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三鷹台駅 見下ろせば都会 | 伊藤優

私が東京で初めて住んだ街は、三鷹台という街だった。
この街は、私の『東京は冷たい街』というイメージを覆した。
三鷹台は、チェーン店(コンビニを除く)もなく、ちょっとしたお洒落な飲食店や個人で経営しているサンドウィッチさんなど、個性的なお店がポツポツとある小さな街である。

三鷹台1

初めてこの街に住む日、新居でまだ見ぬ害虫が怖い私は、バルサンや掃除道具を購入するため、駅前のマツモトキヨシに寄った。
そこで、買い物かごにポンポンと物を放り込んでいた私は、商品棚と商品棚の間で、三鷹台マダムにぶつかってしまったのだ。『ひぃ、東京の人、ぶつかっても謝らないんだよね、怖いぃ』と思いながら、私が三鷹台マダムに「ごめんなさい」と言うと、「こちらこそごめんなさい」と三鷹台マダムは言ってくれた。まさかの謝罪に驚き、単純な私は「この街でこれからお世話になります!!」と、これから出荷されるホカホカ湯気立つお弁当のような気持ちになった。
しかし、都会に出ると、このホカホカ弁当は、ヒエヒエ弁当になってしまうのであった。

三鷹台2

三鷹台は、自然豊かな土地である。すぐそばに杉並区があり、少し歩くと井の頭恩賜公園があり、そこからまた少し歩くと吉祥寺がある。そういった都会と自然の境界線上のほわほわとした場所にある三鷹台は、母親のような温かさを感じる場所であった。

吉祥寺に行けば、欲しいものや流行のものが買えて、井の頭恩賜公園に行けば、四季と人々の息遣いを感じることができる。ここに住んでいれば、渋谷や新宿などの都会に行かなくても暮らしていける、なにもかもが揃った土地と言ってもいいくらい、私は気に入っていた。

三鷹台3

牟礼の里という三鷹台駅から坂道を登りに登ってたどり着く、小さな丘に位置する公園がある。そこは、なんと富士山が見えると謳っており、何度か本当に富士山が見えるのか確認するために行ったことがあるが、富士山が目に映ったことは一度もない。あるのは、美しい自然と青い空だけだった。
牟礼の里で富士山を見た人は、心が清らかだったか、すごい成功者だったのかもしれないと思いながら、毎回坂道を下り、家に帰っていたことを覚えている。

次に行くことがあれば、きっと富士山が見えるようになっているかもしれない。

三鷹台4

三鷹台という街は、平和だ。誰かが騒ぐこともないし、嫌な声もほとんど聞こえない(救急車や消防車の音はよく聞こえるが)。ときどき開催される三鷹台100円商店街まつりや秋のお祭りのシーズン以外は、基本的に静かだ。住居は都会の喧騒から離れた場所が良い、と思っている人には、うってつけの街だ。お祭りの頃には、子供たちが神輿を担いだり、三鷹台一体が神聖な雰囲気になり、一年に一度、身も心も清らかな気分になる。そういったことも含めて平和で、新生活を始める人達にはおすすめの街である。

一方そのおすすめの街で暮らしていた私の生活というのは、なかなかに鬱々としていたようにも思う。

私の生活は、演劇とバイトでいっぱいいっぱいで、一人暮らしとはこうも暗く冷たいものなのかと思うくらいだった。ひんやりとした真っ暗な部屋に、パンパンになった足と脳みそを持って帰る。その繰り返しが続き、今思い出しても自己嫌悪の気持ちが私を襲う。
毎日、起きるたびに自分に嫌気がさして、朝が来るのが怖かった。
それに反して、三鷹台の空気は温かく、自分の惨めさを実感するほかなかった。

だが、そんな生活のなかで好きなことがあった。
それは、坂道を登りスーパーに行くことだ。
アルバイトに行けない日でも、坂の上のスーパーには行った。
今思えば、その行動によって、社会とのつながりを感じられ、ハングリー精神を刺激することが、そのときの私のプライドに必要だったのだろうと思う。
だから、どんなにつらい日でも歩くことができた。

三鷹台5

都会から持って帰ってきたすべての溜息を京王井の頭線三鷹台駅に降り立った時にどっと吐き、最後の気力をふり絞って、駅前のスーパーよりも安い坂の上のスーパーへ行く。スーパーからの帰りの坂道、視線に飛び込んでくるのは、はるか先にある都会の風景。このそびえたつタワーや高層ビルを見て、私は『いつか這い上がってやる!』『悔しい!』と息巻いていた。でも、心の奥深くでは『この街がいい』『ずっとここでいい』と思っているのを感じていた。

しかし、その強がりと弱さのなかで戦い続けた私は疲れ果ててしまい、東京脱出を決断した。もう少し強がりの部分が大きければ、東京で暮らしていけたのかもしれないと、今でも思うことがある。
三鷹台で過ごした日々は、初めて自分の弱さに触れ、自分を見つめなおし、自分の本当にやりたいことを自覚した、一瞬となった。

もし、また東京に住まなくてはならなくなったら、牟礼の里から富士山が見える私になったつもりで、三鷹台にもう一度住みたいと思う。

■伊藤優 (@yuuuuu_ito25)
大阪府出身。脚本、演劇、作詞作曲、ラジオなどやりたい放題している人間見習い。前世はきっとパリのお金持ちまたは猫。現世では、脚本家として生きたい。演劇も作詞作曲もラジオもしたい。来世は猫を希望している。最近は映像制作やフィルム写真にも手を出しつつある。

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