしのことをこの際、少しだけ喋ろうと思う。


中学生の時にでんぱ組.incを好きになった。はじめて自分から見つけたカルチャーだった。田舎の中学生だからライブにも行けなくて、授業中ルーズリーフに推しの名前を書いて満足したり、テレビに出るときは録画して夜中こっそり見たりしていた。数ヶ月に一度遠出した時、ヴィレヴァンででんぱ組の載るフリーペーパーを貰ってきて、雑誌やCDをお年玉で買って、YouTubeを身漁っていた。ライブ配信を観ながらペンライトを振っている時、母親が部屋へ入ってきて気まずくなった事もあったっけ。推しの好きな食べ物を食べたり、髪型を真似したりした。
中学二年生の時にゆるめるモ!を好きになって、そこから色々なアイドルを知って、前に所属していたグループの存在も知った。地下アイドル、と呼ばれる彼女たちはそんなことなく輝いていて、ロックスターだと思っていたし、あこがれ、を抱いた。


高校に上がり好きなものは更に増え、ロックンロールや文学や映画も好きになった。でも、わたしの好きなものはクラスメイトの誰も知らなくて(もしかしたら居たのかもしれないけど、好きなものを公言する勇気はあの時なかった)わたしのことをわかってくれるひとはここには居ない、と趣味を隠すようになって、アイドルを聴いていても、ストゥージズを聴いていても、クラシック聴いてるって嘘をついていた。でも、高校一年生の時、他校にでんぱ組が好きな友人がひとり出来て、彼女とわたしはのちに同じグループのアイドルになる。すごい話だなあって、昔の自分を褒めたい。

此処にいては誰とも仲良くなれない、東京に出なきゃと、しっかり下妻物語や百万円と苦虫女に影響されたわたしは、高校三年生の時にミスiDを受けた。とんとん拍子で進みなぜか賞まで貰い、親は困惑していたけれど、強気だったわたしはフラストレーション消し飛ばずぞ!!くらいの感情で生きていた。上に書いた友人のおかげで自分のコミュニティや価値観は広がり、ありがたいくらいに伸び伸びしていた。高校三年間クラスメイトと近付くことが出来なかったのに、こっそりミスiDなんて受けているなんて。今のわたしには信じられない‥

アイドルオーディションを受けたのは17歳の冬だった。
アイドルはわたしにとって「強くて、美しくて、すごいひとたち」。ただのあこがれだ。今だって認識はそんなに変わっていない。アイドルは好きだけど、自分がその対象になるとは思っていなかったし、でも「受かる気がするな〜」みたいな自信だけはあって、何度か東京に足を運んで、歌唱審査で毛皮のマリーズのラストワルツをフルコーラスで歌って、アイドルになった。みちびかれるさきは光っている気がする、光っていたから進んだ。わたしは結構ずっとそんな感じだ。


高校卒業後上京し、ひとりぐらし、学校に通いながらアイドル活動をした。この時にわたしは「出雲にっき」というアイドルを作った。ただの芸名だけど、もうひとりのわたし。でんぱ組.incねむきゅんのW.W.Dツアーでの「ふたりのゆめ」という独白を思い出して、わたしにもそんな魔法をかけてみようと思った。アイドルの「出雲にっき」と「にっきちゃん」の、二足の草鞋が始まった瞬間だった。

にっきちゃんは生活に全然慣れなくて、電車を何度も乗り間違えて、家に帰ったら気絶するように眠って、学校に行って、授業後は出雲にっきちゃんに変身してライブに行って‥ とめどないこの頃の生活の記憶は、実はあまりない。一年ほど経った後、色々な事がありグループは解散した。繊細で大切な思い出だから触れないけれど、この前、本当に久しぶりにあの頃のライブ映像を観たら、とっても楽しそうに笑っている自分がいた。楽しかったし、憧れのグループに入った事、すごい!超すごいねって、ただただそれだけを、あの頃のわたしに伝えたい。

それからしばらく休んで、東京に戻ってきた夏、ひだりききクラブという自由律俳句のユニットを組んだ。わたしたちだけの秘密基地が出来た。やっぱりこの時も、みちびかれる先が光っていたからそのまま歩んだ。今もまだ歩みを止めていないし、これから先も明るい。大切にしていきたい人生が、あの夏に始まったと思う。


秋を超えて翌年の冬、「アイドルになりませんか」と誘いを受けた。それが、わたしが3日後に卒業するアイドルグループ「innes」だった。
前のグループを抜けてからも何度か誘いを受けたけれど、全てお断りしていた。アイドルになれる焦燥感とか、燃えたぎるような熱い気持ちはもう無いかもしれない。そう思ったし、自分にはひだりききクラブがあるから、守っていかなきゃいけない、とも思った。でも一番は、こわかった。自分の中のアイドルという選択肢はすごく取りずらいものになっていた。他人の人生に影響を与えるという事。それがわたしはすごく怖かった。また誰かを傷つけたり、わたし自身も傷ついたりして、立ち直れるんだろうか。わたしはもともとメンタルもフィジカルもそんなに強くないからきっと、アイドルには向いてない。アイドルになる自分を肯定できない気がする。モヤモヤしていた。

でも、やっぱりどこか、もう一度ステージで歌いたくて、それだけが理由で、この誘いを受けることにした。

結論、わたしはinnesになれて本当に良かったと思っている。ずーっと緊張してたけど、自分のせいで半分くらい具合悪かったけど、ライブはとっても楽しかった。メンバーと仲良くなれるか不安だったけど、いまは本当に、この文字を打ちながら涙が溢れてくるくらいにはメンバーが好きで、innes自体も大好きだ。
しいちゃんは朗らかでわたしと真逆の光を纏っているし、もえにゃんは今まで出会った中で一番のアイドルだったし、ヌイたんは心配になるくらい真っ直ぐな人なのに、心にはきっと見えないマグマを秘めている。唯ちゃんは、今ではかけがえのない心の友で、せっちゃんは、本当に出会えてよかった最高の人。大好きとしか言えないけど、本当に大好きなこのメンバーでinnesになれて幸せだった。イネス・ザ・スカットの「innesって本当に楽しい キャンメイクユーハッピー!」という歌詞は、感情そのものだ。

TRASH-UP!!の楽曲も、関わってくれる人たちもみんな温かかった。やさしくてかわいい人たち、屑山さんとシマダさんだからTRASH-UPなんだなって、ロゴマークのふわふわおばけを見るたびに思う。地下アイドルを好きになった入り口はTRASH-UP!!レーベルの楽曲だったから、トラッシュアップの曲を歌えたとき、本当に嬉しかった。どの曲もぜんぶ誇らしいくらいに最高だ。innesは、一年も満たないうちに遠征やフェスにも出れて、アルバムを出せて、はじめましての人にも会えて、昔から好きでいてくれる人にも会えた。アイドル業界を見ていて、すごく稀だし有難いことだとつくづく思う。アイドルにしてもらえて、本当に感謝しています、と伝えきれないくらい、思っている。

でも楽しさと相反していつからか、恩返ししたい、みたいな気持ちで溢れるようになった。その頃から、わたしの中のアイドルは少しずつ薄れていったのかもしれない。

20〜21歳で、自分の生活に少しずつ変化があった。些細だけど重要な変化だった。何で卒業するのと訊かれたら、その時が思っていたよりも早く来ちゃったから、としか、今は言いようがない。自分の中の感情の変化と、環境の変化と、すべてのタイミングがこれまた導かれるように重なった。わたしの人生の分岐点はずうっとこうだった。そんな事を考えていた二月、ずうっと胸が痛かった。

わたしがアイドルじゃなくなる瞬間は、避けきれない惑星が落ちてくるみたいにもう決まっていたのだと思う。アイドルとしてやりきった気持ちは溢れてはいるが、それでもすごく寂しいし、実感はまるでない。正直、まだまだinnesでいれるのなら、innesでいたい気持ちもあった。みんなとも一緒にいたかった。一年にも満たない短い期間で卒業することになって、運営さんにも申し訳ない気持ちでいっぱいだ。アイドルとしての出雲にっきの心と身体がもうひとつあったら良かったのに、ちょっとそれは叶わなかった。わたしはやっぱりメンタルもフィジカルもそんなに強くない、ふつうの一人の女の子だった。アイドルってふつうの子がアイドルしているんです。って、自分の身体にあったアイドルがぽろぽろ剥がれてきてわかった。わたしは強がりで負けず嫌いで、少し弱っちい普通の女の子だ。生活をする為には、もっとしっかりしなきゃいけない。わたし自身が健康で幸せでいなければならない。

そうして、何度も悩んで、卒業を決意した。

この文章を書いているのは卒業公演の3日前だ。
アイドルじゃなくなった時の気持ちは、まだわからない。スッキリするのかな、寂しくてやり切れないのかな、死んじゃうみたいになるのかな、怖いな、やだな、でもはやく踊りたいし歌いたいな。

卒業公演にわたしは全部置いていく。アイドルとしてのわたしは此処で終わる。
たぶん、23日の夜だってうまく寝付けないけど、それでもわたしはニコニコで舞台に立てる。だって、今まででいちばん幸せで、忘れられないような景色がそこにあると思うから。アイドルとして出会えたすべての人たちに、24日、アイドルとしての愛を余す事なく伝えたい。来れない人にも伝わるくらいの電波を届けたい。そうすればわたし、アイドルになれた自分をまるっと肯定できる気がする。だからこの日だけはわたしに、あなたの時間をください。


アイドルの出雲にっきを、見つけてくれてありがとう。出逢ってくれて、ありがとう。
アイドルになれて本当に幸せでした!
出逢ってくれたみんな、一人一人が大好きです。

会える人たちは、24日、ライブハウスで会いましょう。

出雲にっき



p.s.

わたしは歩みを止めません。
ひだりききクラブとしての、文筆家としての道はまだまだこれからです。生き急がず、もっと素直なわたしで、強がらずに笑っていられますように。長生きしたいし、あなたにも会いたいし、これからも出雲にっきは生き続けます!みんながびっくりしちゃうくらいのベストセラーとか書けますように!えへへ

p.s.その②

2022年4月24日、無事アイドルを卒業しました❕


ここから見えた景色がアイドルのわたしの全てだった
楽しかったよ ありがとう

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