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2023年10月を振り返る

日記的な備忘録を書こうとおもったときに毎日書くのは無理で、週末は文章を書く時間をとれないと思うと、月ごとにまとめるくらいがちょうどよいのかもしれない。勝利くんが長文のブログを毎月30日に書いている合理性に予期せぬところで触れた気がする。

10月は精力的に人と会ったりでかけたりしたとおもう。涼しくなってきたので。人生で初めてビリヤニと栗チーズナンを食べに連れて行ってもらった日があり、その日はものすごく久しぶりに阿佐ヶ谷のシンチェリータでジェラートを食べて満喫した。ジェラートから夕飯(ビリヤニ)までの間は散歩をして公園で座っておしゃべりをしたのもよかった。こういう遊びかたは夏の間は(暑さが無理で)できないので、やっと秋がきた!とうれしくなる。公園ではいろんな話をしたけれど、たとえば子どもを育てているとしてそれが女性性だったとしてまだ幼いその子に脱毛したいといわれたとき、その理由がクラスメイトからの心ないからかいだったとき、私たちはそれへの解をもつのかどうか、という話をした。時々そのことを思い出して考えるけれど、いまも、適切で現実的な解を得られずにいる。

10月といえば聡ちゃんの個展。ものすごく幸運なことにチケットがあたってお邪魔してきた。私はあまり造形美に深くないのであの空間を適切に表すことばを持たないことがもどかしい。男/女、成功/失敗、幸福/不幸といった二元的な固定概念を持ち込まない表現が心地よくて、アート自体のエッジとは裏腹に、それを以て誰かの心を深く貫くというより、存在を肯定されるような感覚があったとおもう。

劇団☆新感線の舞台「天號星」も10月に観た。ここ数年友人に誘われるかたちで新感線の舞台を観ているのだけれど今回は山本千尋さんがものすごくよかった。所作や視線が目をひくというか。早乙女兄弟もみれて大満足でした。帰りに新大久保で食べたチュクミおいしかったね。

おまえの罪を自白しろ関連は別noteにまとめたので感想は割愛する。映画公開にあわせた雑誌ラッシュでたくさんのケンティーをみることができて幸せだった。KATEのCM起用にあわせてなのか(だとしたらあまりにも魂を捧げたプロモーションであり、その彼の努力の天才性に深く胸をうたれる)夏頃からジェンダーレスなメイクが多く、うつくしい中島健人をたくさんみせてもらった。去年の春には短髪ティにわいていたんだよなあ。そしてこれを書いている今は絶賛茶髪ティにドキドキしてる。ただ、各インタビューについては、タイミング的に自分の気持ちの整理がなかなかつかず、テキストを読み込む不安さが常につきまとっていて、そういう意味では十全で楽しめたとは言えない日々だったかもしれない。それでも、それを差し引いてなお、この一か月は中島健人を好きな人間としては特別に素敵な一か月だったとおもう。

あと10月といえばやっぱり『キリエのうた』公開がよかったね。来年くらいにまた新作撮ってほしいよ。まだ余韻がからだの中に残っている感じがある。同じ映画を短期間に何度も観る習慣がないのだけれど、あんまりによくて映画館でもう一回観たくなってめずらしく観にいった。映画の内容はおま罪同様別でまとめたので割愛する。映画は日本橋で観たんだけれど、映画の前に時間があったのでレストラン桂で夕飯を食べてから観に行ったのもよかった。

久光製薬のQUOカードのデザイン変更の件についても触れておく。ジャニーズ性加害問題を受けてQUOカードのデザインがタレント肖像から商品写真に差し替えが行われ、それが当選画面での発表だったということで企業対応に関して議論になったのだけれど、久光製薬の対応についてはかなりネガティブな印象を受けた。キャンペーン中に差し替えの告知がなかったのは消費者の視点からいえばものすごく資本主義的であると言わざるを得ないだろう。もちろん彼らの対応に法的な欠陥があるとは思わないが、どういう意思決定の過程があったのかを想像するとあまり良い気持ちになれない。キャンペーンKPIは達成したいが企業リスクは排除したいという意思が透けて見えて、結局は人権さえも資本主義のルールに包含されてしまう虚しさが不愉快だった。けれど、旧ジャニーズ事務所の問題から目をそらしている私は(意図的に考えていることの10分の1も発信せず)そういった企業の姿勢のみを特別に批判できるのだろうかとも考えてしまう。より不誠実なのは、私と、旧ジャニーズ事務所と、久光製薬の一体どれなのだろう。

以前ポストしたけれど、この問題に限らず、いつも、ただ生きているだけでうっすらとした罪悪感がある。私はファーストリテイリング社や良品計画が抱える問題に目をつむりながらリーズナブルな価格の商品を購入し、TOHOの映画館の利便性を享受して平日仕事帰りに映画を観ている。思想を持つことは特権で、私はその特権を行使できるほど豊かじゃない。すべての洋服を百貨店でそろえることはできないし、無印良品は安くて私の生活に簡単にフィットしてくれる。そして、思想として賛同できない企業体制を手助けする消費行動は常に私にうっすらとした罪悪感を与える。このなかに、大好きだったものが加わってしまう無力感に、私はまだうまく向き合うことができないでいる。えらそうなことをどれほど書き連ねたところで私はこれからもきっと彼らの歌を聴いて感動し、その対価としてお金を払うんだろう。私は様々な問題に対して「考えない」という特権を行使して生きている。そんな私に何をいう権利があろうか。そう考えると、鉛を飲んだように胃の奥が重たい。

10月はとうとう本格的に引っ越し先を探し始めていて、内見したり物件チェックしたりして日々を過ごした。年明けまでには良い物件を探して引っ越したい。できれば見晴らしの良い場所に住みたい。


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