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大森駅 ネコと一人で暮らした都会 | 古賀のり夫

今でこそ京都ライフを満喫している私だが、東京で一人暮らししていた時期が2年ほどある。
大森駅東口から徒歩2分のところにそのマンションはあった。築浅、6畳ワンルーム、浴室乾燥機、コンロ2口、そして何より、ペット飼育可能だった。
この部屋の家賃は管理費込で約10万ほどだったが、相場も何も知らない私は、都心で、駅から近くて、ネコが飼えればそれで良かった。
引っ越す時点ではネコなどいなかったのだが、私は心に決めていたのだ。絶対にネコを拾って飼うのだと。

大森という駅は大田区に属し、京浜東北線の蒲田と大井町の間にあり、2駅で品川に着くというアクセスの良さが魅力だった。
蒲田ほどごちゃごちゃしておらず、大井町ほど整然としていない不思議なところで、西口を出ると、思いつく限りのファーストフード店が立ち並んでいたが、店と店の間の細く長い石段を上ると、小さな小さな神社が現れる。まるで、映画「耳をすませば」で主人公の雫がクラスメイトの杉村に告白される神社のような、コンパクトで無駄のない古い神社で、そこから見下ろす現代的なロゴの並ぶ街を見ていると、とてもこのふたつの場所がつながっているとは思えないほど静かで、私のお気に入りのスポットだった。

私の住む東口は、古き良き下町的な雰囲気と、すすけたネオン街の猥雑な雰囲気の両方を持っていた。
商店街の入り口にはキャバクラの黒服のお兄さんが立ち、奥に進むと、もう半世紀はやっているという手作りお惣菜のお店や、営業しているのかどうかすらわからない埃をかぶったおもちゃ屋さん、そして24時間営業の中華料理屋さんなど、秩序も何もなく、シンプルにごちゃごちゃしていた。シムシティでももう少しきちんとした街づくりをすると思うが、資本主義と時の流れに身を任せた結果こうなりましたという感じが私には合っていたのだろう。

さて、ここまで語ったが、2年間のうちで、私がきちんと大森の街で過ごした時間はおそらく半分程度だろう。
というのも、当時ハチャメチャ忙しい仕事をしており、朝7時に家を出て、午前3時にタクシーで帰宅し、また朝7時に家を出るということを、約1年間続けていたからだ。
当然、身体を壊し(マンションの2階に循環器内科が入っていたのは皮肉だった)、のこりの1年間は、見たこともない額に膨れ上がった貯金を崩しながら、療養しつつ、大森という町で暮らした。

仕事を休んでまず私がやったのは、拾うべき子猫を探すことだった。
幸運なことに、平和の森公園というかなり大きな公園が近所にあり、そこには『ネコを捨てないでください』という赤字の看板がそびえていた。
つまりネコがよく捨てられているということだと瞬時に解釈した私は、毎日朝4時30分に起き、パックの紅茶を淹れて、様々な書類が散らばる床の上でそれを飲み、ネコを見つけた時のための清潔なタオルを入れたリュックサックを背負い、1キロほどの公園までの道を歩いた。

ド早朝の大森は静かで、私が向かう方向には競馬場と競輪場、競艇場まであった。ギャンブルエリート育成場じゃんと今となっては思うが、そんなざわめきも感じさせず、公園はいつも静かだった。
結論として、その公園で子猫を拾う夢は叶わなかったが、私は今でもあの静謐な大森の町の雰囲気を覚えている。

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ネコは聖蹟桜ヶ丘で拾うことになった。このあたりの話は省略するが、とにかく私の孤独な暮らしに、あまりにも小さな家族が加わったのだ。
手がトラ柄なのでテトラと名付けたその猫は、当時私が使っていたシングルベッドに付属のブックスタンドを寝床にし(画像参照)、日々私を癒した。

精神的にも肉体的にも余裕が出てくると、私は町をもっときちんと探検するようになった。すると、驚くことに、家からほど近い西友大森店の食料品店売り場は24時間やっており、さらにその上の階には、キネマ大森という、いわゆる『名画座』があることに気づいた。
もともと池袋や三軒茶屋の名画座には足しげく通っていたのに、なぜ気づかなかったのかと言われると、仕事が忙しすぎたとしか答えようがないのだが、ある日、特にスケジュールも見ずにキネマ大森に行くと、チケットもぎりのお姉さんに何やら絡んでいる人がいた。
こういう輩は早めに雲散霧消してくれないかなと思いながらお姉さんをちらりと見ると、なんとその女性は片桐はいりさんだった。
どうやら、片桐さんは大森在住らしく、思い入れもあるため、たまにチケットもぎりを買って出ているらしいのだ。
そんなことを一つも知らなかった私は、たぶん何回も片桐はいりさんに、なんならかもめ食堂とかのチケットももぎってもらっていたのだ。(そしてすぐ捨てていた)

いま思うと、無知とは恐ろしいものだ。しかしかなり『都会っぽいエピソード』のひとつとして、記憶に残っている。

大森に関しての印象的な思い出は、あと3つほどある。
ひとつは『酉の市』。宗教的儀式に疎すぎるせいで全く詳しくないが、年に数回、マンションを出たら祭りの最中にいることがあった。
マンションは商店街の並びにあるため、マンションを一歩踏み出したら『サイクロンポテト』やら『イカ焼き』やらの屋台が所狭しと軒を並べ、異世界に迷い込んだのかと思った。

もうひとつは『ちょっとしたオフ会』事件だろう。
これは、私の住むマンションの2軒隣でボヤ騒ぎがあり、消防署から念のため屋外に避難するよう言われたときのことだ。
時刻は午前11時。にもかかわらず、マンションのロビーには不安げなすっぴんの女性が溢れかえっていた。しかもみんな、ペット用のキャリーバッグを抱えて。
例に漏れず私もテトラの入ったキャリーバックを抱えていたわけだが、誰かのチワワがキャンと鳴いたのを皮切りに、その場に集まったいろんな小型犬がキャンキャン鳴き始め、自然と交流が始まった。
ほぼ眉毛のないお姉さんたちはどうやら夜の蝶をやっているようで、爪がゴテゴテのゴリゴリだったし、ティーカッププードルにはショコラという名前を付けていた。
私はただ仕事をしていないだけの人間だったが、ネコは珍しかったようで、沢山のお姉さんがテトラをのぞき込み、とにかく褒めてくれた。
それ以来たまに夕方にエレベーターに乗ると、『あっ、テトラちゃん元気ぃ?』と、綺麗なお姉さんに聞かれることが増えたが、正直彼女があの中のどのお姉さんだったかはわからなかった。

最後の一つは『キャバクラのお兄さんの話』。
当時の私は心身ともに一度限界を迎え、蘇生したばかりのゾンビ的存在だったため、とにかく体が弱かった。
ある日、ちょっとコンビニまでとエレベーターに乗ったら、その場で貧血を起こし、ぶっ倒れたことがある。
1階に到着したエレベーターの中で、(今人が来たらびっくりさせちゃうだろうな……)と思いつつも、起き上がれずにいたところ、運悪く女性が開くボタンを押した。
多分かなり怖かったのだと思う。声にならない悲鳴というのを初めて聞いた。
しばらくすると、なにやら香水臭いスーツのお兄さんがその女性と連れ立ってやってきて、『お姉さん! お姉さん大丈夫? 救急車呼ぶ?』と声をかけてくれた。
誰やコイツと思ったものの、「ダイジョウブ…」と小さく返事をすると、とりあえずエレベーター降りよっか! という言葉と共に、身体が浮いた。
まさかのお姫様抱っこである。(お嫁に行けないじゃん)と内心思った。
お兄さんは、第一発見者であるお姉さんに助けを請われ、とりあえず来てくれたのだという。
私が落ち着くまでロビーで付き添ってくれ、冷たい水とポカリスエット、ウィダーなどを買ってきてくれた。彼氏か?
『お姉さん何してる人なの? なんでごはん食べてないの』と聞かれ、私は返答に困った。自意識過剰なので、もしキャバクラで働くことを提案されたらどうしようなどと考えていたのだ。
私が黙っていると、お兄さんは朗らかに、『まあいいや、オレだいたいこのマンションの前で客引きしてるからさ、なんかあったら言ってよ』と言い残し、私がエレベーターに乗るまで見送ってくれた。
その後、毎日家を出る時、家に帰るときにはそのお兄さんの姿を探し、いれば必ず挨拶をした。
肉まんの季節になると、コンビニで買って差し入れたり、お兄さんはなぜか図書カードをくれたり(曰く、オレ本とか読んだことねーから、とのこと)、不思議な関係が続いたが、それはある日突然終わった。
お兄さんはお店を辞めたのか、ある日を境に大森の町から消えてしまったのだ。

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当時のことを思い出すと、絶妙な距離感で人と関係を持っていたのだなと思う。
東京のごちゃごちゃした町という特性上、誰も私の素性や職業など気にも留めなかったし、私もそうだった。
私はそのマンションを出るまで、名画座に行って映画を観て、冷房が効きすぎの西友でやたら乾燥した野菜を買い、テキトーに料理をし、病院に通いながら、日々大きくなる愛猫テトラとともに過ごした。
もうすっかりブックスタンドに入りきらない大きさになったテトラは、私の頭の横で眠るようになり、今は足元で眠っている。

私にとって、あの大森での日々を共有できるのはテトラだけである。
いま、何がどうしてか、私は京都大学で院生をやっている。いつか、今の日々を振り返ることもあるだろう。
そして、その時もきっと、テトラはそばにいてくれるだろう。
一人で抱えるには、思い出というのはあまりにも重すぎるのだ。

ちなみに、私は大学院卒業後も、東京で就職するつもりは少しもない。
東京と、そこにあるあらゆるものに疲れてしまい、もう二度と住みたくないからだ。

テトラは今日も日向ぼっこに精を出している。その後家族になった黒猫も一緒だ。
私は大きく変わっただろう。身に着けるもの、化粧、髪形、話し方……。
しかしネコたちは変わらない。そんなことに今日も安心するのである。

■古賀のり夫 (@6000_all)
大学院生、ホラー作家
社会の波に揉まれ真っ白な灰になっていた最中、ムカデ人間を観て元気をもらい院進を決意。順調に留年中。


*このエッセイは、住んで暮らす東京の街についてのエッセイ集『あの街』第1号の収録作品です。
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