アタクシ、幸せです

前職では毎年、期初と期中の個人目標面談で5〜10年後の中長期目標をやたら聞かれた。

俺はあの時間が苦手だった。しつこく聞かれる意味がわからない。

今やってることを極めて、異動が有ればまたそこで精一杯頑張る。

この繰り返しでなぜダメなのか誰も教えてくれない。逆に上司へ聞き返してみても、取り繕った模範回答しか聞けた試しがない。適当にそれっぽく言えば理屈が破綻してると書き直しを要求される。

長い人生を理屈で割ろうとしても情が必ず余ると思う。自分より長く生きてるのに、何故その情をもって体験談を交えながら助言すらできないのだろうか。

最近、ストレス発散に池袋のジュンク堂本店に通ってる。

3階の新書コーナー付近に本の掲示板というのがある。好きな一文、こんな本を探してます、といったコーナーがあり、お客さん同士で寄稿して情報交換するシステムだ。どの投稿にも人柄やその人の線(背景、考え方)が伺えて、グッとくる。

転職して望んだ環境に身を置いても、人間関係、何気ない一言や行動に相変わらずうんざりする。

ニュースを見ても、自分の理解を超えた凄惨な事件ばかり起きて、辟易する。

こうもうんざりすることばかり起きると、自分が生きている内は世の中のシステムや前提はもう変わらないんだと悟ってしまい、いっそのこと受け入れて諦めることにした。

諦めて真っ先に思ったのは、自分の身の回りの友達、家族、職場の同僚、自分の好きなコンテンツだけでも大切にしなきゃということ。

人の優しさに触れた時はちゃんと感謝を伝え、良い部分を見つけた時は素敵だと伝える。意味不明なくらい照れ臭い行為なので、無理のない範囲で。これが中々に難しく、言えないまま帰り道に後悔することが多い。

生前の兄に何も伝えられなかった後悔は心の中で伝え続ける代わりに、いま会ってくれる人たちには良い部分を伝え続ける。これが今の自分にできる全てな気がする。

生きてきて、今が1番幸せだ。

これはもう確実に。

毎日、人の優しさに触れながら生活してることに29歳手前でようやく気づけた。

今まで以上にご飯が美味しく感じ、何気ない気配りに温かみのある優しさを感じ、同級生の結婚や赤ん坊が産まれれば自分事のように嬉しく感じ、友達の紹介で知り合った人たちからは刺激的な話を聞けて視界が更に開けたり。

考え方ひとつでこんなにも見え方は変わるらしい。このままいけば、自分が死ぬ日には水天一碧の絶景が待ってるだろう。喉にゲロ詰まって死ぬとかはやめてな。

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