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日韓 液晶戦争に翻弄された話/サムスンで物語を考えてみた!

【注意】業界関係者の方へ、不快な思いをされる恐れがあるので購読はご遠慮ください。

祖業は食品/衣料品、三洋電機とNECの技術協力を経て家電メーカーになった韓国No.1企業とは?

日本でもスマートフォン”ギャラクシー”の名前で有名な韓国最大企業のサムスンですが、その成功の経緯はあまり知られていません。
ウィキペディアによると、創業当時は食品や衣服が主な事業だったようですが、1969年に三星三洋電機を1970年には三星NECを設立して本格的に家電事業に参入しました。おそらく日本の家電メーカーの技術協力のもとに発展したようです。

しかし、時価総額で韓国株式市場の25%、世界15位(トヨタ:46位)の巨大企業となった起因はなんだったのでしょうか?

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液晶テレビ戦国時代の到来

2001年1月にシャープから21世紀のテレビとして、液晶テレビAQUOS(おっぱいデザイン)13/15/20型が発売され、将来の壁掛けテレビを期待させる新商品として大変話題になりました。シャープの成功をみた国内の家電メーカーを始め韓国家電メーカーもこぞって液晶テレビの開発を始めました。

しかし、その当時、キーパーツであるテレビ用液晶パネルを製造できるメーカーは限られており、液晶パネルの争奪戦が始まります。日本ではシャープ、日立、三洋電機が、韓国ではサムスン、LG電子がテレビ用液晶パネル工場を持っていました。

一方ソニーやパナソニックなど元々ブラウン管テレビ事業で世界的シャアを持っていたメーカーは、液晶テレビ事業への転換が遅れており、液晶パネルの調達は外部企業に頼るしかない状況でした。

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日韓パートナーの誕生

2001年に私がアメリカから帰任していた頃には、ソニーも液晶テレビ事業への本格参入を決めて液晶パネルの調達を始めていました。実はソニーもシャープから20型の液晶パネルの調達を試みますが、敵に塩を与えることはせず、あっさり断られてしまいます。

そこで、以前からPCモニター用液晶パネルで取引のあったサムスンやLGと交渉を始めます。まず候補に上がったのはLGでした。サムスンの方はプレイステーション2専用液晶モニターで納期トラブルを起こし、ソニーへの出入り禁止となってしまいました。

その後、ソニーとLGと共同でテレビ用液晶パネルの開発を進めることになります。一方サムスンの方は、パナソニックと組んで同じく開発を始めました。それぞれの国を代表する家電メーカーが日韓でパートナーシップを結ぶことになりました。

液晶テレビ2002

極秘プロジェクト

そして2002年、私はあるプロジェクトに参画することになりました。社内に箝口令が引かれた極秘プロジェクトでした。
家電各社の液晶テレビ開発は拍車がかかり、多くの企業がサイズ競争を始めていました。次なる大型サイズである40型クラスの商品開発にしのぎを削っていた頃です。40型クラスの液晶パネルは、サムスンが42型、LGが41型を開発中でした。

2003年、ソニーが世界初の40型クラスの液晶テレビを発表しました。発売価格は今では信じられませんが、1台130万円でした。
ところが液晶サイズは42型。つまり、出入り禁止のはずだったサムスン製の液晶パネルを使用していたのです。

私が参画したプロジェクトとは、サムスンから液晶パネルを購入して液晶テレビを秘密裏に開発することだったのです。
なぜこんなことになったのでしょうか?

42型液晶テレビ

交渉の裏舞台

あくまでも、私がサムスン役員から社員食堂で聞いた内容です。
話はサムスンがプレイステーション2専用液晶モニターの納期トラブルを起こした時にさかのぼります。その当時、常務だったこの役員はトラブルの責任を取らされ、専務になる時期が2年遅れたそうです。

ある日、パナソニック幹部とソウル郊外の工場で会議をしていると、突然一台のプライベートヘリが工場の中庭に着陸しました。
乗っていたのは1人のソニー役員でした。実はこの人物こそサムスンの出入り禁止を言い渡した本人でした。
その後、このソニー役員とサムスン経営層との会議のあと、液晶テレビ開発の極秘プロジェクトが決定しました。

サムスンの思惑

ここで疑問が湧きあがります。お互いメンツがある日韓を代表する大企業同士がどのようにして和解したのか?
サムスン役員の説明では、サムスン経営者(おそらく会長クラス)が、「今後10年後のサムスン家電事業の拡大戦略を進める上で。どの企業がビジネスパートナーとして最適か」を議論したところ、パナソニックではなくソニーであるとの結論に至りました。

ご存知のようにサムスンは強大なトップダウン体制ですから、直ちに幹部たちは仲違いしたソニー役員をソウルに歓待して和解を取り付けたそうです。

情報漏洩の怪

先ほどの42型液晶テレビの開発ですが、実は発表直前に情報リークされる事件が起こります。日経新聞1面に日韓の大企業同士の事業提携としてスクープされたのです。誰が何の目的で?

情報元は韓国ということでしたが、突然の報道で、これまでビジネスパートナーとして良好な関係を築いていたLGの逆鱗に触れることになります。
こんどは、LGがソニーへの液晶パネルの出荷を全面停止する事態にまで発展してしまいます。最終的にはソニートップがLGを訪問して事を納めたということです。 今から考えると、これもソニー迷走の始まりだった気がします。

このソニーとサムスンの電撃的な事業提携は、パナソニックをはじめとする日本の家電メーカーからの反発を招き、技術流出を懸念した政府関係者からも批判の目にさらされます。しかし、ソニーはいばらの道をさらに突き進んでいくことになります。

液晶テレビ2003

ジョイントベンチャー設立

その後、サムスンに選ばれたソニーは、2004年にジョイントベンチャーを設立してテレビ用液晶パネル工場を両社で立ち上げます。ソニーからも多くのエンジニアがソウル郊外の液晶工場に勤務していましたが、非常にセキュリティーが厳しい工場でした。

一番驚いたのは、工場内にセキュリティーゲートがありました。サムスン社員はセキュリティーゲートを自由に行き来できますが、ソニー社員はサムスンエリアには立ち入りできないのです。同じ工場の従業員なのになぜと思いました。出資比率が49:51%でサムスンが1%多いことが理由だと言われています。

いずれにしても、液晶パネル工場を共同経営するジョイントベッンチャーは両社にとって相互に利益をもたらるWin/Winの関係と考えられていました。(少なくともソニー側の経営者も液晶パネル工場で働く社員も)

世界シェアー争い

高い画像技術と高品質の液晶パネルを手に入れたソニー&サムスン連合は、薄型テレビ市場の世界シェアを伸ばしていきます。一方のパナソニック&LG連合も同様に業績拡大が進みます。ただし、パナソニックはプラズマテレビ事業への巨額な設備投資が負担となり、徐々にシェアーを落としていきます。

そして液晶テレビ事業に社運をかけて独立独歩であったシャープですが、韓国製や台湾製の液晶パネルの価格攻勢と北米での販路開拓に行き詰まり、ジリ貧の状態が続きます。

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ソニーの戦線離脱

ソニーとサムスンはさらなる大型液晶テレビ市場の拡大のために、次世代の液晶パネル工場の新設を決めます。しかし、通常の液晶パネル製造には品質ばらつきが伴います。品質レベルをA,B,C,Dランクに分けます。Aランクは高価格帯の日本や北米向けの高級機種に、Bランクは中南米向けの普及機種に、Cランクは中国や東南アジアの新興国向けなど廉価機種に、Dランクはカラオケ機器向けとして出荷されます。

工場を共同経営しているソニーとサムスンには生産した液晶パネルはランクにかかわらず、出資比率に応じて全数引き取る義務が発生します。
ソニーの液晶テレビは高級路線がメインで、ブランド低下を招く安売りができませんでした。その結果、CランクやDランク品の液晶パネルを廃棄処分することになり、収益を圧迫していきます。

サムスンの方は、冷蔵庫や洗濯機など白物家電の販売網を活用して新興国に格安液晶テレビやカラオケ機器を売りさばいていきます。その結果、サムスンのシェアーは順調に拡大していく方、ソニーはシェアーを落として戦線離脱していきます。

世界No.1への道

2012年には、薄型テレビ市場のツートップは韓国2強となり、サムスンが28%に迫りLGも含め40%超えを占めるまでになりました。
ソニーとパナソニックとシャープを合わせた日本メーカーは19%であり、薄型テレビにおける日韓戦は韓国の圧倒的勝利となりました。

さらにソニーとのテレビ用液晶パネル開発や北米マーケティング責任者のヘッドハンティングなどにより、サムスンはより高いブランド力も同時に手に入れることになります。その他の分野でもサムスンの快進撃は続き、スマートフォンでも世界トップシェアーとなりました。

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サムスンの成功要因

2001年にシャープが液晶テレビAQUOSを発売した当時、10年後のこのような結末を誰が予想したでしょうか?
実はただ1人この結末を予想した人物がいました。それはサムスンの経営トップです。2002年に私がサムスン役員と会った時「液晶テレビの事業プラン」を見せてもらいました。そこには将来の液晶テレビの市場動向のグラフが載っていました。しかも10年後の市場シェアーが30%となっていたのです。

ご存知のようにサムスンは財閥系オーナー企業でトップダウンの強力なマネージメント体制で有名です。つまり「液晶テレビの事業プラン」に載っていたシェアー30%とは、単なる予想の数字ではなく、サムスン幹部にとっては必達条件の数字だったわけです。

30%を達成する戦略の一環として、ソニーとの液晶パネル工場の共同経営やグローバルなヘッドハンティングなどが綿密に計画されていたのです。
当時のサムスンと日系家電メーカーとの違いは、10年先を見据えたビジョンをもって事業展開を実践する経営者の差ではなかったかと思います。

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日系家電メーカーの復活

液晶テレビ戦国時代で敗れ果てた日系家電メーカーの多くは外資の元で再建中です。そして、辛うじて生き延びたソニーとパナソニックは新たな事業モデルを模索中です。サムスンとは同じ戦い方は出来ないかもしれませんが、アフターコロナという時代の変革時にグローバル企業として復活することを願っています。

ここまで私の拙い体験記を読んで頂きありがとう御座いました。何かのお役に立てて頂けることを期待しています。

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