研修医がロンドンに大学院留学して解脱するまで Ep.7 フロイトの脳内

早朝の避難訓練

John Dodgson Houseに入って数日したころ、早朝7時半くらいに警報がけたたましく鳴り響いた。誤作動かもしれないと思いつつ、ぼろい建物だから実際に危険なことが起きている可能性があるかもしれないと思い、パスポートや貴重品をもってパジャマのまま建物の外に出た。多くの学生が自分のように外に出てきている。見ると大学ボランティアのベストを身に着けた学生が入居者の点呼を取っており、これが避難訓練であったことを知った。こんな朝早くに行われ、寒い中で点呼を待たされた学生たちの表情は険しく、私は寝ぼけた頭で「革命ってこういう超理不尽なことがたくさんの人に同時に置きた状況で起きるのだろう…」などと考えていた。

第一日本人:ラサ氏

 この時私は、学生の中に日本人男性を見つけた。日本人特有のしっとりした雰囲気(表情なのか、姿勢なのか、格好なのか)で、一目見て分かったのだ。話しかけて自己紹介をし、その日の午後にお茶することになった。某ラサ中高出身の国家公務員であり(ラサ氏と呼ばせていただく)、官庁からの国費留学生、エリートである。
 ラサ氏と話して10分ぐらいして、イギリスでの生活についてこの人は私の数倍のリサーチと準備をしていることに気が付いた。さすが公務員のきめ細やかさ。定期券はどんな方法で買えばいいか、日本からの送金の方法など、惜しみなく教えてくれた。私はそれまで公共交通機関の乗り方が全くわからなかったのだが、ラサ氏に同行して頂き、電車とバスを使ってバッキンガム宮殿まで出かけることができた。私の最初の1か月の生存は、この人なしではなかったかもしれない。大変感謝している。

フロイトの家

インターネットでロンドンの観光地を調べて、フロイト(Sigmund Freud)博物館が目に入った。私は高校生の頃、精神分析や心理学の本が好きで、医学部に入った当初は精神科医になるのも良いと思っていた。このフロイトの家に行ってみることにした。

フロイト

精神分析の祖と言われるSigmund Freudは、もともとオーストリアにいたが、第二次世界大戦期にナチスを逃れるためロンドンに転居した。終の棲家となったこの家は、現在博物館として保存・公開されている。フロイトはここでも診察を行っており、その診察室となった書斎は非常に興味深かった。古今東西の文明から集められた偶像、祈祷や呪術の道具、工芸品などがところ狭しと並んでいた。多くの文明に共通するイメージや物語を通じて、人間の意識の深層を探っていたのだろうと思いをはせると、フロイトの脳内に入ったような不思議な気持ちがした。

有名な診察カウチが目の前に
パノラマ写真も撮っていた

次回 大学の諸々(予定)

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