PERFECT DAYS
映画「PERFECT DAYS」を見てきた。良いと思った。2023年は「BLUE GIANT」や「かがみの孤城」に出会えたし、2024年最初に見た映画が「PERFECT DAYS」とは、幸先良い。
内容を事前に聞いて退屈するかなと思ったが、結局最後まで目を離せず引き込まれた。むちゃくちゃ「わかる」と感じた映画だった。ぼくも木の枝を見てるだけで楽しい。秩序と無秩序が適度に融合した感じに惹かれるのかも。また、日付のついた写真箱とかもすごくわかる。笑。この映画を日々忘れたくないと思った。忘れたくないと思うのは、油断していると、こんな大事なことも簡単に忘れてしまうことを恐れているからで、今、この映画を見たことで「それでいいよね」と力をもらったように感じているということだ。「それ」を忘れているときは、生活がなにか悪い流れの中に入っていて、弱っている時かもしれない。行きつけのスナックはちょっとわからないが。
平山は自閉スペクトラム症の特徴を持っていると思う。あのほとんど声を出さない無口さ。起きてから寝るまでの映像を複数回繰り返すことで強調される、毎日同じパターンの行動を繰り返す傾向。自販機で毎朝同じ缶コーヒーを買う。銭湯はシャッターが開くと同時に入店し、1番風呂に入る。同僚が急に辞めて生活パターンが崩れた時は、珍しく会社に怒っていた。日付を書いた写真箱も、なんらかの秩序にこだわる心理的傾向の現れだと思う。
ラストの表情は未だ謎(といいながらぼくも、わけがわからないタイミングで泣いてる時あるんだけど)だが、妹と別れたあとの涙は、すごくわかる。姪のニコに話していた。この世界は1つのように見えて実は複数の別々の世界が同時に存在していると。平山は自分が別の世界の住人であることを自覚し、そのことでおそらく、家族が期待するような生き方から外れていったと思う。開き直っているわけではなく、心のどこかで負い目がひっかかっているから、あの時泣いたのではないかと。
普通他人が見て楽しいものではないだろう日常だが、この映画は楽しい。平山の「別の世界」は、平山なしに勝手に存在するものではない。それは、平山が生きていて、平山が楽しむからこそ意味が生まれ、存在しうる世界だ。だからこそ、ネットで探すだけで100万人が簡単に手に入れられるようなものではないし、時々ひっそりと、意図せず誰かの琴線に触れる。この速すぎる時間の流れの中、強迫観念につき動かされるような生活の中、冒頭に書いたように、気づかないうちに忘れてしまったかもしれないもの。それは、他人に評価されたり、アピールするためにがんばって見つけるものではなく、リラックスして耳をすますと「あぁそうだったよね」と実は簡単に思い出せるもののような気がする。
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